同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて3300回

ジャーナリズム

あほ毎日新聞

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 7月10日付『毎日新聞』朝刊(東京本社版)社会面(14新版)とほとんど同じ記事が夕刊(3☆版)に。

 夕刊ではジャニーズ事務所のどうでもいいコメントと所属タレントのコメントを追加してあったが、基本情報約70行は朝刊そのまま。D夕刊を見ると芸能界の反応をまとめた記事に差し替えられている。

 校閲の見落としだろうが、何をやってんだか。最終版だけが商品ではないんだぞ。

 未成年少年愛という性癖に触れず、大本営発表のような糞にもならない記事を載せる『毎日新聞』は200人の早期退職募集でみんな浮ついて仕事にならないのかもしれないな。

名著『昭和史全記録』のあとの駄作『平成史全記録』

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『昭和史全記録』(毎日新聞社)は重宝した。事実を詳細に網羅しており、なおかつ編集が上手だった。私は原稿を書くときの確認などに使ったほか、ぱらぱらと読んでも面白かった。昭和という時代をいろいろな角度から掴み上げようとした名著である。

 というわけで、続編『平成史全記録』に期待した。期待した私が阿呆だった。

 いくつか挙げておこう。

(1)索引がない。資料本としてあり得ない失態だ

(2)出来事の網羅性が低い

(3)出来事の記述が素っ気ない

(4)どうでもいいコラムを多用しての水増し。この手の本はコラムを読むために買うのではない。事実を確認するために当たる本なのである

 毎日新聞社には『昭和史全記録』という名著があるのに、なぜこれを踏襲しなかったのか。紙質も悪い。出版までに十分な時間があったにもかかわらず、こんな駄作しか出版できなかったことに呆れる。

 昭和の63年余をまとめた『昭和史全記録』が1万2000円。平成の30年余をまとめた『平成史全記録』なら6000円でいいのに、3200円だって。

 読者を舐めているのか。編集者が莫迦なのか。手抜きなのか。予算がなかったのか。やる気もなかったのか。

 あーあと言うほかない。『平成史全記録』で例えばシャープや三洋電機、カルロスゴーンについて調べたい思った私はどうすればいいんだ? 1ページずつめくれってか?

 令和決定の号外を縮小して挟み込むくらいの知恵さえなく、『昭和史全記録』から何も受け継いでいない。毎日新聞社のDNAである継続性のなさ出たとこ勝負がそのまま反映されてしまった。

 数十年に1回しか出版する機会がない、しかもあとあと使い続けられる資料本だという自覚のない人たちがつくったんだろうなぁ。


世界報道写真展で思う子供と写真

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 有名な写真が大賞だった。撮影された場所は最前線の1つだろうが、危険が伴わない。しかし伝わってくるものがある。

 敢えてまた斜めの目で言うのだが、演技の世界では子供と動物にはかなわないと言われる。写真もそういうことなのではないか。そういえば、2002年中国・瀋陽の日本総領事館に逃げ込んだ(亡命した)北朝鮮国民母娘が、中国の武装警官に強引に連行された事件の映像と写真が世界中に衝撃を与えたのは、あの小さな女の子の泣きそうな表情の威力だった。

 子供の悲しい顔を見ると居ても立ってもいられなくなるのが人間なのだとしたら、そこに救いを感じる。

 それにしても、である。世界報道写真展なんて真面目な写真を誰が見に来るのだろうといつも不思議に思う。私が行ったのは雨天の日曜だったが意外にも大勢が見に来ていた。こういう写真展を見に来る人がいる限り世の中は捨てたものではないのだろう。

 大きな声では言わないが、世界報道写真展を見に来ていた女性の大半が理知的な美を備えていたのに驚いた。「どこ見てんのよ!」と叱られそうだが。

大地震の危険性に全く触れない奇妙な新聞記事

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 影響が大きいからとか地価を下落させてしまうからという言い訳をするのだろう。しかし、新聞が書かないのはある種の嘘情報を流すことになるという自覚が……ないのだろうなぁ。

 選手村のマンションは買いか否かという27日付『毎日新聞』夕刊(東京本社版)2面の特集記事だが、埋め立て地のマンションなんか買ったらあかんでしょ。首都直下地震や南海トラフ地震の影響を受ける可能性が高いんだから。

 命に関わる話を避けてあーだこーだ書く記事に何の意味があるのだろう。傾きでもしたらその後のローンの支払いどうすんの。危険性を書かないと加害者だぞ。

令和

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 朝から令和令和と空騒ぎ。マスコミがはしゃぐから、「はしゃがんといかんのかいな」と勘違いする人を増やす。

 NHKが朝から阿呆なことを言っていた。どこかの豆腐屋を「令和になっても豆腐を作り続けます」。当たり前やんけ。

 NHKがこうだから、テレビ局のマイクを突きつけられると私たちだって“正解”を言わなければならないと勘違いするもので、「穏やかな時代でありますように」や「私たちが引っ張っていきます」、「新天皇のお言葉はありがたい」などなど全く本気で思っていない意見をひねり出してしまう。

 私なら何と言うだろう。「災害で苦しむ時代になりますよ、ひっひっひ」か「浩宮が雅子ちゃんを全力でお守りできんかったから適応障害起こしたんちゃいまっか。雅子ちゃんは旦那を見限ったと思いまっせ。夫婦生活もうないでしょな」か。

 令和を待ちかねて婚姻届を出したカップルの話はもう飽き飽きだ。赤ちゃんの話もいらん。建て前ほど臭く浅く疑わしいものはない。

 私が知りたいのは、令和を待ちかねて離婚届を出した人、令和初の交通事故死、令和初の火事での焼死、令和初の殺人事件、令和初の傷害事件、令和初の詐欺事件などである。

 腹をくくったのだろう、令和初日にNHKで本音の顔をさらすベッキーを応援したい。


 
 

どうしようもないコラム2つ

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 下手くそ以前のコラムを定期購読紙『毎日新聞』で立て続けに2つ読まされたので記念に記録しておく。

 1つは4月18日付朝刊(東京本社版)の「経済観測」。ここは経済面で「経済観測」という通しタイトルがついているのに、米国の前副大統領のセクハラについて書いた。既報の寄せ集めで目新しさも独自の切り口も皆無という珍しい原稿だった。

 本来担当者かデスクが書き直しをお願いすべきだし、経済原稿を書けないなら筆者(東洋大学の横江先生)はこれ以上恥をさらさないためにも降りるほうがいい。揃いも揃ってどうなっているんだろう。

 もう1つは20日付朝刊(東京本社版)オピニオン面の「窓をあけて」。時々テレビに出ている編集委員の元村さんの連載だ。毎日書くのならネタ切れのときもあるだろう。しかしこの欄は週に1回か月に数回のはずで、だとしたら「われながらよく書けたかも」と思える原稿を出すのが基本なのだが、自分の30年前の経験と上野千鶴子先生の祝辞を合わせて性差別を書いたお手軽原稿だった。どうしようもないな。

