同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて3300回

写真

大石芳野写真展「戦禍の記憶」

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 ベトナム、ラオス、カンボジア、アフガニスタン、コソボ、スーダン。その後落ち着いて歴史のひとこまに収まった国もあれば、今も混乱が続く国もある。しかし、それが50年ほど前の歴史であっても「あー」とため息が漏れるのは、人間の苦しみに対する共感の普遍性なのかもしれない。ってカタいな。

 写真の核心は何を撮るかだとあらためて思う。

 写真展に行くたびに直面するのが、写真だけでは状況が分からんという事態である。写真を見る前に説明文を読んで「ほー」と思ってから写真を見ることがあり、「写真展」なのに説明が不可欠であることに写真の限界を感じる。写真家はその辺どう思うのだろう。

 東京都写真美術館で5月12日まで開催中。


 

京都写真展「驚都」

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 この場所を見つけるまでにどんな苦労をしたことか。この1枚を撮るためにどれだけ時間がかかったことか。ここ行ってみたい。こんな場所が京都にあるのか。などなど感心しながら見たのが京都写真展「驚都」。毎日新聞京都面に写真部記者が108回連載した中から選りすぐりを引き伸ばして展示しているほか、連載をまとまたアルバムを別途置いてあるから見入る人大勢。

 その辺の京都観光本には載っていない写真がずらり。いい場所、土門拳ふうに言えばフォトジェニックな京都とでも言うべきか。

 写真記者だからうまいのは当たり前だが、108回も連載したのは京都の奥深さゆえか。私が過ごした福島でこれに張り合う連載ができたかと想像してしまった。逆立ちしても勝てないかもしれない。でも108回も連載を担当できて楽しかっただろうなぁ。

 小松雄介さん、ぜひ本にまとめてほしい。買うぞ。

 東京の写真展会場だったキヤノンギャラリー銀座は日曜祝日休み。やる気がないんだな。次回はニコンギャラリーで。

ニコン大好き集会(ニコンファンミーティング)に駆けつける

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 私が駆けつけたところで屁の突っ張りにもならないが、枯れ木も山の賑わいである。

 ニコンのカメラをぶら下げた人が大勢来ていて、私も負けじとキーミッション170をぶら下げる。ニコンのカメラは新聞記者時代に使ったのがニューFM2。これは機械式だったので雪山遭難の取材現場でもふつうに動いた。手がかじかんでボールペンを握るのに苦戦したけれど、カメラは全く問題なかった。安達太良山の山開きで写真を撮って下山する際に雪解け泥の中で滑って転び、カメラは泥をかぶったが無事だった。ニコンのカメラは強いという印象を得たから信頼している。

 そのあとフィルムカメラの生産をほぼやめると聞いてF100を慌てて買った。ニューFM2とF100は札幌在住の舎弟2号カメラ女子に貸してある。

 というわけで私はニコン派である。近年の低迷ぶりを心配していた。そこに起死回生のZシリーズを持ってきた。レンズ内径55ミリ、フランジバック16ミリという新マウントはSラインレンズを備えることですさまじい解像度を発揮することが分かった。これについては別途書く。

 さて。入場するところでメッセージを書いてと言われて紙を渡された。あとで社員が読むそうな。ざっと見てみると大半が褒めたり激励したりである。私も「ついにやった。うれしくてうれしくて」と書いた。

 そのあと反省した。私がニコンの社員なら褒められたいとは全く思わない。批判を知りたい。欠点を知りたい。厳しい意見がほしい。そこに成長の芽があるからだ。

 来年以降もこういう集会をやるなら、来場者に「褒めないでください」と伝えよう。自信があれば批判ほどありがたいものはない。

 

 

 

 

ニコンが本気で作ったミラーレスZシリーズの評価

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 ニコンがミラーレスカメラに革命をもたらすことができるか。ニコンのファンだけではなくソニー派も興味津々だった。

 うわさ通りにZ6とZ7が発表され、ミラーレスで先行するソニーと比べて落胆の声が広がった。瞳オートフォーカスがなく、SDカードが使えず、バッテリーの持ちが悪く、それなのにソニーと比べると高い、という落胆である。

 確かに数値を比べるとニコンが劣る。後発なのになんでやねん。

 ところがここに来て評価が変わってきた。Zシリーズで撮影した写真がインターネット上にいろいろ出てきて、感嘆の声が出始めたのである。

 スペックなど見た目の部分は数値で表すことができ、ソニーに軍配が上がる。ニコンのZシリーズはイマイチだとなる。

 そもそも写真は見る環境の影響が大きい。Zシリーズで撮ったデジタル画像をパソコンで拡大して初めて圧倒的な作画に驚いた人が続出している。職人肌ニコンらしいというか。

 そういう最も大事なことを新製品発表会でほとんど言わなかった。ただ、内径55ミリの新マウントと16ミリのフランジバックは強調していた。そういうことだったのかと発表会数日後にようやく気づかせることを職人肌ニコンが意図してやったとは思えない。宣伝下手やなぁ。そんな無骨さも魅力なんだけど。

 オリンピックに合わせてフラッグシップ機も出るだろうから楽しみである。頑張れニコン。 

 

世界報道写真展の写真説明へのギモン

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「写真説明」と書けば誰でも分かるし少ない文字数で済むのに「キャプション」と書く『毎日新聞』はよほど英語が好きらしい。

 というわけで、ここから本題である。

 世界報道写真展2018である。大賞を取ったのは火だるまになった人の写真である。説明は「ベネズエラのカラカスで、ニコラス・マドゥロ大統領への抗議行動中に機動隊との激しい衝突が起こり、火だるまになるでも参加者」。

 ほー。すごいシャッターチャンスだ。

 しかし、実際はちょっと違う。デモ参加者が国家警備隊に投石や放火で対抗し、どういうわけかオートバイの燃料タンクが爆発して、その火がデモ参加者の着衣に引火したのである。実際一連の流れの組み写真と説明文も会場に展示されている。

 激しい衝突で起きたというより、デモ参加者の投石や放火が原因の可能性が高いのではないか。だとしたら写真は迫力があるけれど、ちょっと締まらない。


 

写真に必要な常習性

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 いろいろな写真を見るようになって分かったこと、それは小説に似ている。つまり、その写真家(小説家)の作品をまた見たく(読みたく)なる。これがいい作品の理由ではないか。

