同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて5000回超

車谷長吉さん

中公文庫偉い! 車谷長吉さんの『漂流物・武蔵丸』刊行

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 新聞広告で中公文庫が車谷長吉さんの作品を集めた『漂流物・武蔵丸』を出したと知り、すぐにアマゾンで注文した。そのあと駅前のサクラ書店に行ってみたら平積みしてあるのではないか。思わず手に取り、ぱらぱらめくって、そのままレジに。とにかくすぐ読みたい。私にとって車谷長吉さんの小説は覚醒剤みたいなものなのである(覚醒剤はまだ経験がない)。

 なかなかいい編集で、特にいいのは『抜髪』を入れてあることだ。読み終えてガックリくる『三笠山』を入れていれば完璧だが、それは中公文庫の第2弾を期待して待つことして、さっそく駅前のドトールで読み始める。

 巻末に掲載してある高橋順子さんのエッセイも、車谷長吉さんの異様ぶりが好意的(?)に伝わってきて、物書きを配偶者に持つといいなぁ。

 というわけで、中公文庫よくやった。

“前祝い”で買った車谷長吉さんの100部限定本『抜髪』

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 ヤクオフで見つけたそれは通常より1万円安かった。あることの“前祝い”として、手に入れようと思った。いつもなら競争相手が値をつり上げてくるのだが、夏休みなのか、競争相手が出て来ない。おかげで落札することができた。

 車谷長吉さんの署名と押印がついて100部限定の古本『抜髪』である。もちろん『抜髪』は『車谷長吉全集』に収録されているので何度も読んでいる。何度も読んでいるけれど、車谷長吉さんの署名押印つきの100部限定本なら持っていなければならない。

『新潮』1994(平成6)年8月号に掲載され、白州正子が「敢えて言うなら神さまに対して書かれたものだ」と論評するなど話題を呼んだ作品である。母親が飾磨の方言で息子の勘違いと増長を窘める、そんな作品なのだが、読んだ瞬間に「これだっ!」と思うた(車谷さん風)。

 こんな書き出しだ。

《「あのな。ええことおせちゃる。」
「あんた阿呆(アホン)なっとんなえ。ぼけとんなえ。人の前でわが身が偉い、いうような顔、ちらとでも見せたら、負けやで。それでしまいやで。」》

 母親の窘めは続く。

《「世ン中見てみな。みな自慢しとうて、しとうて、うずうずしとってやが。あれは最低の顔やで。みな自分をよう見せかけたいん。舌(ベロ)まかしたいん。やれプライドじゃ、へちまじゃ言うて、ええ顔したいん。あんたも、ええ顔したいんやな。ほう。」》

 奇妙な光景を見てずっと感じてきた違和感が溶けた瞬間だった。零細企業経営者とその家族が破滅に至る、全く救いのない『三笠山』とこの作品は車谷長吉文学の双璧を成す。

 というわけで、“前祝い”は準備できた。

 ところが、困ったことになった。祝い事が生じなかったのだ。「あれ?」と肩すかしを食らった感じ。

 しかし、長年求めてきたこの本が手に入ったのである。よしとすべきであるな。

 などと書いていると、
「いつも何かにつけて“前祝い”だの“せっかくだから”だのといって散財してますよね」
 鋭いツッコミを受けてしまった。

 祝い事がないのに、“前祝い”で2万円(笑い)。

 

欲しい! でも、じゅ、じゅ、じゅ、じゅうごまんえん!

 探していた本をヤクオフで見つけた。車谷長吉さんの私家本で、『二人の女』である。わずか99部で、市販されていない。それがヤクオフに出てきたのである。

 価格は15万円。

 私はこいつをゼニ儲けの権化と思うた。天誅! 死ねッ。とまぁ、車谷さん風に感想を言うとこうなるのだが、15万円ねぇ。車谷長吉さん命の私でさえ「これは暴利だ」と思うた。

 2万〜3万円なら買うのだが。

車谷長吉『二人の女』



姫路の喫茶店バークリーは車谷長吉さんの生家の近く

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 車谷長吉さんの生家に通うようになり、通うと言っても前を往復するだけの、どう見ても不審者なのだが、それほど遠くないところにある喫茶店がここバークリーである。

 4月に初めてマスターと言葉を交わし、車谷長吉さんの話をした。7月末、久しぶりに店を訪ねた(もちろんその前に車谷長吉さんの生家の前を往復済み)ところ、注文を取りに来たマスターが「えーっと、以前来てくださった……」と私を覚えていた。私はマスク姿なのに。

 広島の名喫茶店てらにし珈琲のマスターも客といつも注文するメニューを覚えているスゴ腕で、顔と名前を覚えるのが、というよりそもそも記憶力の悪い私はただただ感嘆するしかない。お客さんを覚えるのは商売の基本である。と私がエラそうなことを言う資格は全くない。

 バークリーに立ち寄るのは、車谷長吉さんの同級生に出会えるといいなぁというヨコシマな狙いがあるわけだが、今のところ実現していない。

 外観のおしゃれな、なかなかいい店である。滅多に来ない客の顔を覚えているマスターも立派である。


 

 

今日は車谷長吉さんの飆風忌

 5月17日は車谷長吉さんの飆風(ひょうふう)忌である。

 先日たまたま読んだ『週刊現代』に高橋順子さんのインタビューが載っていて、これから車谷さんの全集に取り組むという話だった。全集は3巻まで出版されているので、第4巻である。車谷さんらしい筆禍を招いた数々の小説が積み残されているらしい。関係者の了解を取って出版できるのは高橋順子さんしかいない。

 確か4年後に姫路文学館で車谷長吉展が開かれる。それをメドに出版にこぎつく計画なのかもしれない。車谷長吉命の読者には待ち遠しい。

 代表作『赤目』は年中持ち歩き、爪を立てて読んだ。読むたびに目から血が迸った。『三笠山』の救いのなさに私は救われた。姫路市にある生家の前の狭い道を何度も言ったり来たりしたのはストーカーと言うべきかもしれない。車谷さんが散歩した東京の根津神社を一時期死ぬほど通ったのもストーカー的かもしれない。