 私がかつて仕えた福島支局長の園木さんの爪の垢でも煎じて飲ませたい。園木さんは福島版のコラムを隔週で書いていたが、必ず取材していた。「西野君ね、僕らが取材しなくなったらおしまいだよ」と。「取材するのが僕らの強みなんだよ」と。県警本部長に「毎日の記者は来てますか」と“取材”するんだから私たちはたまったものではなかったが、原稿を書く前の手間暇を惜しまなかった。

 で、元村原稿である。新鮮な切り口も独自の目線もない平凡極まる原稿を載せて恥ずかしくないとしたら記者としてもう終わっている。元村さんは私と同じ1989年の同期入社で、私はとっくの昔に新聞記者を辞めて、その後ずーっと金を払って『毎日』を購読している。単なる読者の私の方がまだ面白いものを書けるなと自信を持たせてくれてありがとう(笑い)。

 というか、誰か彼女に注意してやれよ。お前は何様だと。金払って読んでる読者を舐めんなよと。

『天人 深代惇郎と新聞の時代』から2冊の『天声人語』

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 後藤正治さんの『天人 深代惇郎と新聞の時代』(講談社文庫)は深代惇郎さんの人となりを追いかけた労作だ。そもそも深代さんと机を並べた人が鬼籍に入っていく状況である。取材は難航し、まとめるのも苦労した様子が窺える。副題にあるように、深代時代の朝日新聞社の空気を伝えた本でもある。

 本田靖春、森恭三、酒井寛、疋田桂一郎、三浦甲子二、富森叡児、松山幸雄、轡田隆史、辰濃和男、田代喜久雄、柴田俊治、石井英夫、柴田鉄治、扇谷正造、斎藤信也、本多勝一、小林一喜、富岡隆夫、浅井泰範、門田勲……。こういう懐かしい名前が次々に出てくる。大学時代を中心に『朝日新聞』や朝日文庫などでこうした記者の記事や本をたくさん読んでいた私は「おおー」と感嘆するわけだ(簡単な男であるな)。

 本書は深代さんの私生活を垣間見せたことで絶賛伝記になるのを避けた。配偶者と長年別居していたことや再婚相手が18歳年下だったこと、その再婚生活が深代さんの死去で1年で終わったことを知り、深代さんが抱えた昏さが何となく想像できるのは私も婚姻を破綻させた経験者だからかもしれない。

 急性骨髄性白血病で早逝することがなければ深代さんの天声人語は10年20年と続いたのではないか。本書を読んでいるうちに、深代さんの天声人語を無性に読みたくなった。飢餓状態がずーーーっと続いているせいだろう、良質の思考を味わいたい干からびた脳みそに栄養を吸収したい脳にへばりつく糞どもをもうこれ以上見たくないという欲望がむらむらとわいてきた。ところがだ。朝日文庫で一連の深代本は全て買って読んだけれど、手元に1冊も残っていない。

 アマゾンで調べたところ、2015年に復刊している。というわけで、疋田さんのやつと合わせて『天声人語』を買った。

 深代惇郎の名前が分かる人と話をしたい。

「福島事故」という表現は極めて不快

 NHKのニュースを見ていたら、世耕経済産業大臣が「福島事故」と言っていた。福島事故?

 福島県にある原子力発電所がメルトダウンという恐ろしい大事故を起こしたのだから「福島原発事故」だろう。よりによって経済産業大臣が「原発」を省略してはいかんだろ。

 福島が事故を起こしたかのような「福島事故」の表現はあり得ない。桜田さんの失言とは比べられない悪質さを私は感じる。

 私が知らないだけで以前から「福島事故」と言ってきたのだろうか。その場で記者は誰も咎めなかったのだろうか。福島は「福島事故」と言われることを認めているのだろうか。

 なぜ問題にならないのか。不思議である。
 

1面トップはブラックホールでしょう普通

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 文系馬鹿の私でさえ「ブラックホールを初めて撮影した」というニュースに驚き、興味を持った。撮影したということは本当にあることを証明したと言っていいわけで、人類と科学の快挙である。

 11日付『毎日新聞』朝刊(東京本社版)1面を見て「あーあ」と思ったのは私だけではないだろう。桜田さんの辞任をトップに持ってきた見識(?)を疑う。桜田さんのリップサービスが過ぎてひっくり返ったに過ぎない辞任のほうがブラックホールの撮影成功よりニュース価値が上なのか? 『日本経済新聞』のほうが真っ当な判断をしている。写真は『日経』より大きかったとはいえ。

『毎日』はブラックホールに吸い込まれてよし。

「働く男性の長靴が好き」実名報道はリンチである

 東京・足立区の食品加工会社に忍び込んで長靴を盗んだ男が逮捕された。「働く男性の長靴が好きだった」そうな。

 世の中にはいろいろな人がいる。女性の靴のにおいが好きな人もいる。性別は無関係に臭ければ臭いほど喜ぶ人もいる。趣味の一種に過ぎない。

 それを盗んだからといって、この程度の軽犯罪を実名で報じた連中は容疑者の「働く男性の長靴が好き」という自白を面白がったのだろう。変な奴がいるなぁと笑いながら報じたのだろう。

 これ、そもそも実名で報じる価値があるのか? 

 これだけなら執行猶予がつくのは間違いないのに。実名で報じられてしまったから、容疑者の社会復帰を阻むだろう。

 私はこれを報道リンチと名づける。

岡留安則『噂の真相』編集長逝く

 権力を持つ人間の醜聞を暴いて晒す貴重な雑誌が廃刊し、編集長だった岡留安則さんが沖縄で逝った。どういう出会い方だったか全く思い出せないが副編とはしばらくお付き合いがあった。新宿で夜遅くまで話し込んだ記憶がある。岡留さんとは全くない。もちろんネタを提供したことも一度もない。

 私が『サンデー毎日』にいたころ毎日新聞社の1階にあった薄暗い喫茶店で何回か見かけたことがある。同席していたのは『サンデー』の老練な記者だった。当時の編集長の悪口が『噂の真相』に何度か書かれていたので、あの老練な記者がネタ元だったのだろうか。編集長はめちゃくちゃ怒っていた。

『週刊金曜日』にいたころは、編集委員・本多勝一さんがけっこうつらいことを一行情報で暴露されて顔がピキピキしていたのを見た覚えがある。あの一行情報は焼夷弾並みの破壊力があった。