 ほとんどの作品が1回見たら忘れてしまう。しかし、例えば長倉洋海さんの写真は1回見ても、また見たくなる。だから写真集として成り立つのである=写真は6月2日付『毎日新聞』夕刊(東京本社版)3面の写真特集に掲載された長倉洋海さんの写真と記事。

 私の場合小説で言えば車谷長吉さんである。毎日新聞社時代の同期で先輩(年齢が上。記者としての実績もずっとずっと上。開高健ノンフィクション賞受賞記者だからね)の藤原さんも「車谷長吉の小説はどこを読んでも引き付けられる。読むのが楽しい」というようなことを言っていた。

 そういう常習性、覚醒剤のようなハマり具合を持つ作品が優れた作品の条件なのだろう。

 というわけで、私は自分が撮った写真が果たして「また見たい」と思わせる要素があるかどうかという視点で点検しているのだが、結論は言うまでもない。

新宿歌舞伎町のロボットレストラン

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 新宿・歌舞伎町を歩いていると外国人が盛り上がっている。大音量で「ロボットレストラン」と歌(?)が流れる。何なんだここは。店の前にあるロボット(なのだろうか)の椅子に座って記念撮影をする外国人が大勢いるのも意味不明だし。

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 とりあえずその周辺の写真を2枚撮ってみたところ、外国人ばかりである。一部に猥雑さを残しつつ、観光地としての面もある中途半端な街になってきたなぁ。

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 後日沖縄のビーンさんを案内し、あのロボットに座って記念撮影。平均年齢57歳のおっさんの雄姿である。


 

ソニーのデジカメ快進撃だが

 ソニーのミラーレス一眼α靴寮能と価格を知ってびっくりした。センサーを自社生産できる強みはあるとしても、これを普及版に置いたらほかのカメラメーカーは土下座するしかない。

 しかし危惧がないわけではない。ソニーのベータとバイオを思い出す。村西とおる監督に頼み込んだエロビデオとの抱き合わせ販売をしたVHS陣営の営業力がベータ陣営を駆逐した。テレビ局関係者の打ち合わせにスタッフが持ってきたパソコンの大半がバイオだった時代があったのに今やパソコンは別会社で作っている。

 ここでソニーのデジカメである。三度目の正直か二度あることは三度あるか。ニコン派とライカ派を兼務する私だが、ソニーのデジカメは気になる。しかしベータとバイオに対する態度を見ると、果たしてソニーと真剣な長いおつきを真剣にしていいのかという疑問と不安が残る。いや、買う予定は全然ないので、真剣に考える必要はないのだが。

石川真生さんの写真の魅力は

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 おー。真生さんが出てる。今日付『朝日新聞』Be版を見て声が出た。おー。

 真生さんは写真もいいけれど、本人そのものに魅力がある。こんな真生さんの魅力が写真に個性を招くのは当然だろう。

 かつて地元紙で人生相談の回答者をやっていたが、それを読んだ私の友人が「真生さんの回答は役に立たない」と笑っていた。例えば仮に彼に振られて悲しいという相談があるとすると、真生さんは「そんなの気にするな」や「悲しんでも仕方ないさ」と答える。気になるから相談しているのに気にするなって……というわけだ。

 考え方が柔軟というか、話が分かるというか、脳みそが固まっていないというか。沖縄に軸足を置いて米軍基地反対運動を撮りながらも米兵一人ひとりに対しては批判の目を向けない。記事にあるように、その基本には<私は運動家じゃないからさ。写真家だから>ということだろう。

 この記事で、埼玉・東松山市で開催中の「大琉球写真絵巻」の来場者が増えるといいなぁ。地元沖縄でもっと評価されるべきなのだが、沖縄より本土で評価される写真家だと思う。でも、それでいいのである。沖縄のことを本土の人間がもっと知らないと。
 

石川真生さんの大琉球写真絵巻@丸木美術館

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 石川真生さんに初めて会ったのは沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会事務局(那覇市久茂地)だったから1988(昭和63)年ごろだろう。その後、『週刊金曜日』編集者になった私は真生さんに沖縄の写真をどんどん発表してもらった。

 虚飾の対局に位置する考え方と生き方をしている飾り気のない人なので、虚飾や欺瞞を軽く見破る。持って生まれた魂でもあるだろうし、ファインダーを通していろいろな人を見て寄り添ってきたから“視力”が鍛えられた面もあるだろう。そんな真生さんが被写体として選んだのは虚飾や欺瞞から遠く離れて生きる人たちだ。

 日の丸の旗を使って自由に演技をさせるシリーズが一段落し、次に取り組んだのがこれである。すなわち、琉球時代から現在までの沖縄の歴史のひとこまを地元沖縄の人たちが演じる「大琉球写真絵巻」である。

 さっそく丸木美術館に見に行った。欺瞞を引っぺがして皮肉をよく効かせた創造写真もあれば、米軍基地とさまざまな関わりをしてきた人たちをそのまま登場させた写真もある。琉球王国時代の歴史を私はほとんど知らないので、その時代の創造写真は歴史の断片の習得になった。

 丸木美術館には「原爆の図」のほか「水俣の図」もあり、あらためて石牟礼道子さんを追悼した。

 大琉球写真絵巻は今のところ全4部。1〜2部の前半(2月21日まで)と3〜4部の後半(3月4日)に分かれる。というわけで、後半もう1回行く。この琉球写真絵巻は見たかったから。

 NHKで特集されるなど真生さんも全国区になった。ステージ4のがんを抱えているけれど、これからだよ魔王の真生さん。

エリオット・アーウィットをお手本に


 レンズを何に向けるか。レモンをレモンらしく撮っても意味がないとする土門拳のイイタイコトがよく分かるだけに、カメラを持ち歩いていてもめったにシャッターを押さない私のヒントになったのがエリオット・アーウィットである。

 絶対非演出を唱えた土門拳と違ってこちらは演出の香り漂う写真がちらほらあるが、ユーモラスなので許そう。日本では梅佳代さんが受け継いでいるように感じる。こういう写真はアリだな。というわけで狙うことにする。狙って撮ることができるものではないが。




『戦場カメラマン沢田教一の眼』

 澤田教一の写真集で最も新しい。歴史教科書の山川出版社が版元である。ベトナム戦争を歴史として捉えたという位置づけなのかもしれない。

 ピュリツァー賞の「安全への逃避」や世界報道写真展報道写真部門2位の「敵をつれて」、1位の「泥まみれの死」をはじめとする戦争写真のほか、青森などを舞台にした未発表写真なども収録した。「小隊長が撃たれた」に写された小隊長の顔は半分ヘルメットで隠れているが「ウッ」という表情で目と口が開いている。即死したのだろうか。下顎を撃ち抜かれて瀕死の子供を抱えて涙を流す女性の写真も、ため息しか出ない。

