同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて5000回超

ジャーナリズム

『毎日新聞』紙面改革案その1

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 新聞記者が原稿が上手だというのは幻想でしかない。しかし当の記者が気づいていなかったりする。『毎日』に限らず、『朝日』も『読売』も定期コラムを持つ記者は社内政治で決まる。

 自分の実力を客観的に判断できないまましょーもないコラムを書き続けることは、私のようにお金を払って買っている読者に失礼である。

 今回は指摘せざるを得ない。半藤一利さんの絵本の<戦争だけは絶対にはじめてはいけない>という文にはっとした記者は、コラムの結びで<今も私の頭の中では、「はじめてはいけない」という言葉がぐるぐると回り続けている>と書いた。

 貧血を起こしたのか? 酔っているのか?

 かねがね思うのだが、コラムを社内応募制にするほうがいい。地方にいる1年生記者から老練な嘱託記者まで自由に応募できることにして、掲載するかどうかの審査は社内外の50〜100人くらいの多数決で決めるのである。もちろん記者の名前を伏せて審査する。

 今回わたしが問題視している記者の名前はここには書かないが、写真のとおり、6月14日付夕刊(東京本社版)のワイド面である。

 連載をする才能はない。即刻おりるほうがいい。社内で誰もこういうことを言わないのだろうか。読者を舐めんなよ。


 

 
  

 

メタクソ団のマタンキ! 漫画家とりいかずよしさんの死去を新聞各紙はどう報じたか

 漫画家とりいかずよしさんが75歳で亡くなった。とりいかずよしさんと言えば漫画『トイレット博士』である。メタクソ団という子供のグループが登場し、合言葉は「マタンキ!」だった。小学4年当時の私や同級生は学校で年中「マタンキ!」と声をかけ合っていた。精神年齢は幼児並みなのでウンコやおしっこの話に「げへへへ」と大笑いする豊かな時代だった。

 作中人物にコヤヤシ少年というのがいたはずで、ウンコ絡みの「肥やし」と明智探偵の小林少年をかけていたのだろう。今の私の人格ケーセーに深く寄与した懐かしい漫画である。

 その作者が亡くなったのである。新聞各紙はどう報じたか。残念なのは『毎日』と『サンケイ』だった。何の味わいも、追悼の意もない、砂漠のような訃報記事にガッカリした。

『朝日』はこう書いた。

《ギャグ漫画「トイレット博士」を1969年から週刊少年ジャンプに連載。大ヒットし作中の合言葉「マタンキ」が子どもたちの間ではやった。ほかに「くたばれ!とうちゃん」など。愛知淑徳大創造表現学部教授も務めた》

 マタンキ少年だった私は納得である。ところが上には上があった。それが『読売』だ。

《作中の「メタクソ団」の合言葉「マタンキ!」が子供の間で流行し、連載は約7年続いた》

 おお。「メタクソ団」にまで言及しているではないか。素晴らしい。

 書いた記者かデスクも少年時代に友達と「メタクソ団」を結成して「マタンキ!」と叫んでいたことが想像される。愛情を込めて訃報記事を書くならこうあるべきではないか。『読売』最高!

新聞記事を写真に撮ってそのままネットにアップしたら著作権法違反になる

 河北新報社のネット記事を写真に撮ってインスタグラムにアップしていた男性が著作権法違反の疑いで書類送検された。河北新報社からの警告を無視したのは「いいね」が欲しかったからだという。以上は2月18日付『毎日新聞』朝刊(東京本社版)社会面13版から。

 このあと男性は河北新報社から損害賠償を求められるかもしれない。

 文章を書く商売の人なら「そりゃそうなるわな。商品だからな」と受け止めるはずだが、そうではない人にとっては全く想定外かもしれない。

 新聞記事は記事だけではなく見出しもレイアウトも著作権がある。それを一部引用して、出典を明示して、自分の文章に取り入れる通常の使い方なら問題はないが、丸ごとそのまま勝手に無断で使うと著作権侵害になる。

 フェイスブックを見ていると、新聞記事を読むことができるようにアップしている人が少なくない。

 気をつけましょう。

死去記事が各紙に出た編集者・坂本忠雄さん

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 石原慎太郎さんの死去(2月1日)の前、1月29日に編集者が亡くなっていた。新潮社の坂本忠雄さんである。編集者の死去が新聞で報じられることは珍しい。

 訃報を伝える2月9日付朝刊各紙によると、1981年から95年まで『新潮』編集長を務めた。川端康成や小林秀雄、石原慎太郎らを担当した。

 私は数年前に評判を聞いて『文学の器』(扶桑社)を古本で手に入れ、少しずつ少しずつ読み進み、つい最近読み終えたところだったので、訃報を知って腰を抜かしそうになった。瀬戸内寂聴さんに始まり、石原慎太郎さん、西村賢太さんと来て、坂本忠雄さんである。私が仰ぎ見る人たちがこうも相次いで亡くなると、人を仰ぎ見ないほうがいいのではないかとジンクスを考えてしまう。逆に、早く死んで欲しい人を仰ぎ見るか(笑い)。

 この本は坂本さんがインタビュアーとして石原慎太郎や長部日出雄、吉井由吉、高樹のぶ子、車谷長吉、黒井千次ら蒼々たる小説家を迎え、読むべき文庫本について論じ合った希有の書評本と言うことができるだろう。扶桑社の季刊文芸誌『エンタクシー』に連載し、扶桑社が出版した。あの扶桑社がこんな優れた仕事をしていたことに敬意を表する。

西村賢太さん死去報道読み比べ

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 西村賢太さん急逝の翌日6日付各紙朝刊(東京本社版、13版)を読み比べた。3紙とも第2社会面の掲載。

 石原慎太郎さんの追悼文を西村賢太さんに寄稿してもらったばかりの『読売』が、予想通り担当デスクによる「評伝」を添えて報じた。短い評伝だが西村さんの横顔を端的に書き込んだ。写真もいいねぇ。

『毎日』は無難に2段、本文34行。『朝日』は冷たく1段、本文実質23行。

 

新聞各紙の石原慎太郎死去報道

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 石原慎太郎死去を新聞各紙はどう報じたか。2月2日付朝刊(東京本社版)13版を読み比べた。

 結論からいくと、『読売』が最もよくできていた。文化面が連日あるのかどうか知らないが、この日の文化面に西村賢太さんが書いた追悼文を載せ、子会社の中央公論新社が持っている谷崎潤一郎と談笑する石原慎太郎の写真を載せ、さらには新潮社から写真を借りて載せた。この新潮社の写真は大江健三郎と開高健、江藤淳、石原慎太郎の座談会の模様で、これは確か開高健を除く3人が盛り上がった座談会ではなかったか。

『読売』のこの文化面に匹敵する紙面が他紙になく、そういえば『読売』は瀬戸内寂聴さん死去のとき林真理子さんが追悼文を寄せ、中央公論新社所有の写真も載せ、愛読者を納得させる紙面展開だった。