 活字業界周辺や時代の流れが激変したこともあり、その後『噂の真相』のような雑誌は出て来ない。岡留さんの死去とともに本当に終わったんだなぁ。聖俗の「俗」ばかり引き受けた感のある雑誌だったし、思想もなかったけれど、渡辺淳一さんとワイン女優の隠密旅行の追跡など文芸出版社が逆立ちしてもできない記事を載せた。『噂の真相』で世の中を学んだと言ったら褒めすぎか。


 

明石市長を支持すると再度表明する

 このニシノ説の熱烈な愛読者(ですよね?)からコメントが届いた。以下全文。


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以下に示すのは、神戸新聞報道による明石市長の発言です。

職員「(立ち退き対象だった建物の)オーナーの所に行ってきた。概算で提示したが、金額が不満」

市長「そんなもん6年前から分かっていること。時間は戻らんけど、この間何をしとったん。遊んでたん。意味分からんけど」

職員「金額の提示はしていない」

市長「7年間、何しとってん。ふざけんな。何もしてへんやないか7年間。平成22(2010)年から何しとってん7年間。金の提示もせんと。楽な商売じゃお前ら。あほちゃうか」

職員「すいません」

市長「すまんですむか。立ち退きさせてこい、お前らで。きょう火付けてこい。燃やしてしまえ。ふざけんな。今から建物壊してこい。損害賠償を個人で負え。安全対策でしょうが。はよせーよ。誰や、現場の責任者は」

職員「担当はおります。課長が待機していますが」

市長「上は意識もしてなかったやろ。分かって放置したわけやないでしょ。任せとっただけでしょ。何考えて仕事しとんねん。ごめんですむか、こんなもん。7年間放置して、たった1軒残ってもうて。どうする気やったん」

市長「無理に決まっとんだろ、そんなもん。お前が金積め。お前ら1人ずつ1千万円出せ。すぐ出て行ってもらえ。あほちゃうか、そんなもん。ほんま許さんから。辞表出しても許さんぞ。なめやがって。早くやっとけばとっくに終わってた話を。どないすんねん。悠長な話して。たった1軒にあと2年も3年もかけんのか。何をさぼってんねん、7年も。自分の家売れ。その金払え。現場に任せきりか。担当は何人いるの」

職員「1人しかいません」

市長「とりあえずそいつに辞めてもらえ。辞表とってこい。当たり前じゃ。7年分の給与払え。辞めたらええねん、そんな奴。辞めるだけですまんで、金出せ金も」

職員「担当は今は係長。この間係長は3回替わった」

市長「何やっとったん、みんな。何で値段の提示もしてないねん」

職員「値段は概算を年度末に提示している」

市長「概算なんか意味ない。手続きにのらへんやないか」

職員「市長申し訳ありませんが、(の分は)予算は今年度でつんでいる。前年度は予算ついていないんで、概算しか」

市長「ついてないってどういうことよ」

職員「他の地権者の分、とってますから。丸ごと全事業費は1年間でどーんと付けられない」

市長「見通しわかっとったやろ。ややこしいの後回しにして、楽な商売しやがって」

市長「ずっと座り込んで頭下げて1週間以内に取ってこい。おまえら全員で通って取ってこい、判子。おまえら自腹切って判子押してもらえ。とにかく判子ついてもらってこい。とにかく今月中に頭下げて説得して判付いてもうてください。あと1軒だけです。ここは人が死にました。角で女性が死んで、それがきっかけでこの事業は進んでいます。そんな中でぜひご協力いただきたい、と。ほんまに何のためにやっとる工事や、安全対策でしょ。あっこの角で人が巻き込まれて死んだわけでしょ。だから拡幅するんでしょ。(担当者)2人が行って難しければ、私が行きますけど。私が行って土下座でもしますわ。市民の安全のためやろ、腹立ってんのわ。何を仕事してんねん。しんどい仕事やから尊い、相手がややこしいから美しいんですよ。後回しにしてどないすんねん、一番しんどい仕事からせえよ。市民の安全のためやないか。言いたいのはそれや。そのためにしんどい仕事するんや、役所は」

あなたは、この全発言を認識したうえで「言葉尻を捕えるのはやめよう」と仰せになっているのか。あなたこそ、言葉尻を捕えてモノを言っているのではないか。

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 どこのどなたか存じ上げないが大変聡明な方であるのは間違いなく、しかしこの件に関しては(も?)私と相いれない。阪神を中心とした言葉のやりに慣れていないと、文字面だけでは誤読する可能性がある。

 言葉が生まれる背景がある。言葉が吐き出される理由がある。そうした背景を踏まえて“暴言”かどうか判断すべきで、この件に関しては市長に軍配を上げる。目くじら立てる話でないし、市長が辞職する話でもない。税金泥棒の市職員のそれまでの給与を差し押さえるべき話である。

 公務員に解雇制度の導入を。

言葉尻を捕らえるのはやめよう

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 用地買収が7年も進まず、そもそも買収価格の提示を地権者にしていなかった。そんな公務員は税金泥棒ではないか。上司なら激高して当然である。

 公務員を束ねる市長は市民に対して責任を負う。ゆるゆるの公務員に激怒するくらいでちょうどいい。

 事実、“暴言”の翌月には買収交渉がまとまったという。ということはやっぱり市職員が放置していた=仕事をしていなかったのである。

 明石市長は暴言癖がある人のようだが、この件に関しては私は泉市長の肩を持つ。



【付記】
「火をつけて来い」というのは吉本的な発言である。大阪周辺の人ならそれくらい分かるだろうに。それを真面目に取り上げる新聞テレビも、怒ってみせる市民も余裕なさすぎ阿呆ちゃうか。

『週刊金曜日』倒産へ?

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 創刊当時5万部の安定部数を誇った『週刊金曜日』が1万3000部まで落ち込み、危機を迎えているという。『創』12月号で知った。

 トンデモ本『買ってはいけない』で何億円もの内部留保ができ、それを食い潰しながらやってきた。しかし、社員の自然減を補強せず、賃金も下げて凌いでいる状態だとか。

 創刊から5年くらいの組織が最も不安定な時期を過ごしたのはいい経験になった。もっと早く廃刊すると思っていたので、25年も続いているのかという驚きのほうが私には大きい。

 当時の仲間はまだ頑張っている。それを思うと迂闊なことは言えない。しかし、私は買わない。私を目の敵にして追い出しを画策した元朝日新聞編集委員本多勝一さんが完全に降りて、資本金回収をあきらめるとなれば話は別だが。

 
【追伸】内部留保が潤沢だったころに資本金分は回収したよなきっと。

8紙読み比べの結論

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 1月1日の楽しみは新聞各紙の読み比べである。朝日毎日読売産経日経東京神奈川スポニチ。大きな特ダネは見当たらない。平和、ということにしておく。