 どの戦場にも最高責任者はいない。いつも被害に遭うのは単なる駒でしかない兵士とたまたま巻き込まれる民間人である。戦勝国も敗戦国も最高責任者は極悪非道という点で同じであり、戦勝国が一方的に敗戦国の最高責任者を裁いておしまい、われわれは勝利した、で済ませていいわけがない。戦争に勝っても自国の兵士を死なせた責任をどう取るのかという問題が追及されるべきである。そこまで責め立てれば、戦争に突入しそうになる前に、そもそも何のための戦争なのかと最高責任者が冷静さを取り戻すのではないか。希望的観測に過ぎないけれど。

 青森の地元紙『奥羽日報』の連載「サワダ もう一つの映像」を本書に載せた。この連載記事は関係者を丹念に取材して澤田教一像を立体的に浮かび上がらせようと工夫しており、読み応えがあった。

 ベトナム戦争を歴史的に振り返るためにも、澤田教一を知るためにも、戦場のむごい光景に顔を背けたくなる経験をするためにも、読み継がれるべき写真集である。

オードリー・ヘプバーン写真展は女性ばかり

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 中高年の女性が大半だと感じた。女性に人気があるのだなぁ。

 有名な女優を被写体にしているのだから、写真がいいのは当たり前。そういう意味で写真に対する感動はなかった。私が撮ってもそこそこの写真になる。

 私が最も気に入った写真はオードリーが子鹿と一緒にベッドでまどろんでいる1枚である。子鹿は映画「緑の館」に登場したらしい。子鹿とはいえ人間と一緒に安らいでいる様子に私は魂を抜かれた。この写真がポスターになっていたら絶対に買ったのに。


 生後4カ月の子鹿を撮影のために1年ほど一緒に暮らしたようだ。生後4カ月で鹿がこれだけ人間に馴染むのか。鹿は人間の家畜にならないはずなのに、生後4カ月も経っているのに刷り込みができたのだろうか。トレーナーがオードリーに馴染むよう、生後間もなくオードリーの体臭が付いた衣類を寝床に置くなどしてあらかじめ準備していたのかもしれない。

 オードリーを見るたびに思い出すのが淀川長治さんで、『サンデー毎日』時代に取材でお目にかかったら開口一番「オードリーは演技が下手」と言っていた。玄人の目と一般女性の心理はかけ離れているのだなぁ。中高年の女性で大混雑する会場が証拠である。

 話を戻すと、私は鹿を飼いたいと思っているのだが、家畜に不向きだから無理だろうと半ばあきらめていた。オードリーと子鹿の写真は私には朗報である。

岩波文庫『ロバート・キャパ写真集』は当たり前だが写真が小さい

 ロバート・キャパの写真236点を集めた写真集が岩波文庫から出た。講演するトロツキーは別として、スペイン内戦に日中戦争、第2次世界大戦、第1次中東戦争、第1次インドシナ戦争と戦場の光景が大半を占める。戦場を職場にすることで写真家としての名声を一発逆転で手にすることができる時代だったのだろう。

 私がいたたまれない感情に陥って粟立つのは、ドイツ兵士との間に子供をつくったフランス人女性が丸刈りにされて嘲笑を浴びる写真である。むごいとしか言いようがない。

 文庫本だから当然だが、写真が小さい。そのぶんめちゃくちゃ廉価(1400円)だが、うーん、写真集としての限界値を下回ったように感じる。

 帯が意味深だ。<きみの写真が十分に良くないとしたら、それはもっと近寄らないからだ>とキャパの言葉を引用しているのである。写真が十分に見えないとしたらこの文庫本にもっと目を近寄せろという示唆としか読むことができないのだが、考えすぎか。

民俗写真と山岳写真@フジフイルムスクエア

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 祭りや儀礼などの民俗写真に土着の魂を垣間見ることができるからだろう、食い入るように鑑賞しても物足りない。民俗写真家という肩書きも芳賀日出男さんという民俗写真家も初めて知った。もっと写真を展示してほしいぞ。

 芳賀さんが民俗写真を撮るきっかけは慶応で折口信夫の講義を聞いたからで、写真好きの芳賀さんが写真の主題を与えられたのは幸運だった。

 祭りというと私の古里の阿波踊りと2年半暮らした大阪・岸和田市のだんじり祭、沖縄で暮らしたときに参加した那覇の大綱引きと南風原町喜屋武の綱引き、それから福島県で取材したわらじ祭りと二本松提灯祭り、相馬野馬追が浮かぶ。このほかにも福島県内でごく少人数の祭りを取材したことがあり、それをふとした拍子に思い出して、しかしスクラップブックで探すのが面倒くさいので「あれはどこの祭りだっけ」で済ませてきたのだが、芳賀日出男さんの民俗写真を見て民俗の深さにあらためて興味がわく。その多くが暗さを引きずっているから余計に魅力が増す。明々と照らされる光の下で土着の魂が熱を発するのは昼間のだんじり祭だが、夜は提灯を灯して練り歩くし。

 大勢の観光客に見せると意識した途端に祭りや儀礼は仮装行列に変身する。土着の魂が薄くなってしまった祭りや儀礼は撮影対象になりにくい。

 ひっそり閑と関係者が地味にしみじみ執り行う祭りや儀礼は闇に溶けている印象があるので、モノクロで撮影された民俗写真がいい味を引き出している。祭りや儀礼を伝承してきたのがほかならぬ人間であることも民俗写真に奥行きを添える。

 白旗史朗御大の山岳写真は迫力と美しさを兼ね備えていて、御大を拝見できたのはラッキーだったけれど、「人」が写っていない山岳写真は、撮る大変さに思いを致すものの、私にはよく分からないというか何というか、物語がないので隔靴掻痒の感を抱く。白旗さんの撮影秘話、とりわけ死にかけたとか凍死しかけたとか撮影後に油断して滑落したとか便秘して困ったとか下痢に悩まされ続けたとかそういう人間くさい話が添えられた途端に山岳写真が輝いて見えるのだろうという期待はあるのだが。フジフイルムスクエアが「至宝」とまで持ち上げる御大にそんな話は無理だろう。私なら「至宝? 馬鹿にするな!」と叱りつけるところだが、白旗御大は人格者なのであろう。