 というわけで、飆風忌である。


 

 

夏目漱石『こころ』の「軽蔑」


 大学時代に読んだような記憶がある。それなりに恐ろしかった。今読み返し、全く別のところに戦慄した。いろいろな読み方ができることが名作の条件の1つと言われていて、今回読み返して新しい発見をした『こころ』は私ごときが言うまでもないのだが名作なのである(エラソーなことを書いてしまって漱石先生ごめんなさい)。

 今回の私の発見は、先生について《他(ひと)を軽蔑する前に、まず自分を軽蔑していた》という記述があることだ。わが車谷長吉さんの『盬壺の匙』を思い出した。車谷さんの自殺した叔父を弔う作品である。この小説の中で叔父は和辻哲郎の『ニイチェ研究』の余白に青インキで「俺は自分を軽蔑できない人々の中に隠れて生きている」と記していた。

『こころ』の先生と『盬壺の匙』の叔父の共通点がここにある。と、ここで書いて気づいた。どちらも主題は「自分の軽蔑」なのである。『こころ』の先生も『盬壺の匙』の主人公も最後に同じ一点に向かうのは当然なのだ。

「自分の軽蔑」は恐ろしいことだが、人間に深みを与える。そこが文学のテーマになるということか。

 つい先日、大学時代の友人K(偶然にもK)に会ったときのことだ。『こころ』に「自分を軽蔑」と書いていると話したところ、Kは「そういえば、あったな」と即座に反応したので私は驚いた。私は読んだばかりなのでこの小説の話ができるのは当然として、Kが読んだのは昔昔である。ほー。Kを見る私の目が変わった。私と同じ阿呆だと思っていたら、いやいやとんでもない。それにしてもK(笑い)。

 

 

『太陽の季節』と『赤目四十八瀧心中未遂』の虚点

 三島由紀夫が『小説とは何か』(1968〜70年に『波』で連載)でこれぞ小説と絶賛したのは『遠野物語』で炭取りがくるくる回る場面だった。回るはずのないものが回ることで霊と現実に橋を架けたわけで、車谷長吉さんは三島の絶賛を元にして虚点の重要性を書いている。

 で、気づいた。

 石原慎太郎の『太陽の季節』(1955年芥川賞)の障子破りは虚点だと。有名すぎる場面なのでその表面的なところに話題が集まってしまったが、石原慎太郎は用意周到に虚点を置いてた。

 ここでさらに気づいた。わが車谷長吉さんの『赤目四十八瀧心中未遂』(1998年直木賞)で主人公はアヤちゃんと抜かずの3連発をする。そこが虚点なのだ。

 親しい女性が『赤目』を読んで「抜かずの3連発ってできるんですか」とかつて質問してきたことがある。「そこは小説だから」と答えたのに、虚点だとまでは私は気づかなかった。

 車谷さんはすでに亡く石原さんとは面識が全くないので障子破りを虚点として書いたかどうか確認のしようがないのだが。



今日は車谷長吉さんの飆風忌

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 5月17日は車谷長吉さんの飆風忌である。飆風忌で検索しても、去年私が書いた文章が引っかかるだけで、ほかに誰もネットに書いていない。これが増えるまで私は毎年書く。

 さて、丸善150周年記念で復刊された朝日文庫『銭金について』を車谷長吉さんを偲びながら読む。車谷文学には救いがある。忘れ去られていい小説家ではない。ましてや新型コロナ騒動の今、なおさら読まれるべきである。

 アマゾンでは古本が高値で売られているけれど、丸善やジュンク堂に行けば『銭金について』が定価で売られている。

 なお、私が好きな車谷さんの小説は『三笠山』である。お金に追い詰められていく自営業の家族を描いた小説で、そこには救いが全くない。だから読み手は救われるのである。

ヤクオフの落札価格を上げる性悪のワシ

 ヤクオフに車谷長吉さんの色紙が出品されていた。最低入札価格は5000円。出品者の落札希望価格は4万5000円。

 説明に「本のサインはあるけれど色紙は見たことがない」と書いてあるが、それは違う。車谷長吉さんの色紙は3万円くらいで古書店で売られている。4万5000円はさすがに暴利のトンチキ野郎である。

 というわけで、私がまず入札した。5000円。誰も気づかなければこの価格で私が落札できるわけで、大変安い買い物になる。

 しかしオークション最終日に見たら、5700円になっていた。私の他に2人が入札したようだ。

 車谷長吉さんの色紙をこんなに安い価格で終わらせるわけにはいかない。タイムリミットの15分前、私は入札した。6000円7000円8000円と入札するが、私が最高価格にならない。車谷長吉さんの色紙は2万円でも安いので、入札価格を上げてゆく。

 1万5000円で私がトップに。しかしすぐに追い抜かれた。おお、来たな。安い落札価格になることを好まない出品者が釣り上げている可能性がないではない。そのウタガイを抱きつつも、車谷長吉ファンの私は落札価格を少しでも上げることにした。

 車谷長吉さんの色紙を不当に安い価格で私以外の人間に落札されるのは許せない。ワシは性格悪いノダ。

 2万円。2万1000円。2万2000円……。2万6000円。2万7000円。この辺りから私は慎重になった。競争相手の入札価格を上回るのはいいが、そのあと競争相手が私を上回る入札をしなければ、私が買わなければならない(笑い)。

 2万8000円。競争相手の入札価格のほうが上らしい。2万9000円。これでも相手が上。恐る恐る3万円入札する。相手が上。ほっとする。

 3万1000円の入札はやめた。私の猛攻で車谷長吉さんの色紙は3万円にまで価格が上がり、これなら妥当な価格だ。落札者がどう感じたか知らないが、車谷長吉さんの市場価格を守ったワシはマンゾクである。やっぱり性格悪いな。