 私が注目したのは『東京新聞』の新連載「メディアと世界 揺らぐ報道の自由」である。米国内ではこの15年で20パーセントに当たる1779紙が廃刊、部数は40パーセント減ったという。そんな「ニュース砂漠」の実情を報じた。日本の新聞関係者が注目する連載になるだろう。敢えて言えば表層的な動きだけではなく、どこか1社をモデルにして経営の数字にまで踏み込む必要がある。

 ニューヨークタイムスだったかワシントンポストだったかはインターネットでの収益が増えて経営を支えていると何かで読んだことがある。容易ではないが同じようにネットでの収益を増やすか何か副業を増やすか合併していくか。生き残りそうな新聞社と廃刊した新聞社に何か違いがあるのかどうか。生き残りのヒントを探る連載になることを期待しよう。

 新聞がなくなったら世の中大変なことになると危機感を抱いている少数の人と新聞の息の根が止まってゆく様子を黙って見ながら「うっしっし」とほくそ笑む少数の人の間で、大半の人にとってどうでもいい話なのである。新聞社が抱える問題はここにある。


 

麻原彰晃の最期を伝える記事

 麻原彰晃こと松本智津夫はどんな最期を迎えたのか。

 巷間伝えられているのは概ねこんな内容だ。以下は『AERA dot.』から。

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 (前略)死刑執行を告げた。

「麻原元死刑囚は、暴れたり、声を発することはなかった。だが、前室で目隠しをされ、両足を固定されたときには死刑が現実のものとわかったのか、顔がやや紅潮してみえたそうです」(前出・法務省関係者)

 そして、麻原元死刑囚は刑場へと消えたという。
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 新聞各紙も当時似たような内容を報じていた。そんなに粛々と消えていったのだろうか、信者への影響を考えると麻原がもし暴れていたとしても当局はこう言うしかないだろう、などと疑問を抱いたが、それ以上の報道はなかった。

 ここに来てようやくと言うべきか、麻原の全く異なる最期を伝えた記事が出た。

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 「何をする。バカやろう」と泣き叫ぶなど動揺著しい麻原の身体を、刑務官が後ろから羽交い締めにしてアイマスクで目隠しし、後ろ手に手錠をかけた。四人がかりで抱き上げるように死刑台の上に立たせ、ロープを首に巻き付け、足をひざ下で縛る。
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 一橋文哉さんの連載「もう時効だから、すべて話そうか」である。小学館の『本の窓』の10月号だったか9月号だったか。

 これが本当の話だとしたら、麻原らしい最期なのだが、意外なくらい話題になっていないのが不思議。

辺野古への土砂投入は確かに問題だが

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 この手の報道、よく分かる。よく分かるのだが、うーんと唸ってしまうのはなぜだ。政府批判は簡単なのだが、新聞が批判すべきは見て見ぬふりをする都道府県の姿勢と、その前提である日米安保の議論がないことではないか。

 そんなことしたら地方で部数が減る? ごもっとも。でもね。

 沖縄の米軍基地問題はそもそも日米安保に始まる。踏みにじられてきた沖縄にまだ米軍基地を押しつけるのかと沖縄は政権を批判しているように見えるけれど、「ほかの自治体は無視かよ」「私らを放置プレーかよ」と思っている。事実沖縄県知事だった大田昌秀さんは「ちむぐりさ」という沖縄の方言を使ってやんわりとそういう意味の発言をしていた。

 私が思うに第一候補は鹿児島県。次は熊本県辺りか。いずれにしても九州の県が他人事のように動かないのは問題である。「いや、沖縄にお願いするしかない」というのなら、政見も都道府県もそういう発言をしなければ。もちろん日米安保についての議論も含めて。

 いじめられ続けている沖縄君を政見先生も各都道府県同級生もだまーって見て、知らんふりしている教室が今の日本だな。

一字で1年を表せるわけがない

 賞味期限はとうに過ぎた。にもかかわらず、いつまで報じるのだろう。今年を示す漢字を1字で表せるわけがないのである。報じる価値があると思っているのか、去年も報じたから今年も報じると何も考えずに流れ作業でやっているのか。どちらにしてものんきと言うほかない。

 これから大きな地震や火山の噴火がたびたびあるはずで、そのたびに「災」なのだとしたら工夫も芸もない。やめたら? 報道機関がこれほど阿呆に見えるときはない。

安田純平さん無事帰国の受け止め方

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 内戦下のシリアで武装勢力に拘束されたフリージャーナリスト安田純平さんが3年5カ月ぶりに解放されて帰国したことをどう受け止めるかで侃々諤々喧々囂々である。考えが止まってしまうので「自己責任」という批判はここでは使わない。以下思いつくままに。

 まず無事で良かった。命だけは取り返しがつかない。無事の帰国をまずは喜びたい。ご家族にもお祝い申し上げたい。

 解放の背景には日本政府やカタール、トルコの尽力があったとされる。日本の外務省が頑張って邦人保護の結果を出したことに、それが仕事だとはいえ、やっぱり拍手を送っていいだろう。

 私の周囲では厳しい声が聞こえてきた。テレビを見ると、抑え気味ながらやんわり批判的なニュアンスを伝えるコメンテーターがいたし、横田めぐみさんの母親が「なぜあの人は帰ってきて、大勢の拉致被害者は帰ってこないのか不思議だ」という趣旨の発言をしたようだし、安田さんの過去の発言がブーメランのように戻ってきているようでもある。

 安田さんのご家族はお詫びや感謝を繰り返し語っているようだ。お詫びや感謝の言葉にはニュース価値がないから新聞やテレビは省略しがちだが、報道は省略すべきではない。受け止める側の感情を左右するからだ。

 安田さんの配偶者深結さんを取材した10月25日付『毎日新聞』夕刊(東京本社版)「夕刊ワイド」によると、ご家族は精神的に追い詰められていた。そんな中で深雪さんは今年7月から首相官邸に毎日電話をかけたという。

 安田さんは帰国時にこういうことを知らない。身代金を払うなと配偶者に釘を刺していたようだし。もしかすると日本政府やカタールなどの国家が救出に動いたことを知らず、「おれは耐え抜いた」と思っているかも知れない。だとすると、配偶者やご両親からよく聞いて事態を把握したうえで考え方の軌道修正をするほうがいい。

 私が安田さんなら、と考えた。シリアに行くような人と安全地帯にいる私とでは精神構造が違うので想像の域を出ないが、上記の状況を知ったうえでという前提で想像すると、あまりにも恥ずかしい。身の置きどころがない。政府批判などできなくなる。何を発言しても「政府に助けられたくせに」という目で見られているだろうなぁと思ってしまう。それでも、首相官邸や外務省などにお礼に行く。頭を下げて感謝の言葉を伝える。それを報道されてもいいというか仕方ない。