 白旗史朗さんの山岳写真展は11日まで。芳賀日出男さんの民俗写真展は3月31日まで。東京・赤坂のフジフイルムスクエアで。

ユージン・スミス写真展@東京都写真美術館

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 ユージン・スミスと言えば私の頭には水俣の写真が浮かぶ。しかし、東京都写真美術館で見た写真の中では「カントリー・ドクター」が最も印象に残った。『週刊ポスト』1月12日号で坪内祐三さんも同じ感想を書いていたので、注目度は高いようだ。

 とりわけコーヒーカップを手に呆然とたたずむ医者の写真は頭に刻み込まれた。出産に際して母子ともに死なせてしまった直後の写真らしい。密着取材だからこそ撮ることができた1枚である。ほかにも馬に蹴られた女の子を治療する写真など、「カントリー・ドクター」の守備範囲の広さに目を見張らされた。

 写真はやはり被写体次第なのである。被写体に魅力があるかないか、それだけなのだ。

谷崎潤一郎が愛したモカロールをキャパも来たモンブランで食べる

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 憧れのモカロールをお代わりして計2切れも食べてしまった。その辺のモカロールではない。谷崎潤一郎が愛したモカロールである。

 濃厚な味とねっとり感から、バターを惜しみなく使っていることがうかがえる。東京・銀座ウエストのバターケーキ並みで、私の口に合う。谷崎先生もこれを召し上がったのかと思いながらゆっくり味わうつもりだったが、うまいのであっという間に食べてしまった。

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 ここは熱海のケーキ屋モンブラン。ロバート・キャパも来たという。店内には谷崎の写真とキャパがここで撮った写真が飾られていて、私には二重の聖地である。

 モカロールを1本丸ごと買って帰ろうかなと思ったものの、私一人で食べると血糖値に大打撃を与えるのは間違いないので、お代わりで我慢することにしたのであった。

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 この店には何とも愛らしい女性がいて、彼女によると特に金土日はモカロールが品切れになるという。私のような谷崎ファンが来ているようだ。金土日に行くなら早い時間帯を狙うべきだろう。

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 私が住む平塚からは東京より熱海がはるかに近い。毎週食べに熱海通いをしてもいいくらいだ。

 谷崎が通ったスコット別館や三島由紀夫も絶賛したハンバーガーのボンネット、谷崎が食べたお菓子「ネコの舌」の三木製菓も徒歩数分の範囲にそろっているので、谷崎巡礼が数分で済む。

 なお、温泉には入らない。湯船で30秒以上じっとしていられない私には温泉は拷問でしかない。

土門拳賞受賞梁丞佑さんの新刊写真集『人』

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 横浜・寿町に住む人たちを至近距離で撮影した写真集である。土門拳賞受賞後に出た新刊だ。

 私が知る限りでは寿町の人たちの顔を撮った写真集としては鷲尾倫夫さんがずば抜けて迫力がある。しかし、生活ににじり寄った写真集は梁丞佑さんのこの『人』だろう。

 カメラを持たずに3カ月通い詰め、声をかけられるまで道端に座って酒を飲んだりして過ごしたという。2002年に撮り始め、2017年まで撮った写真から構成したそうだから、15年もかけたことになる。そこまで長期間追いかけたのは人間のナマの姿が目の前に生々しくあったからだろう。あの長倉洋海さんもドヤ街を撮影していたが、ここまで迫った写真はなかったのではないか。

 人間が持つ優しさも弱さも憤怒も暴力性も矜持も諦念も、丹念に焼き付けたモノクロ写真から迫り来る。人が見ようとしない人間を梁さんは静かに観察して一枚一枚に収めた。私が小学6年のころだったか、父に連れられて歩いた大阪あいりん地区の空気を思い出す。

 寿町はずいぶん“きれい”になったと聞く。東京の山谷を先日歩いた時も違和感がさほどなかったから、ドヤ街はどんどん“美化”されているようだ。もっともっと“美化”が進むのだろう。

 ザラザラした空気がよどむ荒涼とした寿町があり、そこで人々が生きていたという貴重な記録でもある。梁さんでなければ撮れなかった。

 

梁丞佑『青春吉日』が切る取る一瞬のキラメキ

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 写真家だからといって闇雲にカメラを構えるわけではない。カメラを構える対象に磁場があるか、写真家のこころの中にカメラを構えさせる動機があるか、だろう。

 梁丞佑さんは写真集『青春吉日』のあとがきにこう明かした。

・・・・・・・・・・
昔の仲間が一人死んだ。
自殺だった。
奴が死んでも何ひとつ変わったことはない。
仲間達はもう奴のことを忘れていく。そして俺も奴のことを忘れていく。
奴の顔が見たくて写真を探してみた。
一枚もなかった。
自分が大事だと思っている仲間だったのに。
いずれは、自分もこの世から消える。
そう思うと、撮りたくなった。
・・・・・・・・・・

 このあとがきを読んだら、買わないわけにはいかない。土門拳賞前の作品である。

 ページをめくると悪ノリともいうべき痴態が次々に出てくる。被写体は梁さんとその友人たち。裸の女性もいる。

 乱痴気の一瞬のキラメキを切り取ったからだろう、映画『アメリカン・グラフィティ』のエンドロールを見終わったときと同じようなかなしみが染みて広がる。時間は止まらない。


 

『君はあっちがわ 僕はこっちがわ供

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 写真家・梁丞佑さんがホームレスのごん太さんと友人になっての共作第2弾である。ネットで探していたら、あったあった。見ーつけた。慌てて注文した。

 この写真集を初めて見たのは、東京・銀座のニコンサロンで開かれた梁さんの土門拳賞受賞記念写真展である。その時に探した時は売り切れになっていたのに。

 歩けば歩くほど クツのそこへり ハラもへり

 世間はGWで休み 僕は一年中GW

 口は弁護士 心はサギ師 夜の仕事はスケコマシ

 ユーモラスな詩を書くごん太さんは被写体としても個性が光る。だから写真集として成立するわけだ。そんなごん太さんは病を得て施設で暮らしているそうだ。栄養ある食事と暑さ寒さをしのぐ寝床を得ることができるのではないかな。

 

 

 

『君はあっちがわ僕はこっちがわ』

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 土門拳賞受賞写真家・梁丞佑さんの写真集の1つ。ホームレスのごん太さんと友人になっての共作である。