『読売』社会面では文学系を専門にする鵜飼哲夫編集委員が過不足のない評伝を書いた。

 次に光ったのは『朝日』だ。第2社会面の評伝は今ひとつだが、社会面で中村真理子記者が書いた囲み記事は、石原慎太郎の行動を「退屈への反動」と分析し、「大衆の欲望」で締めくくる見事な論考だった。このようなひと太刀で対象を倒す記事を書く記者がいるのが『朝日』なのである。

『毎日』社会面で評伝を書いた記者はもしかすると私の同期かもしれないが、うーん、掘り下げがあと一歩だったかも。

 異彩を放つのが『産経』で、4紙の中で唯一1面トップに置いた。そう来ると思っていたので違和感はないが、右翼政治家の面を強調しすぎだな。左右は違えど寂聴さんの反戦反核運動にばかり焦点を当てた『東京』と同じことをやっている。

 石原慎太郎は小説家なのである。政治家としてたびたび物議を醸したが、根っこにあるのは文学なのである。大学時代に『一橋文学』を復活させるほどの熱意を持っていたし、文学者としての思考や発言を政治の場に持ち込んでいたし、頭の先から爪の先まで文学の人なのである。この視点がないと、石原慎太郎報道は上滑りする。

どうしようもなく酷い記事

 テレビでもやっていたので同じ穴の狢だ。愛知県の中学校で同級生による刺殺事件が起きた。11月25日付『毎日新聞』(東京本社版)社会面13版○は、中学校が開いた保護者向けの説明会に出た人に取材して《「事件の説明があっただけ。子どもがショックを受けていてまだまともに話もできていない」と声を詰まらせた》と書いた。

 もし亡くなった中学生の家庭が『毎日』を取っていて、家族がここを読んだらどう思うだろうか。

 取材を受けた人は自分の子供のことしか見えていないわけで、亡くなった子供やその家族への思いが全くない。全くないのは当たり前で、殺されたのが自分の子供でなくてよかったと思う親がいても不思議ではないし責められるものでもない。

 えひめ丸事故(説明は下)が起き、現場での救助の様子をテレビを見ていた親が、恐らくわが子の無事を確認したのだろう、一瞬大喜びして、そのあと、まだ救出されていない人を思ったのだろう、すぐに黙った。わが子が無事かどうか知りたいのは親として当たり前だし、喜んでしまったのもやむを得ない。

 しかし、亡くなった人や家族を思えば、被害者への思いを語っていない声は報じるべきではない。


【えひめ丸事故】ウィキペディアによると、2001年2月10日8時45分(日本時間)、アメリカ・ハワイ州のオアフ島沖で愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船だったえひめ丸に浮上してきたアメリカ海軍の原子力潜水艦グリーンビルの不注意で衝突し沈没させた事故。乗務員の35人のうち、えひめ丸に取り残された教員5人と生徒4人が死亡し、救出されたうち9人がPTSDと診断された。


 

 

瀬戸内寂聴さん死去を新聞はどう報じたか

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 瀬戸内寂聴さん死去のニュースは11月11日の午後に流れ、翌朝の新聞制作には十分時間の余裕があった。各紙のお手並み拝見というわけで、朝日、毎日、読売、産経、東京の各紙を読み比べた(ほぼ東京本社13版)。

 非常に精力的かつ独特の切り口で報じたのが『東京新聞』である。1面トップで「命懸け 戦争・死刑・原発に反対」という切り口の4段見出しを置いた。この12日の社説で取り上げたのは『東京』だけで、ここでも寂聴さんの反戦や反原発に言及した。

『読売』は井上荒野さんに、『朝日』は林真理子さんに、それぞれ1面近く割いて寄稿を載せた。『毎日』にはその知恵と紙面がなかったか。日曜版で井上荒野さんに連載を書いてもらったのに『読売』に取られたのが悲しい。とはいえ、ほかにも追悼文の書き手はいるだろう。私なら山田詠美さんに書いてもらう。偶然いま日曜版で連載しているし、山田詠美さんは寂聴さんが大好きだから断るわけがない。万一断られたら高橋源一郎さんだな。高橋源一郎さんも寂聴さん大好きだから。

『産経』は見出しに「作家・僧侶 正論メンバー」って、そこ? この日の1面下のコラムで書かなかったのも『産経』だけで、らしいと言うべきか。

 ほうと見入る写真を載せたのは『読売』だけ。川端康成や円地文子と一緒に雑談するモノクロ写真で、中央公論新社を傘下に置いた強みを発揮した。その写真の下には阿波踊りの姿が2枚。1枚は晴美時代で中央公論新社の提供、もう1枚は寂聴時代のカラー写真という念の入れようだ。寂聴さんが小説やエッセイで繰り返し繰り返し古里徳島を描いてきたことを踏まえると、寂聴さんの思いを掬うような見事な写真選択である。

 さて最後は各社の評伝である。どれだけ寂聴さんの人となりが伝わってくるか。まず落ちるのが『毎日』だ。しかも記事の署名に「元毎日新聞記者」って、取り置きの予定稿を載せたのか?

 次に落ちるのが『東京』だな。寂聴さんが上京すると、食事やお茶をご一緒したという割には中身が薄い。評伝のテーマにならない話に終始しており、何をどう勘違いしたのか、書く方向が最初からズレている。

『読売』は記者が15年ほど前に会って自己紹介したときに寂聴さんから《少し冷めた表情で「つまらない人ね」と言われた》と書く。《自分の無意識の思い上がりをたしなめられたようで、淋しかったけれど、深く胸に染みた》と率直だが、焦点が自分に当たっていて、これが評伝か?

 というわけで、敵失に助けられた面がないわけではないけれど、『朝日』の評伝を1位にする。記者が最近まで寂聴さん担当だったはずで、この点は有利に働いたに違いないが、寂聴さんの人柄や苛烈さが滲む発言を選び抜き、ちりばめた。ただし最後の一文は蛇足というより邪魔。こういう不要な一文を記者は書きたがる。

 見落としがあるかもしれないが、寂聴さんが晩年取り組みを始めた「若草プロジェクト」に触れたのは『読売』だけで、この目配りに拍手を贈る。

 

遺体発見現場映像を午前2時に撮っていたTBS

 女子高生の遺体発見現場を捜索する警察官の映像をTBSが午前4時半の番組で流した。テロップに「午前2時」の文字。ついさっき撮ったばかりの映像である。

 新聞記者になって初めて知ったことの1つに、家宅捜索や遺体捜索について警察は事前に何も公表しないということだった。よく言われたのが、夜の弁当の数を数えておけ(家宅捜索は朝早いので刑事は泊まり込むから)だのスコップの数(遺体はたいてい地中に埋められているのでスコップで掘り起こす)を数えておけ、だのである。しかし、このような“手がかり”が必ず役に立つわけでもなく、最後は警察官とのパイプで決まる。