 

四国八十八カ所参りに行けないので走り初め

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 年末の30日に「そうだ、四国八十八カ所参りがあった!」と思いついた。あのとき必死こいて一番札所に飛んで行っていたら1週間弱は歩くことができたはずで、今ごろ徳島のどこかをさまよい歩いていた。知識も準備も何もないからと一瞬ためらったのは不覚だった。かっこうの取材場所だったのに。しかも年末年始だからパソコンもスマホも置いて歩くことができたのに。寒い時期だが寝袋持参で適当に野宿すればなおさらいい取材ができたのに。

 とりあえず「るるぶ」の最新版『四国八十八カ所』を買って自宅で静かに目を通していたときに「そういえば」と気づいた。わが車谷長吉さんの『四国八十八ケ所感情巡礼』(文藝春秋)とお連れ合いの高橋順子さんの『お遍路』(書肆山田)をヤクオフか何かで買って持っているではないか。

 さっそく元日から読み始め、2日で読み終えた。車谷さんは徳島県がゴミだらけだと執拗に書く。うんこの話が続出する。アマゾンのレビューを見ると深い解釈ができない人が愚かな感想を書いていたけれど、生きるということは物やうんこを排泄することと表裏一体なのである。

 車谷さんは高橋順子さんをネタに悪口雑言を並べる。寺の名前を具体的に挙げて批判する。御利益を求めない人ほど手ごわい人はいない。車谷さんが吐く毒は人を的確に刺す。

 高橋順子さんの『お遍路』はさすがに品がある。しかし、点と点を車や観光バスで楽をして繋ぐお遍路さんに対しては車谷さんと同じように厳しい懐疑の目を向ける。もとより私は歩くつもりだったので何度も深くうなずいた。

 八十八カ所を歩く絶好の機会を逸したので、やむなく走り初め。

 

 

映画『赤目四十八瀧心中未遂』は駄作

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 車谷長吉さんの直木賞受賞作『赤目四十八瀧心中未遂』を私は恐らく100回以上目を通していて、映画を恐る恐る見た。ひとことで言えば駄作である。

 この小説につきまとう不気味な通奏低音を、人形と暮らす老夫婦に仮託したのは名案だと思う。しかし、この仕掛け以外はすべて期待を大きく下回った。映画にも文学にも詳しく批評能力の高い友人に聞いたが同じ感想だったので私は自信を持って言う。駄作である。もう少し具体的に言えば中途半端。谷崎の『卍』の映画も冒頭数分で欠伸が出たが、そもそも名作を映画化するのは無理があるのだ。

 俳優も無理があった。アヤちゃんはぞっとする美しさを持つ女優が演じなければならないのに脱ぎっぷりのいい寺島しのぶを持ってきた。壇蜜か亡き夏目雅子か、背筋が寒くなるくらいの美しさを持つ女優でなければ務まらないのがアヤちゃんなのに。

 主役の生島を演じた男優はハンサムすぎて合わない。トレンディードラマ向きなのになんで? セイ子ねえさん演じた大楠道代を私は買うが、大阪弁が下手だと友人は言う。この友人は「なぜ大阪の俳優を使わないのか」と言っていて、思わず納得した。眉さんが内田裕也というのも、その意気は買うが大きな溝を感じた。内田裕也は線が細すぎる。

 小説ではドキドキする場面(電話ボックスに5万円取りに行く場面と拳銃を事務所に持っていく場面)を映画ではあっさり描いてしまい、あーあと言うほかない。

 この映画はいろいろな賞を与えられた。例えば、第58回毎日映画コンクールは日本映画大賞、女優主演賞(寺島しのぶ)、女優助演賞(大楠道代)、撮影賞(笠松則通)、スポニチグランプリ新人賞(大西滝次郎)だって。

 きみたち原作読んでないな。

 

車谷長吉さんの飆風忌

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 2015年5月17日の朝、車谷長吉さんは搬送先の日本医科大病院高度救命救急センターで亡くなった。配偶者で詩人の高橋順子さんが千葉の朝日カルチャーセンターで先日「飆風忌にしようと思う」と明かし、今日が初の飆風忌である。

 どこも報じていないようなので、これは文学界のささやかな特ダネだ。

 この日のその時間帯、偶然だが『車谷長吉全集』第3巻を読んでいて、残っていた最後の「私小説」と「現代の隠者」という短いエッセイを読み終えたことで全3巻の全集を読み終えた。1週間ほど前から「もしかして」と思っていたのでこの時宜に驚きはなかった。しかし、車谷さんふうに書けば、この奇縁は何ごとかではある。こじつけだが。

 車谷長吉さんの飆風忌。自作である。自然に五七五になっている。据わりがいい。

 

白山グリーンハイツって

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 東京・白山をふらふらと歩き、東洋大を通ってまた表通りに出る手前で見つけたこの看板に「えっ!」と声が出た。白山グリーンハイツ?! 見覚えのある名前だ。車谷長吉さんが暮らしていた建物ではないか?