・・・・・・・・・・
「ねる所」

君はタタミの上
僕はコンクリートの上
君はマンションの8階
僕は地べたの1階
だから君はあっちがわ
だから僕はこっちがわ
・・・・・・・・・・

 この「あっちがわ」と「こっちがわ」に橋を架ける試みだ。もちろん写真もいいのだが、ごん太さんの詩が味わい深い。

・・・・・・・・・・
ねるは豊楽
ゼニイラズ
うき世の馬鹿は
おきてはたらく
・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・
仕事をなくし
やる気もなくし
だから毎日
定休日
・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・
人を好きだと
思う気持ち
80才まで
わすれない
・・・・・・・・・・

 毎週末、東京・新宿の歌舞伎町で寝泊まりしながら撮影した被写体の1人がごん太さんだそうで、その出会いが生んだ写真と詩の本である。ホームレスの詩が本になるのはこれが初めてではないか。

 

再版される『新宿迷子』買わなきゃソンソン

 梁丞佑さんの『新宿迷子』が再版される。土門拳賞の受賞で大勢の知るところとなった写真集だ。強烈な衝撃を与える写真の数々と目の前の人懐っこい梁さんがつながらなかった。

 しかし、私は勘違いをしていた。あの人懐っこさが被写体に心を開かせる、あるいは油断させるのだ。

 写真は被写体次第。レモンをレモンらしく撮っても仕方ないと喝破した土門拳の主張が、この写真集を見れば納得がゆく。だからなのだ。私がカメラを手にしてもあまり撮らないのは。

 このサイトから梁丞佑さんの写真集を買うことができる。新宿迷子

 私? 全部持ってる。

「写真家チェ・ゲバラが見た世界」を見たワシ

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 こんな写真展、閑古鳥が鳴いているだろうと思ったら、長い列ができていた。ゲバラファンの多さよ。

 あのゲバラの視線が分かる。写真展の価値はそこにある。広島の平和記念公園の写真は、今の平和記念資料館の辺りから原爆ドーム方向にレンズを向けての撮影だ。全体像というか、公園の核心が分かる。いい位置で撮っている。

 ゲバラのカメラが展示されていた。ニコン製だ。ニコン派には誇らしいのでここに記録しておこう。

 死んでなお衰えぬ魅力の理由の1つは早逝にある。亡くなったのは確か39歳。私の説によると、惜しまれる条件の1つが早逝なのである。長く生きれば生きるほど綻びが出てくるものだ。馬脚を現す前に死ぬ方が惜しんでもらえる。ゲバラも例外ではないだろう。

 ゲバラと最初聞いたときに「下痢腹」と聞こえた私は当時小学生だった。今もほんの少しそう聞こえてしまう罰当たりである。

沢田教一展

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 美貌の女性から「ぜひニシノさんに」と招待券をいただき、東京日本橋の高島屋に飛んでいった。主催は朝日新聞社で、世界報道写真展といいこれといい、報道写真への注力に頭が下がる。余力のない毎日新聞社はそのうち土門拳賞も朝日新聞社に持って行かれるかもしれないなぁ。

 閑話休題。

 ピュリッツァー賞を受賞したあまりにも有名な写真のほか、ベトナム戦争の写真が数多く展示されている。

 私がベトナム戦争を初めて知ったのは小学生のときだった。「ベトナム戦争じゃ」と言いながら父が週刊誌のグラビアを私に見せたのを今もよく覚えている。軍国少年だった父にとって戦争は遠い世界の話ではなかったから、何か感じるものがあったのだろう。ただ、私のように言葉にする人ではなかったから、グラビアで何を伝えたかったのか私は今も分からない(笑い)。メッセージ性が皆無な父親だった。おしゃべりな私がなぜ生まれたのかナゾである。

 閑話休題。

 沢田さんが使ったライカを展示してあった。M2だったかM4だったか。M3でないことだけは間違いない。「おおライカだ」と感動した割には頭に刻む能力に欠けている。年のせいにしておこう。

 石川文洋さんの文章がパネルになっていて、報道写真家の衰退とその背景をベトナム戦争当時と比べていた。その中で印象に残ったのは、編集まで自分で手がける映像に可能性が残っているという趣旨の指摘だ。いい映像ならテレビが高額で使うから、生計を立てることができるという意味だろう。報道写真家もカネの問題から逃れることはできないのである。

 沢田さんは私の父より1歳年下だ。あの時いつものように慎重に行動していれば、午前中に引き返していれば、狙われなければ、81歳くらいか。

 そのせいか、ベトナム戦争を知る世代の高齢化か、60代以上のお客さんが多いように見えた。『戦場の村』や『サイゴンのいちばん長い日』、『ベトナム戦記』などを読んだのは私の世代が最後かもしれないなぁ。


土門拳賞を狙う朝日新聞社?

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 土門拳賞は毎日新聞社が、木村伊兵衛賞は朝日新聞社がそれぞれ関わっている。他社の行事を自社の記事で取り上げるのはなんとなくクヤシイ思いがあるので、高校野球などのようによほどのことがない限り無視する。

 それがあなた、土門拳賞を受賞した梁丞佑さんを『朝日新聞』の「ひと」欄が先日取り上げた。梁さんの人間くささと写真撮影奥の細道ぶりが記者を引き付けたのだろう。が、よく載せたなぁ。

『我が師、親父・土門拳』なんて本を朝日新聞出版が出していて、これは『カメラ朝日』の連載だったのだが、こういう一連の動きを見て私は邪推するわけだ。土門拳賞を朝日新聞社が自社行事にしたいのだな、と。

 毎日新聞社のためには私の邪推が外れることを期待するけれど、土門拳賞のためには当たることを期待する。

アラーキーの写真展

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 アラーキーの写真を初めて見たのは『サンデー毎日』での連載だったと記憶する。雑誌のグラビアでかわいい女の子たちのみずみずしい肉体を見慣れた目には女の毒々しくて無様な肉体をわざわざ見たいとは思えなかった。

 いつだったか、先輩に連れられて行った銀座アスターでアラーキーを見かけた。その先輩の「アラーキーじゃねぇか」という野太い無遠慮な声に周囲をキョロキョロ見回していた。関わり(?)はこの程度である。

 興味を持ったのはチラシでも使われている写真だ。小舟で丸くなって寝ている陽子さんを撮った1枚、これは惹かれる。というわけで、東京都写真美術館で開催中の写真展を見た。