 テレビで時々見かける「いま家宅捜索に入りました」の映像は、記者の努力の賜物なのである。

 むかし福島支局にいたころ、福島県警から事前に連絡が来たことが1回だけあった。朝の6時か7時ごろの家宅捜索で、現場には各社来ていた。何のことはない過激派のアジトだか何だかに踏み込んだのである。過激派の家宅捜索は当時全国ニュースの位置づけだったようで、夕刊用に記事を書いた。

 現場で見守っていたら報道官が寄ってきて小さな声で聞いてきた。
「これ、東京の新聞に載るかい?」
「はい、夕刊に載ります」

 東京の夕刊に載れば霞が関が読む。警察庁が読む。つまり県警本部長の手柄になるのであるわけだな。本部長を持ち上げなければならない警察も大変だなぁと思わないではなかった。

 話を戻す。極端な話、捜索現場の映像(写真)がなくても新聞記事は書くことができる。しかし映像勝負のテレビは優劣の差が明確に出る。

 この日のNHKとテレビ朝日を見たが、捜索現場の映像はなかった。向島署の建物の外観の映像という何ともツマラナイ映像を流すしかなかった。つまりTBSに完全に抜かれたのである。

 TBSよくやったなぁ。


 

仁鶴師匠死去の記事読み比べ

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 集合写真を撮るとき、私に続いて声を出してもらったことがあった。あるとき、ウケ狙いで「どんなんかな〜」と叫んでみたのだが、何のことだという顔顔顔。そういえばここは東京だ。仁鶴を知らないのか。

 笑福亭仁鶴師匠死去の新聞記事を読み比べてみた。『毎日』は13版、『朝日』は14版である。

『毎日』は社会面2番手、『朝日』は第2社会面というのか対社面というのか、いわゆる社会面から落ちた面に載せた。

 笑福亭松鶴への弟子入りを『毎日』は1962年とし、『朝日』は25歳と分かりやすい。

「どんなんかな〜」を載せたのは『朝日』。

 配偶者を亡くしてから体調を崩したと書いたのは『毎日』。

 追悼コメントを『朝日』は西川きよしさんの発表文だけ載せたが、恐らく西川きよしさんが一番言いたかった大事なところをあっさり削ってしまっている。一方『毎日』はその大事なところまでしっかり載せており、安定感がある。『毎日』は筆頭弟子と桂三枝さんのコメントも載せたが、西川きよしさんの内容がが圧倒した。

 というわけで、どっちの記事がいいのか、仁鶴師匠に聞いたらこう言うだろう。「どんなんかな〜」
 

唸りながら見たNHK「精神科病院×新型コロナ」

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 精神疾患を持った人は新型コロナに感染しても治療を受けることができないと私が聞いたのは6月のことだった。「精神疾患の治療や看護の経験がある医者看護師」と「新型コロナの治療や看護の経験がある医者看護師」が同じではないからだと聞いた。

 私が6月に知ったことを、NHKは1年前から取材していた。問題意識を1年前から持っていたのはさすが。いや、新型コロナに限らない。戦争のときも障害者が置いてけぼりにされたことを知っていれば新型コロナ騒動が始まった瞬間に気づいていい。そういう瞬発力がNHKにはあった。捨てたものではない。

 番組は東京都立松沢病院を核としてその周辺の現実を映し出す。

 見終えて違和感がごろごろ残り、同時に偏見差別をお前も持っているではないかと刃を喉元に突きつけられる。視聴者を苦しめる番組として秀逸だった。


 

レッツノートが7分の6!

 東京・霞が関の某省記者クラブで会見に出た記者7人のパソコンの6台が何とパナソニックのレッツノートだった。

 おー。カスタマイズ版41万円を36回払いで買った私としてもウレシイ光景であった。

 こういうのをパナソニックがPRできればいいのだが、できないだろうから、代わりに私がここに載せておく。

『朝日』近藤康太郎さんのコラム再び

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《わたしはど田舎の百姓・猟師であるからして》と書く近藤さんは高給取りの朝日新聞記者である。社会的地位も賃金も非常に高い朝日新聞社を辞めてから言うべきセリフだと気付いていないのだろうなぁ。本物の百姓・猟師に失礼だと思わないのだろうなぁ。「百姓」という『朝日』でも不快語と指定されているはずの単語を意図して使うあざとさにも気付いていないのだろうなぁ。自分の小賢しさに気づいていないとしたら書き手としては致命的である。

《文才は確かにあったけれど、人間としては尊敬出来なかったな》という自分への評価を紹介して、《人物眼は、ある》とおどけてみせたが、文才は否定していない(笑い)。どんな文才なのか、私には分からない。自分を持ち上げる誰が書いたか分からない文章を新聞に紹介するのが果たして文才なのだろうか。朝日新聞記者のくせに、それを読者が分かっている場所で、恥ずかしげもなく《わたしはど田舎の百姓・猟師であるからして》と嫌らしい書き方をするのが文才なのだろうか。まさかと思うが《であるからして》が文才なのか。だとすると、文才の定義を私は全面的に変えなければならない。

 新聞社に勤めて高給をもらいながら自社の新聞に書くコラムは非常に難しい。私がブログに地味に書き綴る自分を落とすネタや下ネタは新聞に書くネタではない。記者より知識も経験も豊富な読者が多いから中途半端なネタなら失笑を買う。そこで取材したネタに落ち着く。無難なのである。もちろん書き方で差がつくけれど。

 近藤さんのこのコラムは確か6月5日付け朝刊だったと思うが、他社の記者にも文章の書き方を教えているという話だった。自分の技術を抱え込むのではなく後輩や同業者に広めていこう、親切にしよう、という姿勢はいい。しかし、自分のことを例に挙げるのはどうだろう。恥ずかしくないのだろうなぁ。《百姓》だから我田引水はお手の物なのかな。私なら他人に親切にしている人を探してきて紹介するけどね。

 

紀州ドンファン殺人事件でNHKの取材力っ

 紀州のドンファン殺人事件で和歌山県警が容疑者の自宅マンション(東京・品川)を“急襲”したのが午前5時ごろだった。

 民放を見た限り、容疑者が連行される場面は羽田空港が多かった。そんな中、NHKはしっかりと自宅マンションから連行される場面を押さえていた。NHK映像を見るとフラッシュが何度も焚かれていたのでどこかの新聞社(毎日新聞社ではなかった)も待ち構えていたようだ。

 総合すると、NHKかどこかの新聞の速報を見て慌てた各社が何とか羽田空港での撮影に間に合った、という構図だろう。

 NHKすごいなぁ。自宅からの連行の場面を押さえるのがどれだけ大変なことか。福島時代、地元紙に抜かれた経験しか記憶にない私はただただ脱帽するのである。



 
 

自分に酔った都知事が「人流」と言うのは勝手にどうぞだが

「人流」という表現に違和感を持つ人が一定数いて、ほっとする。私の把握が正しければ東京都知事が言い出した。都知事のことだ、「じんりゅうって言い方をする私、かっこいいわん」と自賛して酔っているのだろう。

 それをあろうことかNHKが使い、新聞も使い、私は「この阿呆どもめ」と毒づかざるを得ない。特にNHK。目の不自由な人が「じんりゅう」という音を聞いて「人の流れ」だと分かると思うか?