 帰宅して著書をひっくり返すと、1983(昭和58)年8月4日、38歳のときに再び東京に出てきて1DKの部屋を借りたのが白山グリーンハイツと記している。やっぱり。

 1983年といえば私は20歳。杉並区で暮らしていたころだ。いや、私の1983年はどうでもいい。車谷さんが住んでいたハイツ(といってもけっこう大きかった)がまだあったとは。

 もう一度見に行こうっと。住みたいけれど耐震性が気になるなぁ。


 

44歳女性教師が中学男子をデートに誘い


 男子中学生にキスなどをしたとして、担任だった市立中の女性教諭(44歳)が懲戒免職処分を受けた。新聞によると抱きしめてキスをしていたそうな。場所は校舎内や千葉ディズニーランド、葛西臨海公園。

 私が感動したのは女性教諭の「いけないことだと分かっていたが、気持ちを抑えられなかった」という発言である。建て前の兜を脱ぎ捨てた人間の魂がそこにある。既婚者だそうだが、そういうものを突き破って進んでこそ「好き」と言っていいのである。

 セックスまでは至っていないようだ。健全な心身なら教え子とセックスしたかったはずで、にもかかわらずキスで止めたのだから、蛇の生殺しのようなつらさではなかったか。

 車谷長吉さん式に言えば、生が破綻したときに人生が始まる。私が先生と知り合いなら車谷長吉さんの『人生の救い』(朝日文庫)を贈るのだが。

 夫は深く傷ついただろうが、世の中ではよくある出来事の1つに過ぎないし、誰かの命が奪われたわけでもない。人を好きになるこころには烈しさが宿るというお手本を示してくれた先生に幸あれ。


瀬戸内寂聴さん『花芯』の核心


 私は顔がのび太なので癒やし系と勝手に油断してくれるのでシメシメとほくそ笑むのだが、瀬戸内寂聴さんはもっとひどい。ただでさえ御利益がありそうな坊主姿にあの柔和な顔。しかしだまされてはいけない。

『花芯』は寂聴さんの私小説に近い。

 私は車谷長吉さんにひれ伏しているが、車谷さんが近づけないくらいの冷徹さというか、感情が凍り付くようなものを持っているのが寂聴さんだ。あの柔和な顔からは想像できない孤立(独り立つ)の精神とでもいうべきか。すさまじい。

 寂聴さんの内側から皮膚を破って表面に出てきた厳冬があらゆるものを破壊しながら突き進む。それに触れたらこっちまで凍り付く。

 ほれぼれした場面の1つがこれ。

・・・・・・・・・・

「ね、かわいいでしょ」
「いいえ」

・・・・・・・・・・

 しびれた。

 予定調和や気づかい、和、場、忖度、付和雷同、長いものには巻かれろ、しがらみなどなど世の中に蔓延している空気と闘ってきた人なのだった。さらに言えば寂聴さんの文章は美しい。何度も舐めて舐めて舐め尽くしたくなる美しさがある。

 その昔『毎日新聞』夕刊用に電話で寂聴さんの取材をしたことがある。寂聴さんの大ファンに話したらたいそう羨ましがられたが、あの当時に読んでいれば質問が深くなっていたはずで(仮定法過去完了)、質問に阿呆ぶりが出てしまうのであったな。

 徳島市にある寂聴さんの記念館は実家から歩いて10分くらいの近さ。今度帰省したら行かなければ。

また手に入れた車谷長吉さんの署名落款入り本

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取り憑かれたように買ってしまった。車谷長吉さんの署名落款入りの『赤目四十八瀧心中未遂』である。すでに同じ本(署名落款入り)を持っている。ああそれなのに。魔が差した。しかし、安く買うことができたから、これでいいのである。

 私の部屋には車谷長吉さんの署名が20以上ある。1つ1つに魂が宿っているとすると20以上の魂が空中でふわふわと漂っていることになる。枕元に並べて寝ると何となく寝付きが悪く、寝汗が出て、時折うなされる。車谷さんの魂の仕業だとしたらこんなにうれしいことはない。

 世に出回っている署名落款入りの車谷さんの本や色紙を全部集める――。これが当面の目標だな。

 何のために? それが分かれば苦労はしない。私が死んだあと贈呈できる場所があるといいかもなぁ。

車谷長吉さんの署名本が2冊届いた

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 車谷長吉さんにひれ伏している私は署名本をかき集めている。署名と落款に車谷さんの魂が乗り移っているような気がして、ということは私は車谷さんの魂に触れようとしているのか。

 今日届いたのは『贋世捨人』と『金輪際』である。署名と落款があって妥当な価格であればすでに持っている本であっても迷わず手に入れることにした。この2冊も見つけて30秒以内に落札した。

 これで署名・落款入りの車谷長吉本は22冊か23冊か。まずは50冊を目指そう。

 何のために? 分からない。しかし1つ言えることがある。激烈な愛である。

車谷長吉さんと西村賢太さんの両方を読むという人は

 年賀状に「車谷長吉さんにひれ伏している」と書いたらその翌年の年賀状に「車谷長吉さんも西村賢太さんも全部読みました」と書いてきた女性がいて、それは私と異なる。一緒にされたくないのである。

 作風も書いていることも全く違う。風俗に行きまくってきた西村賢太さんとその辺は案外禁欲的な車谷長吉さんという点でも激しく異なる。育った環境も全然違うから、そこから生まれる世界“感”が似ているわけがない。一緒くたにするのは双方に失礼だろう。

 それぞれの個性が屹立していて、相性が抜群の読者はピンポイント攻撃を受ける。というわけで、私は西村さんの小説には惹かれない(きっぱり)。何冊か読んだけれど。いいやつだと思うけど。ま、そういうことである。

車谷長吉さんに始まり車谷長吉さんで終わった2018年

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 一時期狂ったように車谷長吉さんの署名本を漁った結果がこれ。同じ本でも構わず落札したり買ったりした。ざっと20冊。

 車谷さんに首根っこをつかまれて連れて行かれるのは賽の河原か奈落か。

 さかしらに反吐が出る私には阿呆がよく似合う。2019年は愚かしさを追求して、阿呆を極めるノダ。

車谷長吉さんを追いかけて見つけた『とい』と『三田文学』

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 いろいろな単語で検索すると、それまで未発見のものを見つけることがある。その1つが『とい』第5巻第1号(書肆とい・1991年3月発行)である。奈良の古本屋にあったので送ってもらった。

 この数カ月前(1990年12月31日)に高橋順子さんは車谷長吉さんの訪問を受け、曙橋駅近くの喫茶店で向き合っている。何も語らず不気味だった車谷長吉さんと店を出たとき「こんな澄んだ目の人は見たことがないと思った」のだった。車谷長吉さんの存在を明確に意識した時期の『とい』である。