 自分が立つ場を確保するためには従来にない作風なり何なりを出す必要があるのは写真も同じだ。アラーキーはきれいなものから目を背けたのだと私は理解した。ざらざらした被写体、じっくり見たくない被写体、好感を抱くことが出来ない被写体、従来無視されてきた被写体、そういう被写体にアラーキーはレンズを向けたのだと受け止めた。私にはよく分からない。

 しかし配偶者陽子さんを撮るのは分かる。その配偶者は媚びたり阿たりすることなく被写体としてレンズに向き、なるほどこういう撮り方撮られ方があるのだなと合点がいった。


 

  

世界報道写真展2017開催中

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 東京周辺で暮らしていてよかったと思うのは、このような催しがいろいろなところであることだ。古里徳島ではこうはいかない。

 というわけで今年も恵比寿の東京都写真美術館に行って「世界報道写真展2017」を見た。今回の大賞は、在トルコ・ロシア大使が非番の警察官に射殺された現場の組み写真である。亡くなったロシア大使には衷心から弔意を表すが、カメラマンにとっては現場に居合わせた幸運がスクープ写真と大賞をもたらした。人様の不幸で飯を食い名誉を得る仕事なので地獄に墜ちるほかないだろうが、彼らは喜んで墜ちるだろう。

 報道写真を見ると、「これなら私でも撮ることができる」と報道写真記者なら誰でも(こんな私でさえも)思うものだが、現場に居合わせるのが最も難しい。だからこそ長倉洋海さんは戦場を回って「現場」を追い求めたのだった。

 買い求めた図録にはこの1年間の世界各地で起きた悲しみがたくさん収まっている。「だってにんげんだもの」と悠長なことは言えない現場の数々だ。

 東京都写真美術館は8月6日まで。そのあとこの写真展は各地を回る。

長倉洋海『私のフォト・ジャーナリズム』

 写真展でお目にかかって以来、遅ればせながら長倉洋海さんの本や写真集を片っ端から取り寄せて読んでいる。この『私のフォト・ジャーナリズム』(平凡社新書)は長倉さんが58歳のころの出版で、それまでの取材を網羅して回想する内容である。私には大半が既読の内容だが、長倉さんの仕事を駆け足で読むならこの本だ。

 すごい場所で写真を撮って回ったことがひしひしと伝わってくる。誰でも撮ることができる場所で、何の変哲もない写真を撮っても報道写真としては価値がないのである。

 報道写真家の間でそのうち火星への一番乗り競走が始まるかもしれない。


『我が師。おやじ・土門拳』を朝日新聞出版から出された毎日新聞社よ、って長いな

 土門拳賞を主催しているのは毎日新聞社である。その土門拳の一番弟子と二番弟子が土門拳との思い出を語る本を出したのは朝日新聞出版である。毎日新聞社は『カメラ毎日』があったが1985(昭和60)年に休刊、朝日新聞社は『アサヒカメラ』を今も刊行していて、そこでの連載が本書になった。毎日新聞社に体力がないから、浸食されまくっているの図だなぁ。

 写真教室をのぞいてみると初老(見た目65歳以上)の人がそれはそれは立派な一眼レフカメラを持っている。時間とお金に余裕がある世代なのだろう。こういう層を対象に『カメラ毎日』を復刊できないのはビジネスチャンスをものにできない零細企業の悲しさである。土門拳賞、朝日新聞社に譲ったら?

一帯一路と『人間交路シルクロード』

 長倉洋海さんがシルクロードを撮影した写真集『人間交路シルクロード』(毎日新聞社)を見ていると、シルクロードに惹かれる。人間の顔かたちが変わっていく。文化も変わっていく。光景も。オモロイなぁ。

 中国が唱える一帯一路、国際社会は容易に乗るわけにはいかないのだろうが、道路や鉄道で結べば人の往来がもっと増える。人種の交わりも増えるに違いない。その交わりに参加したいぞ。生きていればね。

カメラの外観は変わらねど

 ニコンが墜ちてゆき、ソニーが気を吐くデジカメの世界。最新のα9はニコンの旗艦機D5を凌駕すると認めざるを得ない。

 そもそもカメラは機械の集合体だった。それが電子部品をたくさん使う電子機械製品に変わってきた。外観は長年変わらないけれど、中身は激変したと言える。

 電子機器で一日の長があるソニーやパナソニックが資本力にものをいわせてすごいデジカメをどんどん開発した。特にソニーはデジカメの核心であるセンサーを作って他社に供給するようになり、ぶっちぎり態勢である。

 自社でセンサーを製造できるのだから製造費はタダみたいなもので、と同時に自社用にすごいセンサーを開発できるわけだ。

 ソニーからセンサーの供給を受けているニコンなど逆立ちしても及ばない。おまけに精密機械工場用の1台10億円くらいするカメラが売れなくなってきて、弱り目に祟り目、ニコンの凋落に拍車がかかった。

 とはいえ、録画のベータやパソコンのバイオなど、一時的に多くの人気を集めて墜ちてゆくのがソニーの歴史だったりするので、デジカメ分野でのソニーの興隆が今後どうなるか分からない。

 ニコン頑張れと思いつつ、破竹の勢いのソニーのデジカメに目を奪われるワタシである。

土門拳賞受賞『新宿迷子』写真展で梁丞佑さんにお会いできた

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 写真集『新宿迷子』で今年の土門拳賞を受賞した梁丞佑さんに東京・銀座のニコンサロンでお会いできた。お会いしたいと思っていた希望がかなった。持参した写真集『新宿迷子』にサインもいただいた。うれしいなぁ。

 現場にしかない生々しさや目を背けたくなるほどの狂態奇態痴態、人間のすさまじい業火をここまで撮った写真がほかにあるだろうか。新宿・歌舞伎町を舞台にうごめく被写体には魔が宿っている。カメラを向けるのさえはばかられるような被写体に向き合う梁さんの豪胆さというか、魂というか。

 一葉一葉が見る者を圧倒する梁さんの写真にはまると、ほかの写真があまりにも軽く見えてしまう。私など恥ずかしくて写真を撮るのさえ嫌になる。

 ところで、写真集『新宿迷子』を見て「あっ」と思ったことが2つある。

 1つは撮影が日本国内の、それも東京新宿歌舞伎町という誰もが知る場所であることだ。海外で撮られた写真を見るたびに「日本国内には生き生きとした重い被写体はもうないのかも」と思っていたが、そうではないのである。被写体を求めて外国に行く写真家が少なくないが、灯台下暗しなのだ。