 知事が使おうが誰が使おうが、明らかに変な言葉は“訳する”のが報道機関の仕事の1つではないか。垂れ流しなら小学生でもできる。これでは誇りも脳みそもない。

 正気に戻って「人の流れ」と言い換える報道機関がいずれ出てくるだろう。それがどの社なのか、ヒマではないので注目しないが、さっさとしなさい。

『朝日』近藤康太郎さんのコラムは面白いのだが

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 書評面が乗る土曜付『朝日新聞』だけは欠かさず買う。そこに近藤康太郎さんのコラムが時々載っているので読んできた。これが面白い。面白い理由を考えてきて、4月17日付の「ドブさらいで考えた『隣人』になる心地よさ」でああそうかと分かった。

 実際に猟師の免許を取って猟をするなど、近藤さんの珍しい(一般人には縁のない)経験談は面白い。これは当たり前のことで、それなりに考える力があって、理屈をこねくり回し、文章を丁寧に書くことができる記者なら、珍しい経験を書けば面白い記事になるに決まっている(『毎日新聞』が弱いのはここ)。

 しかし、脇の甘さも見えた。棚田の溝をさらう経験を通して地域の人間関係の密さを喜ぶ4月17日付の記事を本当の地方出身者はどう読むだろう。田舎の人間関係の密さがいやで福島のド田舎から出てきた人を私は知っている。

 近藤さんは東京の都会出身であり、朝日の記者という社会的には上に置かれる職業であり、自分の見解を全国に発表することができ、数年だけ住む転勤族である。そんな人を周囲がどう扱うか。

 狭い狭い地域に骨を埋める覚悟を決めて、実際にそこに家を建て、墓をそこに準備してから語らなければ、都会から地方に来た人が面倒な人間関係など知らないまま地方バンザイを叫ぶ内容に陥ってしまう。

 というわけで、近藤さんの「田舎生活」は“田舎生活”であると指摘しておく。

 それでも期待はしている。ましてや4月の異動先はあの天草だというではないか。水俣に行ったらぜひついでに立ち寄りたいと私は常々願っている場所なので、そんなところに高給を得ながら住むことができるとは羨ましい。どんな記事が出てくるか楽しみだが、田舎の悪さを知っている人さえ納得する記事を期待したい。例えばね、骨を埋めると決めた田舎で、そこからよそに引っ越すお金もなく、そこで村八分にあってみればどんな記事を書くことができるだろうか。

 

森友学園問題を追及した元NHK記者相澤冬樹さんの『真実をつかむ』(角川新書)

 熱い熱い熱い。本書は記者の成長物語として読むことができるし、これから警察取材をする新人記者向けのヒントとして読むこともできる。全編熱い。

 驚いたのは支局勤務時代に運転手付きの車で取材先を回っていたことだ。昔からNHKの取材は贅沢だと言われていたが、地方でも! 今もNHK記者はそんな贅沢なことをしているのだろうか。私の福島時代、自分のポンコツ車で回っていたのに。NHKに言い分はあるだろうけれど、毎日新聞の記者が聞いたら目を剥く話だ。

 もう1つ驚いたのは、相澤さんが徳島局にいたという話だ。今の知事・飯泉さんの知事選出馬について《最後まで「出ない」と言いながら、さも県民に推されたから出ることにしたという、あの猿芝居》と一刀両断にした。そうか、飯泉さんは猿だったのか。そんな飯泉さんを持ち上げて、私の高校の同級生は県庁で出世しているのだが。

 面白かったのは徳島局の記者グループとカメラマングループの秋田町での乱闘である。やるなぁ。みんな血の気が多い(笑い)。

 相澤さんはNHKを辞め、今は大阪日日新聞の編集局長と記者という肩書きを背負っている。大阪日日新聞の宣伝効果は大きい。経営者が相澤さんをどう活用していくかが今後の見どころ(?)の1つだろう。

 相澤さんの熱は大阪読売・黒田清さんの熱に共通する高温だ。こういう本が記者志望者を増やすのだと思う。

日本学術会議の問題に世間が関心を示さないのは

 日本学術会議の新会員6人の任命拒否問題について、「世間がわれわれに加勢しない」とか「回り回って自分たちの問題になり得るのに」とかいうぼやきが聞こえるのだが、世間に住む私に言わせるとそれは違う。

 学術会議に所属するような人たちは世間の先頭に立つ人たちであり、世間で起きる理不尽と闘ってくれる人たち、というのが世間(私)の持つ印象なのである。例えればウルトラセブンなのだ(ウルトラマンでもいいぞ)。ウルトラセブンが怪獣に負けているからといって丸腰の私たち一般市民が前に出て怪獣と闘うのはちと勘弁していただきたい。

 学術会議に所属するような人たちはそういう期待を背負っているのである。こういう人たちは理不尽と闘うことが自分の仕事に直結していて、あとで論文を書いたり本を出したりできる。この点が世間の私とは全く異なるところだ。私が学術会議の問題に関わっても仕事とつながらない。そもそも自分の目の前の生活以外を気にかける余裕も知識も体力も時間もない。任命拒否された6人を応援したくても世間が何もできないのはそういうことだ。世間が冷たいのでは決してない。

 学術会議に限らない。報道機関も同じである。ウルトラセブン(ウルトラマンでもい、あ、しつこい?)なのだから。そこを自覚して、跋扈する“怪獣”を退治してほしい。


 

1月1日付の新聞記事で最もよかったのは

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 恒例元日の新聞紙面比べ、2021年のイチオシは『朝日新聞』(東京本社版)13面の米津玄師さんインタビュー記事である。

《自分は、『あってもなくてもいいもの』を作っている、という自覚は以前からありました》

《新型コロナウイルスを前にライブをすることすら出来なくなってしまうのは、脆弱な存在だと、改めて強く感じました。それに、罪悪感のようなものも感じていました》

《自分は、家の中、パソコンの前で一人で作業をすれば成立してしまう業種ですが、そうではない人間のほうが多いわけですよね。満員電車に乗らなければならない、人と接触することでしか成立しない、そういう業種の人たちは、これからどうやって生きていくのだろうかと。そこに申し訳なさを抱えるようにもなりました》

 インタビュー記事は1面全てを使っているのだが、冒頭のここだけを読んで米津玄師さんのファンになろうと決めた。私の古里徳島出身の有名な人だという程度のことは知っている。しかしその音楽を私はたぶんまだ聞いたことがない。これから聞こうと決めた。

 昨年末の『朝日』の書評欄で、これとは正反対の、何となくドヤ顔が垣間見える文章(私は執筆や音楽作りを外出せずにできるという趣旨の文章)を読んで、違和を感じ続けてきたせいだろう。さらっと書いてあったが私は引っかかった。