 もう1冊は車谷長吉さんの没後1年過ぎての『三田文学』127号(2016年11月発行)だ。三田文学会のサイトで注文した。慶應義塾大で車谷さんの後輩だった前田富士男さんと新潮社編集者として育てた前田速夫さんの対談は車谷長吉さんの死が事故かそうでないかというすさまじい話から始まる。私は前田富士男さんの見解に近い。

 というわけで、車谷長吉さんと高橋順子さんを追いかける読書が続く。

中村文則さんと又吉直樹さんのトーク

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 中村文則著『あなたが消えた夜に』(毎日文庫)創刊記念の又吉直樹さんとのトークに行って驚いたのは会場の男女比である。ざっと見た感じだが女性が85〜90%を占めた。先日の村西とおる監督の比率の逆である。

 これだけ大勢の女性のお目当ては中村文則さんなのか又吉直樹さんなのか? あるいは両方なのか?

 この2人を見た瞬間に私の脳に浮かんだのは車谷長吉さんだ。芥川賞候補になること2回。圧倒的な小説なのに落とされ、こころを病んだ。『赤目四十八瀧心中未遂』で直木賞をもらったのは53歳ごろだった。『赤目』はもとより、車谷さんの芥川賞候補作2編が中村又吉作品より劣っていたとはどうしても思えない。車谷長吉派(派なのか?)としては「あんたらラッキーやったね」という複雑な思いで2人を見た。

 さて。質疑応答の時間である。つい「はい!」と元気な声を出して手を上げたのは私だけだった。ほかの人は黙って手を上げている。手を上げるとき「はい!」と声が出てしまう私は小学生並みの頭なのかもしれないな。

 司会の女め、私を指さなかった。4〜5人指されたのは通路側に座っていてマイクを渡しやすい座席にいた人ばかり。私は20人席の真ん中だったので、マイクの受け渡しの時間を考えて避けたのだろう。

「登場人物にどれくらい実在のモデルがいますか。自分の経験をどれくらい使いますか」「新潮社や文藝春秋に比べると毎日新聞社には文芸の編集者がほとんどいないと思うのですが、新聞連載で編集者が役立たずで困るのではありませんか」「又吉さんの連載『人間』は観念論に陥っていると思うのですが、又吉さんはそう思っていないのですか」。この3つを聞きたかったんだがなぁ。

車谷長吉さんの小説『大庄屋のお姫さま』

 農地解放を機に没落し、代が途絶える家を描いた。お姫(ひい)さまの独白を聞くのはどう見ても車谷長吉さんで、ここにリアリティーの仕掛けがある。車谷さんの一族も農地解放で土地を失ったから、物語として重なるところがある。

 裕福だった「それまで」と右肩下がりの「それから」を描き、末裔に何らかの問題があることが没落を招く様子を書き込んだ。本書では16代が最後になるのだが、16代も続くのはよほどしっかりした家なのである。私なんぞ何代目か数えられないもんね。私はひい爺さんまでしか知らないし、小学生のころ親に祖先を聞いたときは「ドン百姓じゃ」という夢のない答えが返って来ったから、その辺の水呑百姓だったのである。

 しかし、こういうのが途絶えても誰も気づかない。底辺層には栄枯盛衰の「栄」や「盛」がない。ひたすら「枯」と「衰」の中を泥にまみれて匍匐前進するだけだ。

 そもそも私が家なんてものに懐疑的なので、実はどうでもよく、何代当主などと聞くと「お疲れちゃん」と言いたくなる。そんな意地悪な目をこの小説を通して車谷長吉さんに感じるのは間違っていないはずだ。

 だから車谷長吉さんの小説は面白い。


 2006(平成18)年の『文學界』9月号に発表。

車谷長吉さんの小説『深川裏大工町の話』雑カン

 小説にせよ映画にせよテレビドラマにせよ「場所」の持つ歴史や印象が作品中に通奏低音のように流れるもので、例えば瀬戸内寂聴さんの晴美時代の小説は徳島の情景から書き起こしたものがいくつもある。

 車谷さんは東京の下町「深川」を選び、さらにその中から「裏大工町」という地域を選んだ。そこには意図があり、読み進むうちにそれが見えてくる。

 1930(昭和5)年生まれの男の独白形式で話は進む。貧しい時代と戦争の時代を語り、特に東京大空襲の惨状を詳述し、戦後東宝の役者になったというところで突然終わる。モデルがいるのかどうか私には分からない。

 最終段落にさらっと書かれた《親父は決して朝鮮人のことを悪く言わなかったね》に車谷さんの姿勢が出ていると読むのは的外れではないだろう。

 なお、深川裏大工町の地名は今はなく、江東区清澄3丁目という名称に変わっている。

 2005(平成17)年の『文學界』8月号に掲載。

車谷長吉さんの小説『阿呆物語』雑カン


 阿呆が服を着ているのが人間である。自分が阿呆だと気づいている人間は少なく、そこに悲喜劇が生まれる。

 阿呆の原因はいくつかあるけれど、悲喜劇を生む大きな原因が愛という仮面を被った性欲である。どれほど大勢の人がコレで人生を棒に振ったことか。報道を見ただけでも女子生徒に手を出した教師や強姦野郎、警察から逃げる男に走る人妻など、人間の悲喜劇がこの世で演じられている。ある意味でしあわせなことかもしれな

 さて、『阿呆物語』と言えばグリンメルスハウゼンだが、車谷長吉さんは同じ題名で性欲に踊らされる人間を描いた。「母と息子」「恩師の妻と教え子」を中心に性に溺れる阿呆さを抉る異色の小説である。劣情を刺激するポルノ小説と一線を画しているのは車谷さんらしい昏さが全編を覆っているからだろう。どの登場人物も業を抱えていて、そこがまた昏さを際立たせる。

 2005(平成17)年の『新潮』6月号に発表。

 