 日垣隆親分が昔から指摘していた「自分がニュースになってはいけない」の戒めが胸に刺さる。


 

 

頭がブラックアウトした新聞

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 大規模停電は5字。ブラックアウトは7字。2字の差がある。文字が大きくなって収容量が減っている新聞がなぜ字数の多いブラックアウトを使うのか。

 阿呆な『毎日新聞』は初出時に「大規模停電(ブラックアウト)」と記したり「ブラックアウト(大規模停電)」と記したりして迷走中。私が読んだ限りだが、にもかかわらずそのあとの記事で全てブラックアウトを使っている。

 ブラックアウトにはいくつか意味がある。報道管制という意味さえある。そんな英単語を使わずに日本人なら誰でも分かる大規模停電で必要十分である。

 それなのになぜ。そもそもブラックアウトを使う必然性がない。

 私の邪推だが、大規模停電と言うと電力会社が横に浮かぶ。電力会社の責任を避けるためにブラックアウトという横文字で煙幕を張って電力会社を守ろうとしているように見える。報道管制でないことを祈る。




 

警察密着番組は面白い

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 福島県庁内の社会記者クラブで共同通信の福ちゃんと話したので1990(平成2)年ごろだと思う。話題は警察密着番組の問題点だった。ふだん警察取材をしている記者にとって警察密着はあり得ず、その手の番組は警察のたいこ持ちにしか見えなかった。事実、警察の批判は皆無で権力監視を放棄していた。

 放送局には報道系と娯楽系の組織があり、後者が警察密着番組を作っている。放送局だからこそ作ることができるのであって、娯楽系がほとんどない新聞社には逆立ちしても無理である。警察密着番組が時々問題になるけれど、放送局の構造を踏まえなければ的を外す。

 実は私は警察密着番組を嫌いではない。番組を見ると警察に共感してしまう。だからこそ手ごわい。

「善戦」「圧勝」の恣意

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 自民党総裁選で負けた石破さんの闘いぶりを一部報道は「善戦」とした。沖縄県知事選で買ったデニーさんを一部報道は「圧勝」とした。

 デニーさんが勝ったのは弔い選挙だったからであって、もし翁長さんが現職で出馬していたら果たして同じ結果だったかどうか。翁長さんが闘病中「亡くなれば弔い選挙で勝てるのに」という声があったほどだ。

 弔い選挙でデニーさん圧勝が最初から予想できたから、敗れた佐喜眞さんはそれこそ「善戦」したと言える。

 定義が不明確だから何とでも使える曖昧な表現。その使い方で報道側の思いが見え隠れするのだが、そういう情緒的な話ではなく、冷静な分析を知りたいもんだぞ。

ボブ・ウッドワード記者75歳

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 75歳で現役の記者というのは米国でも珍しいのではないか。ウッドワードさんだからこそかもしれない。ワシントンポスト紙とどんな雇用形態を取っているのだろう。正社員? 非正規? ちょっと気になる。

 新刊なのにすでに100万部。米中間選挙でトランプ大統領の足をどこまで引っ張るかどうか興味深い。日本のどこの出版社が版権を得ているのかも。

 日本で75歳まで現役の新聞記者をした人はいないのではないか。どんな記者でも定年で「新聞記者」を剥奪される。その昔わたしがまだ本多勝一さんに憧れを抱いていたころ、つまり毎日新聞福島支局2年生のころだったか、福島にやってきた当時の齋藤社長に「朝日新聞社の本多さんが定年になったので、毎日新聞社に引っ張ることはできないのですか」と聞いたことがある。社長は「本多さんに毎日新聞で書いてもらうより、うちの若い記者にもっと書く場をやりたい」というようなことを言っていた。

 本多さんを毎日に招聘しても扱いにくいと今なら分かるけれど、当時は新聞記者に定年があること自体が不思議だった。年齢が上がるほうが人脈が広がり太くなるのに。ウッドワードさんの今回の取材に「年の功」はあったのだろうか。

朝日新聞記事の浅薄

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 9月8日付『朝日新聞』朝刊(東京本社版)で2つの記事に「ん?」と詰まってしまった。

 1つは経済面。スルガ銀行の融資不正に関する論評「視点」で<マジメであるがゆえに銀行を辞めた行員も多く>。なぜカタカナで<マジメ>と書いたのか。カタカナで書くと軽くなったり茶化したりする印象を私は受ける。朝日新聞用語集がカタカナ表記を指定しているとは思えない。「真面目」と漢字で書くべきである。

 もう1つは<行員も多く>の<も>。私は「曖昧のも」と名づけていて、使わないようにしている。<辞めた行員も多く>というのであれば、「それ以外の銀行員が多い」という前提を想定できてしまう。つまり、
・辞めない行員が多い
・辞めた行員も多い
 である。いったいどっちやねん。

 オピニオン面の「記者有論」はもっとひどい。名古屋の百貨店・丸栄の閉店について、記者が思いつきの提案を書き連ねた。ざっくりまとめるとこうなる。
・消費者の地元愛に徹底して応える
・商圏に見合った売上を維持する
・地元ならではの仕入れと品ぞろえにこだわる
・売り場を都市の市場に見立てて生鮮三品や工芸品を扱う
・デザイナーを発掘して地域ブランドを冠した医療品や日用品を扱う
・地元の消費者の心に響く店を作る
 この百貨店の損益分岐点を知って書いているのだろうか。数字の裏付けを踏まえていない提案なら中学生でも考えつく。

 これらの策で<商業の中心地が栄から2キロ離れた名駅に移りつつある>状況でお客さんを取り戻して損益分岐点を超える見込みがあると? こんな原稿を通すデスクらのケンシキをワタシは疑う。そんなにジシンがあるのなら記者が実証してみてはいかが。 

戦争証言を残す義務

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 久しぶりに紙媒体に原稿を書く機会をいただいた。毎日新聞福島支局時代に県版に連載して戦争三部作と私が勝手に名づけた取材と記事を中心に、沖縄での経験も加えた。ざっと200行くらい。

 紙面を提供してくださったのは立正佼成会の『佼成新聞』である。30年ほど前に私が沖縄で暮らしていたとき取材を受け、それ以来のお付き合い。30年ぶりの登場となった。ありがたいことである。

 高校時代だったか、「戦争経験者はいずれ皆無になる。そのときまた戦争を始めてしまう可能性がある」と思い至った。田中角栄や後藤田正晴、野中広務などなど自民党の中に戦争経験者がいて「絶対に駄目だ」と言い続けていた時代は安心できた。今後の見通しは暗いと私は見ている。

 記事に書いたことだが、取材に応じてくれた人のほぼ全員がもうこの世にいない。私にできるのは証言を残すことくらいだ。これくらいしかできないが、記者は証言を残す義務を負う。インターネットを使えばいい。

 戦争反対を言い続ける行為は無力感との闘いなのだが、屁の突っ張りごまめの歯ぎしり程度の効果はあると思いたい。


 

 

「戦争責任言われつらい」?