 こんなに近くにこんなにすさまじい被写体がうごめいているのに、私は全く気がつかなかった。いや、正確に言うと、避けていたと言うべきか。大学進学で上京した私におじが「浩史君、あの向こうには絶対に行くな」とコマ劇場を指さした。私は酒を飲まないこともあり、足を踏み入れることは最近までなかった。梁さんも来日したあと「行かないように」と言われたが、私のように軟弱ではないから足繁く通って魅力を見つけた。土門拳賞受賞写真家の底力である。

 もう1つは、写真集に解説文が全くないことである。従来写真集なのに説明文が長々と書かれていることに違和感というか、写真だけでは独立できないのか、写真の限界なのかと疑問を持ってきた私には青天の霹靂だった。梁さんに聞いてみたところ、「映画のように物語展開を考えて写真を配置した」と狙いを教えてくれた。一葉一葉に破壊的な力があれば説明文は不要なのだなぁ。

 少し道からズレている人が好きだと梁さんは言う。なぜかと聞いたところ、「私がそうだからです」。ああそうか。合点がゆく。作家が抱える魂の深淵に応じた作品が生まれるのは、写真家も小説家も同じなのだろう。

 会場には梁さんのほかの写真集が置いてあり、自由に見ることができる。これまた「うわぁ」と声が出た。気がつくと1時間以上も会場にいた。

 第36回土門拳賞受賞作品展として「新宿迷子」の一部が展示されているのは5月23日まで。大阪ニコンサロンは6月1日から14日まで。

 ただし、ニコンサロンという場所に配慮して、展示される写真はそれほど激しくない。写真集『新宿迷子』を買って絶句することをお勧めする。

土門拳賞を受賞したすさまじい写真集『新宿迷子』

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 え? 何これ? ん? はてな? あ? まさか? げげげー。うそでしょ。うわー。

 数ページで私は唸った。

 東京新宿歌舞伎町が人間の欲望の磁場だった時代に町内を徘徊し、「普通」から外れた人間に踏み込んでその生態を撮り続けた。文句なしに土門拳賞だ。

 この写真集には説明文が全くない。写真そのものが語るのである。写真が生きているから、大きな衝撃を伴ってこっちに伝わる。

 買ってほしいので、写真の詳細はここに書かない。今年の土門拳賞を受賞した写真集『新宿迷子』(梁丞佑)である。アマゾンでは扱っていない。

 段ボールの上で寝るなどしてまで歌舞伎町と一体になって撮り続けた梁丞佑さんに興味が湧く。会ってみたい。

映画『パリが愛した写真家 ロベール・ドアノー<永遠の3秒>』

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「パリ市庁舎前のキスで知られるロベール・ドアノーの記録映画を見て、あらためて思った。写真家にとって恵まれた時代があったと。ドアノーの時代は写真の黎明期で、何を撮っても斬新だった。そのぶんテーマや構図は自分で開拓していくしかなかっただろうし、オートフォーカスなどなかったから、写真家という仕事がブルーオーシャンだったのは間違いない。

 この「パリ市庁舎前のキス」は1950年の撮影で、有名になったのは1980年だ。非常によく似た構図で有名な写真がある。1945年8月に第2次世界大戦終結を祝ってニューヨークのタイムズスクエア前で米兵が看護師にキスをしているやつ。

 同じ人間ならキスは誰でも似たような姿勢になるのだろうけれど、撮影年を比べる限りではドアノーが構図を真似したのではないかとウタガイの目をちょっぴり向けてしまう。

 という具合に、人間が人間の生態を撮る限り似たようなテーマや構図になることは避けがたい。似たような写真をあとから撮ってしまった写真家は不幸である。

 写真が氾濫する時代、既視感のない構図やテーマを撮るのは並大抵ではあるまい。だからといって、凝りに凝ってゲージュツ的な写真に走ることが写真の王道とは思えない。

 写真家受難の時代かと思いきや、今回土門拳賞を受賞した写真集『新宿迷子』の梁丞佑さんやアフリカなどで女性の尊厳を追う林典子さんのような人がいる。

 写真家に負荷がかかるほど新境地を切り開く秀作が生まれるのだとしたら、写真家の絶滅は免れるかもしれない。

鷲尾倫夫写真展・写真週刊誌『FOCUS』がとらえた時代

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「何でも聞いてね」と言われて振り返るとそこに鷲尾倫夫さんがいた。あの『FOCUS』カメラマンを20年務めた報道カメラマンである。東京・半蔵門で開催中の写真展でお目にかかることができた。

 お言葉に甘えてカメラマンになったきっかけから人物写真の撮り方、今撮っているテーマ、最近の写真賞について思うことなどなどをお聞きした。ぶしつけな質問に対しても明快に答えてくださった。花鳥風月の写真に1ミリもこころが動かない私は不感症かと思ったが、そうではないようだ。今の時代「写真が伝わる写真」がないのである。

 腹の据わった人である。腹が据わっていないとプロになることはできないのだ。腹が据わっているから奥までずんずん入ってゆく。

 鷲尾さんは沖縄をテーマに現地で撮影している。あるとき23時ごろに思いついてチビチリガマにタクシーで行き、6時間も漆黒の闇の中で過ごしたという。私も1988(昭和63)年ごろだったかチビチリガマに入ったことはあるけれど、金城実さんの彫刻展示公開日の昼間に10人くらいと入ったのであって、深夜に一人で入ると想像するだけで怖すぎて気絶してしまいそうだ。ハブに襲われる危険も高い。でも、鷲尾さんは沖縄に近づくためにそんなことでもやってしまう。机上の論理派は到底勝てまい。

 そんな鷲尾さんの話に魅力がないわけがない。長い時間お話をうかがうことができた。ラッキーである。

 今回ももちろん目録を買った。その2ページ目に記された鷲尾さんの文章がまたいい。

<孤立無援状態で思考する時間は長かったが、費やした時間は何かを持って返って来る。外に向かって挑むのではなく、自分に向かって挑むのが筋と理解出来た>

 深い写真を撮るカメラマンは言葉も深い。
 

カシオのデジカメ恐るべし

 写真撮影で苦労するのは明暗差が大きい場面の露出である。黒く潰れるか白く飛ぶかしてしまう。フラッシュをたく方法はあるけれど、その場の雰囲気が変わってしまう。

 カメラの限界かと思っていたら、実はそうではないことが分かった。ビックカメラの大西さんが教えてくれた。

 カシオのHDRという仕組みである。7年くらい前に出した技術だそうで、露出の異なる連写画像から適切な明るさの写真を組み合わせてピクセル単位で合成する。黒潰れや白飛びのない写真ができる。