車谷長吉さんの小説『桃の実一ケ』雑カン


 車谷長吉さんの母親らしい女性に語らせている。女性は家の因縁と滅亡を嘆く。

 冒頭から車谷さんの世界が昏い口を開けて待ち構える。

《どこの家でも、何どかど言うことがある。因縁がある。呪いがある。悪いことがある。思うように行かへんことがある》

「はい。さん、にい、いち」と数えられて催眠術にかかるような仕掛けだ。

 そのあと出てくる単語や表現を拾ってみる。

 一生独身。生まれ付き頭が誤邪(ごじゃ)。重度の心身障害者。一生吃り。一生苦しんだった。祟り。入学試験に落ちた。ひねこびてしもた。廃人。嫁にも行かんと。死恐ろしい子ゥ。卒業アルバム、全部、庭で焼いてしまうし。無一物。ごみ。ド阿呆が。無能者(ならずもん)。業苦や。娑婆苦や。失業。悪因縁。糖尿。心臓が悪い。狂い死に。出棺。卑怯未練な女(おなご)。苦ゥの世界。罪。罰。極道者。不貞腐れ。銭。

 車谷さんらしい言葉の選び方や表現がある。大江健三郎さんが『新しい文学のために』(岩波新書)で記した言葉の「異化」の具体的な例そのものではないか。

 2004(平成16)年の『群像』10月号に掲載。


 

『密告』雑カン

 「あいつは実はこんな糞野郎ですよ」「あの人がやってることは詐欺師に近いです」、「ああ見えてあの男は差別主義者なんだから」などと誰かに告げたくなった経験が一度もない人はしあわせ者かお調子者か理非曲直が見えない人である。

 だからといって実際に言う人はそうそう多くはないだろう。人を射ようとした矢は自分に向かうからだ。自分に対して苦々しく後ろめたい思いを抱え込むことになるので精神衛生上よろしくない。それが最初から見えているから賢明な人は口をつぐむ。

 では実際に言うとどうなるかというのがこの小説だ。車谷長吉さんらしく人間の昏いところを執拗に描いていて、酷い最後で終わる。

 漱石の『こころ』がほんの少し下敷きになっているのではないかと思ったのだが、どうだろう。

 2004平成16年の『新潮』4月号。

『忌中』雑カン


 何ともやりきれない話だが、死に方として悪くないとも思う。

 67歳の主人公はリウマチで苦しむ妻と心中するつもりが死にきれず、自分を追い詰めてゆく。健康ランドで働く女性マッサージ師と知り合い、サラ金から多額の金を借りて彼女に衣服を買い与える。そこには何の下心もない。あるとすれば墜ちた者への共感、だろうか。

 自宅では妻の亡骸が朽ち果ててゆき、サラ金からの取り立てが始まり、男は。

 小説の最後に5月27日付の『朝日新聞』夕刊の記事が引用される。時間がある時に図書館で確認するけれど、嘘だろう。新聞記事に必要な最低限の要素や用語が欠けているからだ。しかし、まるで本当の出来事であるかのような仕掛け(新聞記事)が最後に示されることで、読者は「これ、全部本当の出来事なのか」と遡って錯覚する。そこが車谷さんの狙いではないかなぁ。

 2003(平成15)年の『文學界』10月号に発表。車谷さん58歳。老や病、死が見えてくる年代だからこそ書くことができたテーマだろう。愛妻家でありたいなと思った。遅いけど。


 

『飾磨』雑カン

 最初から最後まで徹底的に昏い。そもそも車谷長吉さんの小説に希望や明るさ、笑いを求めてはいけないのである。

 工場勤務の夫が手足を切断してしまう。退院後に求められ、思わず妻は夫を突き飛ばす。ひっくり返ったザリガニが起き上がろうとするような格好の夫。

 夫は自殺する。その自殺を妻は止めなかったのか気づかなかったのか。

 たね違いの姉の夫と関係ができる。姉は気づいているような気づいていないような。

 墓石の中にうずくまるシマヘビ。車谷さんはヘビをよく登場させる。

 2003(平成15)年の『文學界』4月号に発表した。

 飾磨は車谷さんの古里である。描写が細かいのはそういうことだろう。土着性の何かが漂う土地を舞台にすることは、小説の舞台設定をするうえで大変重要なのだなぁ。今年こそ飾磨をしかと歩いてみよう。

『古墳の話』雑カン


 冒頭「光市母子殺害屍姦事件」の話が出てくる。死刑反対論者である社会民主党議員の大島令子さんを<阿呆、としか言いようがない。この手の女がのさばっているところに、いまの日本の根深い病巣がある>と主人公の「私」は切り捨てる。

 光市の残忍な事件も大島さんも現実だ。小説ではなくノンフィクションを読んでいるような気がしてくるところに<昔、私の女友達も強姦殺人の憂き目に遭った>と繋ぐ。これが仕掛けなのだろう。つまり、小説への入り口に一気に誘うのがここ。

 市立飾磨高校(これも本当にある車谷さんの母校)の同級生である彼女と偶然古墳で会う。古墳デートという淡いデートのあと、彼女は強姦されて殺される。小説の最後は、その女友達のために飄塚古墳の天辺で祝詞を読み上げるところで終わる。

 2003(平成15年)の『群像』2月号に発表された小説である。前年の2002(平成14)年8月に車谷さんは姫路市内にある飄塚古墳などを訪ねて回り、本当に祝詞を上げたという。こんな背景を知ると、どこまでが虚構でどこまでが現実なのか読者は分からなくなる。もしかしてすべて本当の話、ノンフィクションではないかと錯覚してしまう。この小説の凄みはそこにある。

『三笠山』雑カン


 これほど救いのない小説を私はほかに読んだことがない。神も仏も身も蓋もない凄まじい小説である。読み終えてため息をするのを忘れるほど、ぐいぐいぐいぐいと引きずり回された感がある。