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 昭和天皇が「戦争責任のことをいわれる」とぼやいていたそうだ。1987(昭和62)年4月7日の発言らしい。当時私は沖縄で暮らしていた。沖縄戦に関心を持ち、沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会で上映活動の手伝いをしていたころだ。

 昭和天皇の真意が分からないものの激しい違和感が残る。

 日独伊三国軍事同盟でトモダチだったヒトラーは自殺し、ムッソリーニは銃殺された。昭和天皇は自殺することもなく、国民に殺されることもなかった。アジア太平洋戦争での日本人の国内外の死者数は310万人。この死者と遺族が昭和天皇の「戦争責任のことをいわれる」をどう受け止めるだろうか。

 ところで、この発言を報じた8月23日付『毎日新聞』朝刊(東京本社版)14新版は見出しを「戦争責任言われつらい」とカギカッコに入れた。しかし、社会面に載せた侍従日記要旨のどこを見ても「つらい」とは書いていない。これは先走り過ぎた。そもそも昭和天皇が「つらい」と思ったかどうか、侍従日記要旨では分からないのに。ミスリードだな。

新聞は戦争高揚の反省と謝罪を毎年載せるべし

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 全国戦没者追悼式で平成天皇が「深い反省」をここ数年語ってきた。父親である昭和天皇の戦争責任への反省を息子が語っているのだろう。それで済む済まないという問題はさておき、とても大事な姿勢であることは間違いない。

 ドイツだってことあるごとにヒトラー時代の反省を語っているそうだし、第2次世界大戦を念頭に置いたワイツゼッカー大統領の「過去に目をつぶる者は現在にも盲目である」はその反省の典型だろう。

 で、日本はどうなのか。昭和天皇はもちろん責任があった。軍部も責任があった。では新聞はどうだったのか。当時の二大新聞『毎日新聞』と『朝日新聞』はこぞって戦意高揚に勤しんだ。軍部への忖度もあったのではないか。責任がないわけがない。おおありだ。

 ところがこの2紙に限らず、新聞が戦争責任を語ることは少ない。25年くらい前に『毎日』で鈴木健二論説委員が連載「戦争と新聞」を書いた。『朝日』も散発的に記事にしてきた。それでいいとは思えない。今日の『毎日』と『朝日』の朝夕刊を念のために読んだが、反省も謝罪もない。

 新聞が戦争を煽ったことを知らない世代が増えているように感じる。知らないから、人に言われて驚き、「新聞って卑怯」となる。

 そこで提案だ。新聞各紙は戦争責任を毎年反省し謝罪すべきである。戦争の始まりをどこに定めるかで意見が分かれるだろうから、敗戦記念日の8月15日がまとまりやすいだろう。この日に新聞が戦争を煽った反省と謝罪を毎年載せよう。

 私がずっこけた記事がある。1945年8月16日に『大阪毎日新聞』社会面にのちの小説家井上靖記者が書いた「玉音ラジオに拝して」である。結びが「われわれは今日も明日も筆をとる!」。初めて読んだときは「そう来たか」とたまげた。どこにも反省がない。謝罪もない。びっくりしたなぁもう。むのたけじさんくらいではないか、辞めたのは。

 知らんふりを続けないほうがいい。厚顔無恥は信頼を失う。

筑紫哲也さんは偉大だった

 NHKは結婚離婚で余計な注目を集めてしまった元ブラタモリのアナウンサー。テレビ朝日は二枚目の優等生風アナウンサー。TBSは取材経験なさそうなアナウンサー。

 21時以降のニュース番組に力がない。見たいニュース番組がない。例えば杉田水脈クンをはじめとする連中の妄言暴言をぴしりと諫めることができるニュース番組がないのだ。

 初めて思った。筑紫哲也さんが生きていたらなぁ。

 岸井さんや鳥越さんもいたけれど、奥行きというのか深さというのか締まりのよさというのかオーラというのか、そうだ存在感だ、存在感がずいぶん違う。

 筑紫さんの後継者になりそうな人、誰かいるだろうか。

差別主義者杉田水脈差別発言を載せた『新潮45』の責任は

 誰でもそうだろうが私も恩義を大事にする傾向がある。『新潮45』の現編集長にはお世話になったことがあるし、というわけで、国会議員失格の杉田水脈さんの差別を載せた『新潮45』をどう見るか。

 載せないという選択肢もあっただだろうし、書き換えを命じる選択肢もあっただろう。しかし『新潮45』とて売れてナンボである。これが『週刊金曜日』なら没にするしかないけれど。

 私が『新潮45』編集長なら載せる。問題になると分かった上で、載せる。当てはまる人のこころを踏みにじり傷つけると十分予想した上で、載せる。載せることで、差別主義者が国会議員をしている、差別主義者が自民党に属している、と広く知ってもらうことができるという悪魔の計算の下で。

 差別主義者を白日の下にさらすことに成功したのだから『新潮45』は雑誌ジャーナリズムの役割を果たしたのである。「このあとは皆さんの仕事ですよ」と私が編集長なら言論ジャーナリズムにウインクするだろう。

 批判を書くこともできるが、今回は恩のある雑誌と編集長なので忖度して書いてみた。褒め殺しの意図はない。

 

杉田水脈という国会議員は相模原障害者施設殺傷事件の聖容疑者と同じ

 杉田水脈さんの偏見文章に対してまともに対応する必要はない、ということはない。批判の声を上げなければ、暗に認めることにつながりうる。それくらいの危機が来ていると感じざるを得ない。私の感覚では杉田偏見文章への批判がまだまだ少ない。

 危険である。

 相模原障害者施設殺傷事件の聖容疑者と国会議員杉田水脈さんの人間に対する冷たい見方が非常に似ている。杉田水脈発言を黙認することは聖容疑者の蛮行を黙認することにつながりうる。

 ちょっと立ち止まる時期なのだろう。特に「効率」や「生産性」という自己啓発系の安直な言葉を、同じ土俵に上がることを恥じてか野放しにしたり問題視するほどではないと軽視したりしてきた言論系の人たちは、ここで批判しなくて一体どこで批判するのか。「自己責任」という考え方もそうだ。銃を持って自衛しなさいという米国には似合うけれど、日本人の来た道向かう方向や精神にはまだまだ無理がある。

 例えばメディアは「リストラ」と英語を使って実態を曖昧にして企業を喜ばせるのではなく、「解雇」や「馘首」と明確に表現してそうされる人たちに寄り添うべきだし、あらゆる人権侵害を訳知り顔に淡々と報じるのではなく激しく指弾して木っ端みじんにすべきなのである。杉田水脈辞めろと連呼しないのが不思議でならない。

 杉田水脈という国会議員は相模原障害者施設殺傷事件の聖容疑者と大同小異だ。この危険な兆しを破壊することができなければ言論系の人たちの責任は大きいぞ。

快晴なのに災害現場でヘルメット?