 実際にやってもらったところ、いや、もう、本当に、びっくりした。私のこれまでの悪戦苦闘は何だったんだ。これは文字で説明するより家電量販店などで実際に店の人に実演してもらうほうがいい。百聞は一見にしかずである。ライカもニコンもパナソニックもソニーもこの技術を導入できていないはずだから、価値は非常に高い。

 にもかかわらず、このHDRをカシオは前面にPRしていない。PRにお金をかけない社風なのである。パンフレットでも全く強調していない。もったいない。

 私の趣味の1つはカメラ売り場の“視察”だが、今までカシオのデジカメに関心を持ったことがほとんどない。迂闊であった。

 今度買うデジカメはカシオと決めた。

写真集『長倉洋海の眼』


 魅力がある写真には物語がある。磁場がある。物語も磁場も被写体が発する。撮影者は無意識に引き寄せられてレンズを向ける――のだろう。フォトジャーナリスト長倉洋海さんの最新写真集『長倉洋海の眼』の写真を見て、そう感じた。

 本書の帯にあるように、長倉さんが見てきたのは「内戦、難民、貧困、差別」だった。しかし、その環境下で生きる人間の「救い」にも目を向けてきたところが大きな特徴だろう。事実、哀しみと希望が1枚の写真に一緒に詰まっている。

 長倉さんが見つめた「救い」についての記述が本書の150ページに載っていて、私は何度も読み返してしまった。一家に1冊『長倉洋海の眼』である。

写真展「フォトジャーナリスト長倉洋海の眼」はいいぞ

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 SNSで自由に発信してくださいということなのでこれは積極的に。

 フォトジャーナリスト長倉洋海さんの写真展が東京都写真美術館で開かれている。どの写真も迫ってくる。

 長倉さんは時事通信カメラマンだったが「社命で動くのではなく自分の意思で国際報道の現場に立ちたい」と時事を辞める。ピュリッツァー賞やキャパ賞を目指して撮り続けた。

 現場はコソボや南アフリカ、アフガニスタン、エルサルバドル、ローデシアと戦火や内乱、騒動が広がる国々をはじめ、ブラジルやペルー、チベット自治区など非先進国が大半だ。同志社大探検部時代の経験が生きているのだろう。

 ギャラリートークは聞かないともったいない。厳しい生活を送っている人が何を支えに生きているのかというところに関心を抱いた話や被写体から学んだことや感じたことについての話など、どれも最高に興味深いし、こころに染みる。被写体からいろいろなことを学ぶという話は、取材者なら誰でも頷くのではないか。

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 トークの最後に質問した。「マスードさんが本を読んでいる写真がありますが、何の本を読んでいたのですか」と。大学で建築を専攻したマスードは詩が好きだったそうだ。数千冊の本があったという。

 会場で買った写真集『フォトジャーナリスト長倉洋海の眼』(クレヴィス)を今見てみると、1枚目がそれだ。マスードが寝転がって真剣に本を読んでいる。

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 5月14日まで。毎週土日は13時から長倉さんのギャラリートークがあるので、行くなら週末がお勧めだ。こういう場でご本人が目の前にいてサインをもらえるというのに写真集や図録を買わない人は、取り返しがつかないもったいないことをしていると私はいつも不思議に思う。

 土門拳賞を受賞したプロ中のプロだが、実際にお目にかかると被写体に対する目線が穏やかで優しい。被写体との距離を一気に詰めることができる人柄を感じた。

土門拳賞『新宿迷子』が表現した人間の業

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 見た瞬間に引き付けられた。第36回土門拳賞を受賞したヤン・スンウーさんの写真である(24日付『毎日新聞』朝刊掲載)。

 記事によると、ヤンさんは東京新宿・歌舞伎町の路上の段ボールで暮らしながら写真を撮ったという。だからこれだけの被写体を撮ることができたのだろう。

 1982(昭和57)年春、大学進学で上京した私に山一証券マンだったおじから「浩史君な、あのコマ劇の奥には行かんように」と言われた。大学1年の頃歌舞伎町のディスコに数回行ったことがあるけれど、楽しいと思えなくて、それ以来ディスコに行っていない。お酒が苦手なので、ますます歌舞伎町に行く理由がなく、おじの言いつけを数年前まで守ってきた。

 その歌舞伎町でヤンさんは被写体を見つけ、写真集『新宿迷子』にまとめた。これが土門拳賞を受賞したのである。私がほとんど近づかなかった歌舞伎町で被写体を追いかけたヤンさんの写真家としてのプロ意識に圧倒される。

 ヤンさんの写真には人間の「業」が写っている。だから破壊的なインパクトと熱量があるのだ。

 そのうちどこかでヤンさんの写真展をするだろう。見に行かなければ。

 

 

毎日新聞社に表彰される

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 えっへん。おっほん。げほげほ。毎日新聞社から表彰状とデジカメが届いた。毎日新聞社賞とキヤノン賞をいただいたのである。

 ホードー写真家としての記念すべき第一歩であるな。土門拳賞に王手をかけたも同然であるな。「王手金タマー」と叫びそうになるぞ。違うか。

 ここで『朝日新聞』と比べておこう。似たような写真選考をしているからだ。

『朝日』の年間賞の発表は見開き2面を使う。『毎日』は1面。

『朝日』の審査委員長は外部の田沼武能さん。『毎日』は各本社の写真部長。

『朝日』は表彰式があるようだぞ。いいなー。『毎日』はない。やればいいのに。

 でも、『毎日』はデジカメをもらえる。『朝日』はそのようなプレゼントはなさそうだ。

 私はキヤノンの新製品IXY210を受け取った。どうせならニコンのカメラが欲しかったけど、そんな失礼なことは言うまい(←言うとるがな)。センサーは小さいが2000万画素あり、24ミリ〜240ミリをカバーする。小型だからふだん持ち歩くカメラとしてはこれでいい。

 このデジカメで今年も毎日新聞社賞を狙おう。表彰状は額に入れて飾る。けっこうウレシイのである。

 そこでお願いだ。次回以降は格調高く毛筆で書いてくれ。毎日新聞社は書道界と強いつながりがあるんだから、書道家に書いてもらえばよろしい。書道家だって喜ぶよ絶対。ワシも喜ぶけん。
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