 自分は外出しなくても成り立つ仕事でよかったと思っている人と申し訳なさを感じる人と、どちらに親しみを感じるかという単純な話である。生み出す作品のどちらに耳を傾けたいかという話でもあるかな。

 ちょっとした違いのように見えるけれど、重大な資質の違いが横たわる。米津玄師さんの代表作から始めるとしよう。

 読み比べた新聞は、朝日毎日読売産経日経東京神奈川スポニチ。

NHKスペシャル『世界は私たちを忘れた』は名ドキュメンタリー

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 NHKスペシャル『世界は私たちを忘れた』を見てよかった。単なる外野が解説めいたことを言うのはよくないのだが、象徴的な女の子と出会えたのが大きい。彼女は売春を強いられ、兄は臓器を奪われてゴミ置き場に捨てられていた。いやもうたまらない。

 私はてっきりNHKの記者かディレクターが制作した番組だと思っていた。ディレクターの名前金本麻理子さんを検索すると金本さんが代表取締役を務める番組制作会社のサイトが出てくる。昨年度は日本記者クラブ賞を受賞しているではないか。社会派の作品を出し続けている。すごいなこの人は。

 取材対象となった女の子と家族は貧困に苦しむ。彼女の一家だけ手を差し伸べてもシリア難民問題は1ミリも動かないのだが、金本さんなら黙って見ているだけではないのではないかと期待したい。どのようにつながり続けているのか、あるいはいないのか、というところに今の私は興味を抱く。

 なおNHKのサイトではこの番組をこう紹介している。《レバノンに避難した120万から150万のシリア難民がコロナ禍で窮地に追い込まれている。売春や臓器売買が広がっていたが、3月15日の非常事態宣言後、差別が拡大。難民キャンプへの襲撃事件が起こり、自殺者も現れた。深刻なのが女性と子供たちへの抑圧だ。家庭内暴力、児童労働が増えている。8月、ベイルートの爆発事件後、拡大する感染に国際機関は支援を訴えている。8か月間、シリア難民たちの姿を追ったこん身のルポ》

河井案里さんを捉えたNHKの映像

 さすがというべきか、無駄遣いというべきか、相変わらず金に糸目をつけないなというべきか。テレビは映像がないと仕事にならないので気持ちは分かる。分かるのだが、何かもやもやが残るのはなぜだ。

 河井案里さんが東京拘置所から保釈される映像をNHKが21時のニュースで流した。案里さんに向かって左から、正面から、そして右から、それぞれ撮った映像を順番に何度か報じたのは、NHKのどや顔か、はたまたカメラクルーへのねぎらいか。いったい何人現場に出したんだ?

 NHKはすごいなぁ。いい意味でもそうでない意味でも。案里さんは精神面が不安定のようだから、万一に備えてここで映像を押さえておかなければという読みがあったかもしれないが、それにしても。

目がテンになったこのテンはいったい絶句

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 以前『琉球新報』を読んでいて自社を「琉球新報者」と書いてあるのを見つけてコーヒーカップを落としそうになったことがある。今回はJR東海道線の中で「マジか!」と叫びそうになったというのは大袈裟だが、「えっ」と声は出た。

 校正が得意なのかどうなのか、読む前にその部分が目に飛び込んできた。

 長年いろいろな活字商品を見てきたが、これは初めてだ。活字好きが集まる、しかも比較的質が高いはずの職場の商品がこれとは。読点に目がテンになった。10月1日付『毎日新聞』朝刊(東京本社版)のオピニオン面13版である。

 このテンの前の行はカギカッコとテンがあるので詰めれば入る。と私ごときが言わなくてもガッテンだろうけれど。



言わずもがなの朝日新聞編集局長補佐

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『大学教授が、「研究だけ」していると思ったら、大間違いだ! 「不人気学科教授」奮闘記』の書評を7月11日付『朝日新聞』読書面で読み、最後の段落で「あーあ」と引いてしまった。

《受験エリートが就職後も開花するとは限らない。大学で受けたはずの訓練で、型通りの成功体験から脱皮できたか否かが、その分かれ目と思えてくる。大学合格は最終目標ではない。教授の奮闘から高校と大学の意義も考えさせられた》

 4つの文のうちの最初の3つの文に私は引っかかった。

 書いたのは朝日の編集局長補佐。間違いなく「受験エリート」だった人である。朝日新聞社が最難関就職先の1つだった時代に入社したはずで、編集局長補佐にまで出世しているのだから「就職後も開花」したと言える。そういう人が言わずもがなのお説教をしてしまった。これを傲慢とか高慢とか偉そうにとか上から目線とか自慢とか人は言う。

 朝日の編集局長補佐ともあろう人が衣の下から鎧がちらつく文章を書いてしまった。この上から目線は朝日社内に蔓延していて誰も問題に気づかないのではないか。

 受験エリートなどではないつもりの私も実は例外ではなく、こういう文章を書いたことが絶対にあるはずで、本当に戒めなければならない。自戒させる名文ではあったな。


 

『週刊文春』の読みどころは渡部某の記事ではなく

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 読みたい本が山のようにあるので買うつもりは全くなかったのにセブンイレブン広島中央郵便局前店で見つけたので買ってみたのが『週刊文春』6月18日号だ。売り切れと報じられていたが3冊あったぞ。

 左右の2本の柱が立つかどうかが週刊誌の売れ行きに影響するということを昔教わった。今回の目次の写真を載せておくが、右と左に2本の柱が見事に立っている。どちらも食欲をそそる特ダネで、そりゃ売れるわなぁ。

 渡部某の下ネタ情報を誰が漏らしたか。これが私の関心事だった。本誌には《渡部の知人》としか書いていないのだが、全体像を知る知人となるとそう多くないはずで、渡部本人なら「あいつだな」と推測できているのではないか。

 さてそんなことより、「ウソの女帝小池百合子と同居男『疑惑の錬金術』は興味深い。「宝塚ボーガン4人殺傷犯“美魔女”母への憤怒」も面白い。「ゴミ、ホコリ孫正義マスクもこっそり回収されていた」も知らなかった。「大坪不倫審議官がまさかの大出世」も執拗だ(笑い)。先週号から連載が始まったのは知っていた「ヤメ銀 銀行マンは絶滅するのか」は元日経記者が書いていて、時宜を得たテーマなので引き続き読みたい。

 週刊誌の編集は実力の世界である。それが証拠に世界一の新聞発行部数を誇るあの読売新聞社が週刊誌を潰したもんなぁ。『週刊読売』で駄目で『読売ウイークリー』だっけかそれも駄目で、結局撤退したもんなぁ。宅配制度に守られた新聞と違って毎号毎号が勝負の週刊誌は読売新聞社でさえうまく行かなかった。その劣等感が左前になった中央公論社の買収につながったと私は解釈している。