 市立飾磨高校(車谷長吉さんが実際に卒業した高校)の同級生だった男女が主人公である。男は京都大医学部に合格したが、父親が交通死亡事故を起こしたためお金が捻出できず入学できない。のちに女の実家の小さな建築資材会社を引き継ぐ。しかし売掛金回収や資金繰りがうまくいかず、家族4人が追い詰められてゆく。

 ちょっとしたきっかけで躓き、世の中の景気に左右され、軌道に戻ることができない絶望を、車谷さんが腕によりを掛けて書いた。車谷さん得意の「抜かずの三連発」は死との裏表と読むべきだろう。

 2003(平成15)年の『文學界』新年号に掲載。車谷さん57歳。

『神の花嫁』雑カン


 田舎で育った私は「東京山の手の上層中産階級」を一度見てみたいものだと思ってきたが、とうとう出会うことがないまま人生の終わりを迎えている。大地から5センチくらい浮いた人々の考えや普段の暮らしを見てみたいという興味である。ツチノコを見てみたいとか雪男を見てみたいとか、そういう関心の持ち方と変わらない。

 そういえば知人の妹さんが恐ろしいほどの別嬪で、その女の子が高校生のときに彼女の家で会ったのだが、私には不釣り合いだとすぐに思った。彼女と結婚したら目が潰れるとも思った。田舎者は田舎者らしく土にまみれて生きるのが気楽である。あれでは屁ひとつこけない。その女の子は東京・銀座の有名貴金属会社御曹司と結婚した。玉の輿である。美貌に恵まれた女は私のような無名地方銀行サラリーマンの莫迦息子など歯牙にもかけないのである。もちろん私はそれでいいのだが、こんな私では小説にならない。

 車谷長吉さんの『神の花嫁』は主人公の貧乏男性が「東京山の手の上層中産階級」の女性たちとの交流と片思いを描いた小説である。ここに出てくる女性は世の中を頭の中だけで分かったつもりになっている、でもものすごい美人なのだった。主人公は女性に好意を寄せるのだが……。主人公の代わりに車谷さんが悪意を込めて呪いながら女性に復讐するかのような書きっぷりのこの小説には鬼気迫るものがある。

 2002(平成14)年の『群像』2月号に発表。車谷さん57歳。

車谷長吉さんの小説『功徳』雑カン


 車谷長吉さんの小説は人間が生きる鬱屈を拡大鏡で見せてくれる。

 長嶋茂雄がしくじることを期待してラジオを聞いて自己嫌悪。安アパートであきらめきったように息を潜めて生きている人。哀れな企業戦士の日々。息子に死なれた貧相な身なりの母親。職場の後輩を連れて出張に行った先で女を与え「あいつはまだ童貞やったが。わしはええ功徳を施した」と得意顔で喋る俗物。

 小さな挿話なのだが、ひとつひとつの衝撃が大きいのは、自分の中にある何かと微かに触れあうせいかもしれない。

 2000年、『一冊の本』9月号に発表。

古本で買った車谷長吉『妖談』に挟まれていた詩

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 止まらなくなってしまって車谷長吉さんの古本をヤクオフなどでバタバタと買い漁ったら、別々のところから『妖談』が2冊届いた。ありゃりゃ。

 ページをめくっていたら紙片が2枚。逝った男への愛が強い筆圧で記されている。

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 本物か創作か。筆圧を見ると本物かなと思ってしまうが、そこは罠だろうというのが私の見立てである。車谷長吉さんの単行本を読む女は恐らく一筋縄ではいかない。その前提で見ると、誰かが買って読むことを想定したお遊びだろう。本物なら本に挟むまい。

 本物かと一瞬思ってしまったので、ほんの少しの時間楽しめた。どこのどなたが存じませんがありがとね。

車谷長吉さんの署名落款に惚ける

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 のめり込む。陶酔する。べた惚れ。畏敬の念を抱く。狂う。ひれ伏す。私の車谷長吉さんに対する態度である。

 2015年に亡くなっているのでお目にかかることはできない。そこを何とかできないか。あ、もしかしたら色紙や署名本があるのではないか。

 というわけで、古本屋サイトやオークションサイトで熱に浮かされたように注文した。届いた本を数えると計5冊。『阿呆者』は署名落款こそ入っていないがすでに持っている(笑い)。直木賞受賞作『赤目四十八瀧心中未遂』は文庫本を持っているが、署名落款本は単行本の初版である。万感の思いを抱いて署名したに違いないと思ったので、ちょっと高かったが喉から手が1000本ほど出て買ったしもた。札幌の古本屋から送られてきた『文士の魂』はどう見ても未読の本である。私にはありがたいけど、どうなってんのよ。

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 この際車谷長吉さんの署名落款本も色紙も全部買い集めるかというオソロシイ誘惑の声が頭の中から聞こえてくる。藤澤清造の墓標を自宅に祀る西村賢太さんの足元にも及ばないが、一歩間違うと走り出してしまいそうな予感がして怖い。

 中には進呈された人の名前が入った本まで売られていて、こういう罰当たり者は100舐めの刑に相当するぞ。

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 今回手に入れた『贋世捨人』の落款がほかの単行本の落款と異なる。これはなぜなのか。文庫本と単行本で分けているのか。手間暇掛けてもそれだけ儲かるとは思えないから、偽造ではあるまい。理由を知りたいがご本人は黄泉の国。そのうち会えるのだろうけれど、この世でお会いしたかった。

 車谷長吉さんに会うために根津千駄木をまた歩こう。


 

 

 
 

『狂』雑カン


 飾磨高校の恩師・立花先生に対する愛惜あふれる追悼小説である。

 東京帝大経済漠部を出て三菱商事に入社、陥れてきた上司を殴って退社して教師になった人だという。車谷長吉さんは熱を込めて意義を語る。

<この時、立花先生の生は狂うたのである。この狂うたというのが大事である><恐らくこの時はじめて、先生の中で「精神。」という「物の怪。」が息をしはじめた。精神というものは誰の中にもあるものではなく、一生それを持たずに終ってしまう人の方が多い。世の中にあるのは、うまく立ち廻るための「世間の常識。」だけである>