 台風が近づいていると伝えるためにわざわざ波しぶきでびしょ濡れになるような場所に立ったり暴風に抗ったりしながらマイクを握る人たちをテレビで見て面白そうな仕事だなぁと思ったのは小学生のころである。

 そこには違和感はなかった。今もない。

 しかし、快晴なのに災害現場でヘルメットをかぶっているテレビの人には「なんで?」と思ってしまう。どこからも車は来ないのに赤信号というだけでじーっと待っている人たちよりも私には違和感が強い。

 NHKも民放各局も示し合わせたようにヘルメットをかぶっているから、そういうルールがあるのだろう。しかし、何回見ても変である。

 その後ろで自衛隊員や警察官らがヘルメットをかぶって作業をしていたりするから気を使っているのだろうか。テレビも自衛隊員も警察官も消防も、ヘルメットが不要な場所では脱ぐなり腰にぶら下げるなりそばに置くなりするほうが熱中症対策にもなるのではないか。

 丸刈りの強制を連想してしまう。

 

芥川賞候補作『美しい顔』は報道の敵?

 芥川賞候補作の問題作『美しい顔』で主人公の女子高生は被災地に写真を撮りに来た報道カメラマンを理詰めと感情を駆使してこころの中で完膚なきまでつぶした。ぐうの音も出ない。「よくぞそこまで突き詰めたな。おっしゃるとおりです」と言うほかない。

 今回の豪雨の被災者の記事や写真に『美しい顔』の理と感情が重なってしまう。文学と報道は異なる面があるけれど、芥川賞を取ったら報道への影響は避けられないかもしれないなぁ。


 

朝日新聞が日本で最も信頼できないという調査の愚

 英オックスフォード大ロイター・ジャーナリズム研究所が毎年行なっている国際的なメディア調査レポートの最新版『Digital NEWS REPORT 2018』によると、日本の新聞で読者の信頼度が高いのは1位日本経済新聞、2位地方紙、3位読売新聞、4位産経新聞、5位毎日新聞、6位朝日新聞だったとか。

 報道機関関係者なら間違いなく違和感を抱く。新聞を読んでいない人や全体像を見えていない人が投票したらこういう結果になるのだろう。

 そもそもこの調査はインターネットでのアンケートである。大変偏る。しかもトーシローだ。『科学革命の構造』(トーマス・クーン、みすず書房)の192ページに記された<科学者グループの決断以上に、科学の進歩を保証する良い規準が、他に存在するだろうか>を踏まえるなら、新聞の信頼度調査は本来全国の報道記者を対象にやるのが筋だ。科学ではないが科学に近づく調査にはなる。

 印象調査でしかない結果をうれしそうに書いた週刊誌のお里が知れる。

世界報道写真展の写真説明へのギモン

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「写真説明」と書けば誰でも分かるし少ない文字数で済むのに「キャプション」と書く『毎日新聞』はよほど英語が好きらしい。

 というわけで、ここから本題である。

 世界報道写真展2018である。大賞を取ったのは火だるまになった人の写真である。説明は「ベネズエラのカラカスで、ニコラス・マドゥロ大統領への抗議行動中に機動隊との激しい衝突が起こり、火だるまになるでも参加者」。

 ほー。すごいシャッターチャンスだ。

 しかし、実際はちょっと違う。デモ参加者が国家警備隊に投石や放火で対抗し、どういうわけかオートバイの燃料タンクが爆発して、その火がデモ参加者の着衣に引火したのである。実際一連の流れの組み写真と説明文も会場に展示されている。

 激しい衝突で起きたというより、デモ参加者の投石や放火が原因の可能性が高いのではないか。だとしたら写真は迫力があるけれど、ちょっと締まらない。


 

バレたら負け

 加計学園事務局長が5月31日に愛媛県庁で同県幹部と面会した際、取材は冒頭の数分間だけしか許可されなかったので、共同通信大阪社会部記者が録音を促し、後輩の松山支局記者は従わざるを得ないと考えてレコーダーを会議室の椅子に置いて退出したことが発覚した。共同通信は県に謝罪し、総務局長は「極めて不適切な行為で深くおわびします。記者教育を徹底し再発防止に努めます」と発表、記者はけん責の懲戒処分や厳重注意処分になったという。

 流出という点で毎日新聞の西山事件や朝日新聞の辰濃記者を思い出したが、幸いなことにこれは比べものにならないくらい軽いし質が異なる。

 それでも発覚したら当事者は処分を免れない。報道機関は謝罪せざるを得ない。余裕のない世知辛い時代になっているのでネットで批判されるのもやむを得ない。発覚したら放置しておけないのが社会のルールだ。

 では、こういう取材法をやめるべきかというと、そうは思わない。あの手この手で事実を追求するのが仕事なので、考え得る方法で情報を手に入れていい。お金が絡まない仕事の良さである。

 ただし、バレたら負け。バレたら白旗を揚げるしかないだから、着手する前に「バレないで済むかどうか」を検討しないと。会議室の椅子に置くなよ、という話である。それなら最初からやるなよ。中途半端。それから先輩の社会部記者が自分でやらないと。後輩を“実行犯”にさせるヤツは先輩ではない。

 いずれあらためて書くけど、世間が注目する判決文をすっぱ抜いた朝日記者から聞いた方法は一歩間違えたら逮捕されるものだった。勝てば官軍負ければ賊軍。でも賊軍になるのがイヤだと思って最初から潔癖を貫くのはちょっと違う。

 私ならどうするだろう。ドアと床の間に隙間があればそこにケーブル式のマイクを入れてみるとか、隠し録音できる機材を使うとかするだろうなぁ。県幹部の取材をするのは当然だが。

「悪質ステマ」と言われても

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 一般人を装って特定のサイトに誘導して物やサービスを買わせる。これはインターネットの世界には数え切れないほどある。アフィリエイトと言われ、ネット時代の初期からずーっとある。それを今ごろ「悪質ステマ」と言われても、というのがアフィリエイターの正直な気持ちだろう。そもそも何をもって「悪質」と決めるのか明確な基準はない。

 インターネットはそういう世界なのである。調べて調べて調べまくっても真偽が分からない物やサービスの販売サイトが溢れている。そういう空間なのである。

 アマゾンだから安心かというと、そんなことはない。本屋に売っている本がめちゃくちゃ高価で売られていたりする。カメラ本体とレンズのセットを割安で買った人がそれぞれバラ売りして稼いでいたりもする。新品レンズを安く買ったつもりなのに箱に入っていないレンズだけが送られてきて気づいたというレビューを時折見かけるが、そういうことなのである。