『サンデー毎日』編集部に異動して編集側になって初めて気づいたのは、出版社系の週刊誌は新聞社系週刊誌と態勢が全く違うということだった。記者が自分で企画から取材、執筆までやる新聞社系より、編集者が中心になって鵜飼いの立場となり大勢のフリーを動かす出版社系のほうがネタも豊富だし面白くなるに決まっている。当時の私の名刺は「サンデー毎日編集部記者」であり、「サンデー毎日編集部編集者」ではなかった。雑誌の要である編集者は果たして編集部に1人でもいたのか、という根本的なモンダイである。

 小選挙区制が敷かれる前に政治部出身の先輩記者と一緒に『サンデー』で特集を組んだけれど、「これ、誰が読むのだろう?」と疑問を抱いたもん。こういう企画は新聞社系の強みでもあるのだろうが裏目に出たら目も当てられない。

 私は活字が好きなので、時間を食うと分かっているのに、買った週刊誌は隅々まで目を通してしまう。それが嫌で週刊誌を買うのを控えてきたのだが、久しぶりにしゃぶり尽くさざるを得ないのだが、面白いなぁ『週刊文春』は。




 

スゴ腕の産経と朝日記者

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 何に驚いたって、黒川検事長と雀卓を囲むほどの親密な関係を築いていた産経と朝日の記者がいたことだ。しかも自宅に呼んだって、どれだけ強いんだ産経記者は。

 これほどの食い込みを評価しない人は業界内にいないのではないか。あっぱれと言うほかない。

 これを大上段から批判する報道業界の人がいたら、それはきっと冗談だろう。

 問題はこれがどこから漏れたかだ。産経新聞社内から週刊文春に情報が行ったと言われていて、そういうことを報道機関がやったらおしまい、自殺行為だ。締めあげるべきはそいつだな。


 

見応えがあったNHKスペシャル「JFK暗殺」

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 連休中に2回に分けて放送されたNHKスペシャルのシリーズ「未解決事件」。第8弾は「JFK暗殺」だ。こういう番組を大学時代に見ていたら、新聞社だけではなくNHKも受けたかもしれないとあらためて思う。NHKなら記者職ではなく制作職が面白そう。

 それはさておき、ジャクリーンさんはどう見ても車の後部に逃げ出している。真横の夫の頭が吹き飛ばされて驚き、逃げ出したとしか見えない。

 いや、逃げ出していいのである。私だって同じ状況なら逃げ出す。いくら配偶者でも頭が吹き飛んだら怖いし(しかも真横にいる)、自分も狙撃されるのが怖いから、そりゃ逃げ出します。

 話を戻すと、何とも重い内容で、ケネディ暗殺の調査資料の公表を約束したトランプ大統領が撤回した理由は政権内のパワーバランスを考えたせいかもしれない。大統領選近いし。新型コロナ騒動がどう転ぶか分からないし。余計なことをしないほうがいいと判断したのではないか。

 JFKが暗殺されたとき私は0歳2カ月。


 

 

『ハフポスト』に移ったのか!

 最近『毎日新聞』紙上で名前を見なくなったと思っていたら、なんと『ハフポスト』で見つけた。私の舎弟2号と同じ名前で、ちょっと珍しいというか、分かる人には「おや。おくのほそ道ね」と分かる名前なので、勝手に親近感を抱いていた。

 彼女をよく知るアリちゃんにこのことを話したとき「彼女は東大の上野ゼミ出身ですから、西野さんの腕なんかすぐに捻られますよ」と脅された。まるで私が何かその辺の出歯亀かセクハラ親父のようなシッケイな言い草だが、まぁ、当たらずとも遠からずか。いや違う。――というお約束のボケ突っ込みはさておき。

 そうか、『ハフポスト』か。これから『ハフポスト』もよく読むようにしよう。実際彼女はいい記事を書いている。たまたま今さっきネットで見出しを見て記事を読み、このいい記事を書いたのは誰だろうと思ってふと見たら彼女だったのである。媒体が変わっても、いい記事を書く記者はいい記事を書く。

頭隠して尻隠さずか

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《書いて伝えることの重さにこだわりたい》という結びの一文。イイタイコトはよく分かるし、気持ちもよく分かる。3月4日付『毎日新聞』朝刊(東京本社版)「記者の目」の「前線で考える新聞の興亡」である。

 でもね。それ、あなたの仕事だから。それで世間水準を上回る給料をもらっているじゃないか。世の中いろんな人がいろんな仕事をしている。それなのに、新聞記者が自分の会社の紙面でいちいち胸を張ることの奇妙さになぜ気がつかない?

 この「記者の目」で書いていないことに私の目は向くわけよ。

 莫大な退職金を払って100人だか200人だか希望退職を募った言論機関ってどう思う? 経営責任を取らない経営陣を放置している新聞社の記者って信用できる? 首相会見の馴れ合いがネットで話題になっているのにひとことも書かない政治部って頬被りして逃げてない? あまりにもつまらないコラムの数々をいつまで載せるんだ? 降版を早めたことは読者に伝えないの? 夕刊の手抜きを始めたことも読者に伝えないの? 

 こんな我田引水自己満足の記事をもう載せるなよ。紙価が下がるだけだ。


  

このオチは駄目でしょう朝日新聞論説委員吉岡桂子さん

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 私は『朝日新聞』の「多事奏論」のファンである。しかし2月22日付朝刊(東京本社版)の「隠される情報 声をあげなければウソは続く」はいただけない。編集委員・吉岡桂子さんのイイタイコトに賛成だし、全く異論はない。

 ところが、である。《私は声をあげるひとりでありたい》という結びの一文は最低だと言わざるを得ない。

 私の分類では「決意表明」に入る。この手の決意表明は特に報道業界で時々見かける奇妙な鼻息である。

 それ、あなたの仕事でしょ。《声をあげる》のは、会社からお金をもらってやっている仕事でしょ。やって当たり前でしょ。

 駆け出しの記者が「記者の使命」とか何とか息んで書く気持ちは分からないではない。しかし業界の外から一読者として読むと異様なのである。「それ、あんたの仕事やんけ」と言いたくなるのである。

 この手の決意表明は取り扱い要注意だと各社の新聞用語集に載せておくほうがいいね。

選ばれなかった『日本経済新聞』のなぜだ

 選ばれると不名誉だが、選ばれないのもちとクヤシイ。ゴーンさんの会見を日本の報道会社が見るとこんな感じだろうか。

 選ばれたのが『テレビ東京』というのは納得だ。あの会社はジャーナリズムなどないもんな。次に『小学館』というのは正直よく分からない。『週刊ポスト』がへつらってきたのだろうか。まぁ、ジャーナリズム体質は弱い会社だからな。