 立花先生は高校時代に週1回、朝の6時から8時まで「立花塾」を始め、プラトンやアウレリウス、モンテーニュ、デカルト、ヘーゲル、ニーチェ、孔子、老子などを講じ、車谷さんは最後まで受けた。

 学生運動の波に揺れる高校で立花先生は生徒側に立ち、敗れて退職した。45歳で用事専門の学習塾を開いた。

 ストリップ・ショウで老嬢が<両手で懸命に女陰を開いて見せるのを、舞台の袖で見ていて、「先生は「あの女の哀れさは、わしの哀れさや。」と洩らされたとか。特出しに驚喜する、枉枉しい俗衆たちの中での言葉である>。

 70歳で亡くなる前に車谷さんの『盬壺の匙』を手に涙を流して喜んだというから、恩返しが間に合ったのではないか。

 2000(平成12)年の『文學界』5月号に掲載。


 

『武蔵丸』雑カン


 2001(平成13年)に川端康成文学賞を受賞した短編である。

 武蔵丸はカブト虫。1999(平成11)年7月19日に舎人公園で見つけて自宅に連れて帰り、約4カ月生活を共にした。かいがいしく世話を焼く様子が従来の車谷さんの印象をはみ出している。

 毒を刻むことを忘れてはいない。車谷さんが一軒家を買うことになり、その一軒家の所有企業の男性について<鼻はある独特の扁平な形をしたものだった。これは親が梅毒に冒された経験のある場合、その子供に現れる特異な症状である>とやった。

 武蔵丸が車谷さんの指で性行為をする様子、足がなくなった武蔵丸の様子なども丹念に描く。わずか4カ月の命を生きた武蔵丸と70年80年90年生きる人間を織りまぜ、銭に目を血走る人間の欲も加え、武蔵丸の死を迎える。余韻が残る。

 武蔵丸を悼んで一気に書き上げたと車谷さんのエッセイか何かで読んだ。2000(平成12)年の『新潮』2月号に掲載。

『一番寒い場所』雑カン


 虚実皮膜の間というほかない小説である。実在の人物(東北大教授)や車谷長吉さんの近況(浦和の精神病院で精神安定剤などをもらって服用している)、事件(浅沼稲次郎襲撃事件)が出てくるので、実話だと錯覚して読み進んでしまう。私(わたくし)小説の仕掛けなのだろう。

「一番寒い場所」について車谷さんは<心にこれをやらなけれいけないと思い決しながら、ともすればそれが実行できない部分である。行動できない部分である>と書いている。人が見たくもない部分を「ほれ」と差し出してくる車谷小説の核心と言える。

 胸に手を当てると思い当たるものがある。そこは私の弱さと裏表になっているので、うっと悶絶してしまう。

 車谷さんは腰を低くしてこの目線で物語を紡ぐ。怖いもの見たさで読んでしまう私は最後に泥の中に顔を押しつけられて息絶える。

 1999(平成11)年の『新潮』7月号に発表。

『変』雑カン



 車谷長吉さんが腕をふるった私(わたくし)小説である。虚実入り乱れているはずなのだが、読者にはどれも事実に見えるので興味が湧く仕掛けだ。

 2度目の芥川賞候補作『漂流物』を落とされたのが引き金の1つになって車谷さんは強迫神経症に苦しむのだが、そのときの銓衡委員9人の名前を、白紙を切り抜いて作った人の形をしたものに記し、配偶者が寝たあと近所の天祖神社に行き、巨木に人形を押しつけて心臓めがけて五寸釘を金槌で打ち込んだ。「死ねッ。」「天誅ッ。」と念じながら。

 これは事実か創作か。高橋順子さんが『夫・車谷長吉』(文藝春秋)に書いているので、よほど反響があったということなのだろう。

 1998(平成10)年の『別冊文藝春秋』秋季号に発表した作品だが、7月に『赤目四十八瀧心中未遂』で直木賞を受賞したあと発表した。順番を間違えていたら直木賞の受賞はなかったかな?

『白黒忌』雑カン


 デカダン女優の話のあと、こんな思い出が披露される。

 主人公の私が小学5年のとき、ヘリコプターに1人乗ることができることになった。誰を選ぶか投票することになった。クラスのみんなはそれぞれ自分の名前を書いた。ところが私には4票入った。私が自分の名前を書いたほかに、誰か3人が私を選んでくれたのである。

<私はあッと思いました。自分の名前を書かなかった子供は、わずか三人しかいないのです。私も自分の名前を書いて、自分に投票したのでした。(略)ヘリコプターに乗りたい一心で、何も思わずに自分の名前を書いたのでした。恥かしいとも思わずに、自分に投票したのでした。そういう人が、うようよいるのでした。私はこれが人だと思いました。薄気味悪いと思いました。その薄気味悪い仲間の一人が私なのでした>

 誰にでも忘れ去りたい記憶の1つや2つはあるもので、何の自慢にもならないが私は10を超える。時折それが天から刺してくるのでそのたびに私は「うっ」と悶える。年齢が上がるにつれて悶える回数が増えてきた。天から「死ねっ!」と言われているような気がする。

 1998(平成10)年の『文學界』6月号に掲載された。

『物騒』雑カン


<暗がりから女が私に近づいて来て、「志山さんはね、あなたにも通夜に来て欲しかったんですよ。」と言うた>

<おびただしい数の墓石の列である。これほども多くの人が、かつてこの世に生きていたのだ>

<「誰の墓を捜しているのです。志山さんの墓ですか。私の墓ですか。」>

 1995(平成7)年の『新潮』9月号に発表した。葬儀だの墓だのを詰め込んだ短編である。どうしようもなく昏い。

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