 しかし一番分からないのが『朝日新聞』だ。「ゴーン被告、レバノンに逃亡」という見出しでも分かるように報道は厳しかったし、バリバリのジャーナリズム体質なのになぜ。

 一方、歯噛みしたのが『日本経済新聞』だろう(笑い)。「ゴーン元会長、無断出国」という見出しは『朝日』に比べるとゴーンさんに180度甘い。それなのに、子会社の『テレビ東京』が選ばれて何でうちが選ばれなかったのかと憤まんやるかたない思いになっているはず。「日本の経済ならうちが一番」という自負もあるだろう。それだけに外野としては面白いのだが。


 

『天声人語』は和歌が分からん

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 人工知能(AI)が俳句を作っていることを紹介して《成長が楽しみでならない》という陳腐な結びをしたのが1月4日付『朝日新聞』の「天声人語」だった。この結びを読んでがっかりしたのは、俳句や和歌(短歌)への底の浅い視座が見えたからだ。

 AIが作った俳句(やたぶん三十一文字)に(も)好感を寄せるこの姿勢はダッチワイフを抱いて射精するのに近い。

 性癖はいろいろあっていいけれど、恋愛や性交は人間相手にしたい。私はね。目の前にダッチワイフを置かれても興味は湧かない。なぜなら人間ではないからだ。

 俳句や短歌が面白いのは、技巧に凝ったり架空の話を作ったりしながらも作者の素顔がほんの一瞬見え隠れするからではないか。先日読み終えた池澤夏樹編集の『日本文学全集』第2巻のどこかでも誰かがそういうことを書いていた。

 AIが技巧に凝った俳句を作れば人間のにおいをさせることができるだろう。人間が作ったのかAIが作ったのか判断できないだろう。しかし、なのである。私はダッチワイフを抱きたくない。俳句を製造するAIの成長が楽しみとも思わない。そこに生身の人間がいないからだ。

 ダッチワイフではなくアニメのキャラクターでも私には同じ。人間が生む感情にしか私の感情は動かない。

日経VS朝日毎日読売産経東京

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 どうもよく分からない。ゴーンさんの肩書きである。『日本経済新聞』だけが4日付朝刊でも「元会長」としている。他紙は「前会長」だ。

「元」と「前」の違いなど読者にはどうでもいい話だろう。しかし、これを間違えると普通は死ぬほど怒られるところだし、位置づけもずいぶん変わってくるから、私は気になる。『日経』は「前」を「元」に含む表記ルールなのだろうか。


 

恒例元日紙面比べ

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 元日の楽しみはこれ。

【ゴーンさん編】
 ゴーンさんのニュースが各紙の元日紙面(全国紙は東京本社版の13から14版)を制覇したのは面白みに欠けた。見出し別に分けてみた。下に行くほどゴーンさん擁護が強まる。

・ゴーン被告、レバノンに逃亡=朝日新聞

・ゴーン被告、レバノン逃亡=毎日新聞、産経新聞

・ゴーン被告、海外逃亡=東京新聞

・ゴーン前会長海外逃亡=神奈川新聞

・ゴーン元会長、無断出国=日本経済新聞

 ちなみにNHKは「ゴーン元会長出国」だった。

 新聞業界では「前」と「元」を使い分ける。『神奈川』が「前会長」と打ったのは何かの勘違いか?


【独自ダネ編】
・「日米で月面着陸」NASA長官が提案=毎日1面肩
 夢がある話だが、日本から金を取ろうということだな。

・「国会議員5人に現金」 IR汚職 中国企業側が供述=朝日1面頭
 政治家とカネの醜聞。疑獄が始まった。

・中国製機器制限へ新法 5Gなど ファーウェイ念頭=読売1面肩
 そこまでやる必要がある証拠を政府は持っているということか。

・銀座の高架道路廃止へ 30年にも 跡地に空中公園=東京1面頭


【注目編】
 多和田葉子さんに朝日賞。
 次のノーベル文学賞を狙う多和田さんに朝日が先に授与しておいたと私は見る。

 毎日芸術賞特別賞に今野勉さん。NHK「宮沢賢治 銀河への旅」演出などで。
 NHKで放送されたこの番組を私はたまたま見た。宮沢賢治が密かに抱えてきた苦しみを追究した結果、見えたもの。私はため息が出た。


【西野賞特別お笑い賞】
 産経1面で論説委員長が「政権長きゆえに尊からず」と珍しい見出しの記事を書いたのでチラッと見たら「6年も参拝しないのは…」だって。そこかよ! 


【西野賞大賞】
 朝日の神奈川面の連載(なのか?)「ともに」の記事。最首悟先生夫妻と星子さんを取り上げた。見出しは「頼り頼られ生きてゆく」。今こそこの地点からの発信が重要だ。繰り返し繰り返し、手を変え品を変えてこういう記事を出していくのは朝日ならでは。

 日経が「逆境の資本主義」という連載を始めた。大所高所から資本主義に焦点を当てるしかないのだろうが、ツマラナイな。朝日は「志エコノミー」という切り口の面白い連載を始めた。ブレディみかこさんと福岡賢一先生の対談も読ませた。朝日は本紙のこういう気骨が地域面の記事にも及ぶのだろう。

元農水相事務次官の長男殺人と『子供たちの復讐』

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 元農水相事務次官が長男を殺した事件の報道を見聞きしてすぐに浮かんだのが『子どもたちの復讐』(朝日新聞社、1986年)だった。

「開成高校生殺人事件」(1977年)と「祖母殺し高校生自殺事件」(1979年)を上下巻でまとめた本多勝一さんのこの単行本を私は今も持っている。下巻には祖母を殺して自殺した早稲田高等学院高校のAが書いた遺書が載っていて(文庫本化されたときは削除されていた)、「学歴」だの「エリート」だのに対して異様に負荷のかかる家庭環境や青年になった男に対して家族が距離の取り方を誤ると人間の人格を破綻させうると知った。

 元農水相事務次官の殺人事件はお嬢さんの自殺という衝撃的な話が裁判で出てきたこともあり、何となく世間の同情を誘った。

 しかし、それでいいのだろうか。長男が適応障害になったという理由で事件の幕を下ろすのではなく、何がどうなってなぜ間違ったのかを報じる記者はいないのか。本多さんが取材したころと違って今はプライバシー保護がやかましく言われるけれど、元事務次官に同情する前に殺された長男に同情を寄せるのが筋ではないか。似たような惨劇を何度も繰り返さないよう、家庭で何が起きてきたのかを共有する価値はあると私は思うのだが。

スプリングボクスの優勝とマンデラ大統領を新聞各紙はどう報じたか?

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 スプリングボクスのファンになった私は各紙がマンデラ大統領をどう報じたか気になった。

 1面で報じたスポーツ紙の『日刊スポーツ』には見当たらず。

『読売』はスポーツ面で《アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃後、初出場で優勝した一九九五年W杯に象徴されるように、南ア国民にとってラグビーは特別なものだ》と素っ気ない。

『朝日』は国際面で《南アが自国開催の95年に初優勝した際、人種の融和を訴えた故マンデラ大統領は背番号「6」のジャージーを着て優勝カップを手渡した。時を経て、同じ背番号をつけたコリシ選手が、黒人初の主将としてカップを頭上に掲げ、仲間たちと喜びを分かち合った》。

『毎日』は社会面で《南アフリカが初めてW杯に参加したのは95年のことだ。人種融和を目的に自国開催を実現させた同国で黒人初の大統領、ネルソン・マンデラ氏(故人)が背番号「6」のジャージーを着て優勝杯を手渡すシーンは、多くの人の記憶に刻まれた。24年の時を経て、同じ「6」を背負うコリシ主将がチームの精神的支柱になり、優勝杯を誇らしげに掲げた》と書いた。

 似たような記述だが、『朝日』に比べると『毎日』のほうが臨場感というか、書き手の感動が伝わってくる。

 珍しいことに『毎日』はスポーツ面でも触れている。

《南アフリカにとって「ラグビーは国技」(プロップ・コッホ)。精鋭が集まる代表チームは強い影響力を持つ特別な存在だ。アパルトヘイト(人種隔離)政策が撤廃され、W杯の舞台に初めて立ったのは自国開催の1995年。「ワンチーム、ワンカントリー」のスローガンを掲げて初出場初優勝を成し遂げたチームは、融和を体現した。プラウドフット・コーチは「たくさんの希望や期待を与えてくれた」と振り返る》

 さて。背番号の「6」に注目したい。

 『毎日』『朝日』ともマンデラ大統領が「6」のジャージーを着ていたと記したが、その理由に触れていない。

 映画『インビクタス』を見ていないのか、見たけれど裏を取れなかったのか。映画が正しいとすると、当時の主将の背番号が「6」なのである。そこまで書いてあるほうが読者には親切な記事になっただろう。

 と、たかだか数日前に課題として映画を見て知ったばかりの私が知ったかぶりをする話ではないのだが。

【追伸】書き終わって気づいたことがある。11月3日付以前の紙面に書いてあった可能性があるのではないか、と。だとしたらすまぬ。


 

力尽きた毎日新聞社

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 今朝郵便受けをのぞくと、『毎日新聞』の日曜版とこの紙が入っていた。海老名印刷工場の停電とトラック運転手の安全確保のため、きょうの朝刊はあしたの朝刊と一緒に配達するというお断りである。

 停電したら仕事にならないのだから、対策として電源を備えてあるものだと思っていたが、なかったのだろうか。だとしたら次善の策として竹橋の本社か越中島のスポニチで印刷した紙面をこちらにトラックで運べば済む話だ。23時ごろには台風の中心は東京を過ぎていたから無理ではなかったと思う。

 手を抜いたとは思えないので、人の手配がつかなかったのか、印刷直前に停電して時間的に間に合わなかったのか。

 念のために平塚市内のコンビニなどを回ってみたが、『毎日新聞』だけがなかった。『産経』や『日経』『東京』でさえ(産経さん日経さん東京さんごめんなさい)あったのに。近未来の光景かもなぁと思ってしまった。

ワシもネタをつぶされたぞ

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 かんぽ生保のムチャクチャ販売問題を追及していたNHKが日本郵政側から抗議を受けての「クローズアップ現代+」の続編を延期したと9月26日付『毎日新聞』朝刊(東京本社版)が報じた。報道の自由を自ら歪めるNHKよお前もか。

 お前もか?

 そう、だって『毎日新聞』も抗議を受けて記者の取材にストップをかけたではないか。当事者の私が言うのだから間違いない。

 福島支局時代のことだからもう30年近く前の話だ。社会面に売り込もうとデスクに相談のうえ県内の某洗濯企業の問題を取材していた私に当時の石川支局長が「相手も反省していることだし、もういいんじゃないか」と事実上の取材中止を求めてきた。

 社会面に載ったかどうかは分からない。しかし、一石を投じるネタだと私は思っていたので張り切った。それをつぶしたのは、浅間山荘事件のときに刑事の寝床で話を聞き取って特ダネを連発したとかいう誠支局長だった。

 反省したからといって報じないなら報道機関はいらないのである。福島面に広告を出していようが社会人野球にその会社のチームが出ていようが関係ないのである。本来は。

 だから舐められる。

 私の反省は、『毎日』が駄目なら、親しい記者がいた共同通信か河北新報か読売新聞か産経新聞にネタを持ち込んで報じてもらうべきだった。あるいは労組に持っていってもよかった。半日サボタージュして抗議の意思を示す程度の弱腰しか持っていなかった私にも非がある。

 

新聞記者OBを再雇用するとしたら

 本多勝一さんは外信部で北京特派員。

 鳥越俊太郎さんは社会部で東京都政。

 ナベツネは政治部で首相官邸。

 西山太吉さんは政治部で外務省。

 大谷昭宏さんは社会部で大阪府警。

 長谷川熙さんは学芸部で朝日新聞などのメディア担当。

 いわゆるスター記者でご存命の人を挙げてみたが、こんなに少ないのか。それとも私が知らないだけ? 

新聞向けと週刊誌向けのネタができたけど

 1つは新聞の社会面に向いている。難しい取材ではない。某自治体は謝罪するしかない。

 もう1つは『週刊新潮』がいいかな。ネタの機が熟するまでじっと待つ。熟したら数時間もあれば人(具体的には2人。うち1人は大組織に属する)の足元をすくう記事ができる。

 しかし、である。私はネタを誰にも漏らさない。接して漏らさず。

毎日新聞社救済案?

 希望者を募るのはまどろっこしいので、50歳以上は全員解雇していいんじゃないか。解雇なら翌月から失業保険が出るし。どうしても残りたい人は賃金を半額くらいにする。でもって49歳以下は賃金を3割くらいカットする。

 東京本社も大阪本社も名古屋本社も今のビルから出て、その辺の雑居ビルに移る。空いたスペースは賃貸に出す。

 毎日新聞社の賃金は世の中の大半を占める中小零細企業の社員に比べるとまだまだ圧倒的に高い。今回の退職金だって「どんだけー!」というくらい多い。これでは世の中の一般市民の気持ちなど分からない。

 手っ取り早く中小零細企業並みの待遇に落とすことで、記者は大事なことに目覚める。記事が確実に変わる。その結果読者が増える……かどうかは分からないが、毎日の記事に対する共感が広がるのは間違いない。底辺層の苦しみを自分たちも感じれば、企画も記事も取材先も質問も変わる。

 もちろん経営陣も執行役員も終わり。特にホールディングス会長の責任は重い。いつまで居座っているんだか。あとは若いのに任せるほうがいい。

 行き過ぎて人手不足が深刻化したらOBに声をかければいい。月額25万円税込みで記者に戻ってくださいと。金儲けを考えずにやってきた職業人の強みはここにある。金ではなく意義で動く人が一定数いる。その人数は恐らく朝日や読売より多いだろう。薄給(と言っても世間相場に比べたらどれだけ多いことか)に慣れているのが毎日の強みである。

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