 従来ない手法の商売が横行しているのがインターネットなのだ。悪知恵が働く人はそこであこぎに稼ぎ、何も知らない人はカモにされる。そういう世界なのだと知っておくしかない。

 

 

米軍機の超低空飛行映像で

 日米地位協定で米軍機の飛行高度は人口密集地300メートル、それ以外は150メートルと定められているという。ところが岩手県一戸町に立つ風力発電所の支柱(高さ78メートル)の辺りを飛んでいるように見える映像があると4月27日付『毎日新聞』(東京本社版)朝刊が第2社会面で報じた。

 さっそく見てみた。記者が気づいて問題視したのは見事だが、5月2日夜の時点でも映像は削除されていない。批判されても屁でもないのだろうなぁ。

 F16戦闘機のコックピットから見る光景は普通見ることがないだけにとっても興味深いし、操縦うまいなぁと思ってしまうし、無機質な高い音だけが聞こえるので静かだなぁと思い込んでしまうのだが、地上では爆音が響いているはずだし墜落の心配をする人もいるはずだ。

 地上の民間人の視点がないことにこの映像を見た人のどれだけが気づいたか。こんなふうに思うのは沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会事務局で牧港篤三さん(『鉄の暴風』の筆者であり、元沖縄タイムス社相談役)に記録映画『沖縄戦・未来への証言』を「戦場の映像は沖縄の人の視点ではないですからね」とかつて言われたことが頭に残っているからだろう。

 岩手上空の米軍機映像を見ながら沖縄の空を思い出してしまった。そういえばかつて家庭教師をした沖縄市の女の子のひとりは「空がゴロゴロ言うのは空の音だと思ってた」と言っていた。戦闘機の爆音は今や完全に沖縄の「空の音」になってしまっている。

私のセクハラ報道の反省を込めて拝復ノマド様

 ノマドという人からコメントが寄せられた。これね → ノマドさんから寄せられたコメント

 すでにほんの少し触れたが、上記の要請を受けたので書いておく。

 財務事務次官セクハラ報道を読んで、「何も変わってないのか」と少し衝撃を受けた。女性への敬意のない自分勝手な接し方、女性が拒否しているのにそれを誠実に受け止めない無神経さ、情報を持つ側が情報を欲しがる側に迫るという地位の乱用など、『サンデー毎日』が報じたときと同じである。

 全く同じ構図だから、次の展開を想像した。すなわち被害者探しと被害者が分かったあと取材攻勢を受けるだろうことと被害者であるにもかかわらず被害者探しの過程で精神的ダメージを受けるであろうこと、周囲が無責任にいろいろな感想を述べてそれがまた被害者を苦しめるであろうこと、である。

 私はあなたを守ると誓って取材したにもかかわらず、当時の私は上記のような展開を全く予想しておらず、『新潮45』で少し書いたけれど、『サンデー毎日』の報道が結果的に証言者を追い詰め、傷つけ、苦しめてしまった。というわけで私の口は重くなってしまうのだが、苦しめた責任があるのは今も自覚している。

 話を戻す。

 被害者として名乗り出たテレビ朝日の女性記者の今後を私は心配する。周囲は従来通り普通に接するべきなのだが、それができる組織かどうか。腫れ物に触るようであってはならない。むしろ「よくやった」と守るべきである。取材音声データを他社に持ち込んだことが一部で批判されているけれど、批判されるべきはテレビ朝日の風土であり、彼女ではない。

 自社で報じることができないことがたまにある。それを他社で報じてもらうのは記者として正当な行動であり、今回のように公共性の高い告発はなおさらである。記者は属する社に奴隷のような忠誠心を捧げる必要はない。報じてナンボの仕事が記者なのだから。そういう意味ではテレビ朝日はめったにない特ダネを逃したことになる。

 社会的に注目を集める報道は記者にとっても醍醐味である。しかし当事者たちは大きな波をかぶり、今回の場合のような事案では離れ離れになる可能性が大きくなる。大きな波が温かい波であればまだしも、冷たい波も襲ってくる。被害者の女性記者もその上司も、報じた『週刊新潮』の担当者も、できることなら一丸となって踏ん張ってほしい。

 反省を込めて私が言えるのは以上である。

財務事務次官セクハラに対する新聞社内の事情というか女性の声というか

 財務事務次官セクハラの被害女性たちが報道各社に在籍しているとして、彼女たちが社内で声を上げられない理由を私が勝手に代弁しておこう。端的に言えば、女性の先輩たちの中に「減るもんじゃないんだから、おっぱいくらい触らせて特ダネ取れよ」と思う先輩女性がいるのである。

 どこの新聞社とは言わないが、かつて某週刊誌で某県警本部長のセクハラ問題をやったとき、同期の女性記者が「私なら週刊誌に言わない。それ(自分へのセクハラ行為)でネタを取る」という趣旨の感想を語ってきた。

 この姿勢は記者としては真っ当である。のちに部長になった。私も「それでネタを取る」と考えるほうなので、もし私が女性で取材先が触ってきたり口説いてきたりしてきたらその好機を逃さないだろう。銀座のホステスのように、阿呆な男に期待させてお金を使わせて、でも絶対に抱かれない、そういう駆け引きを楽しむだろう。

 しかし、この姿勢が必ずしも正しいわけではない。セクハラ行為に対する考え方や受け止め方には個人差がある。したがって、前述の同期の女性記者の感想を聞きながら「こいつについていくことができない女性記者はつらいだろうなぁ」と同情した記憶がある。

 被害女性が声を上げることを控えたのか声を上げることができないか詳細は知らないが、そういう社内の雰囲気があるのではないかな。

 女の敵は女なのである。もちろん私は女性の味方だゾ。

写真展「よみがえる沖縄1935」はいいけど日本新聞博物館が(涙)

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 大阪朝日新聞の記者とカメラマンが1935(昭和10)年に撮った沖縄の写真展である。那覇と糸満の9キロを走った軌道馬車の写真に「へぇー」とうなりながら見入った。簡単な軌道だから馬が何かの弾みで驚いて暴走したらすぐに脱輪したはずで、そういう事故はなかったのだろうか。はだしの子供も写っていたけれど、その当時の地方は似たようなものではなかったか。久高島の風葬の写真はモノクロだからなおさら寂寥感が漂う。

 沖縄が戦争に巻き込まれるなど誰も思いもしなかったころがあったのだ。写真に写った人たちはその後どうなったのだろう。

 リニューアルした日本新聞博物館を歩いてみてため息が出た。こんな展示に誰が金を払ってまで来るだろうか。

 本気でやる気がない。知恵もない。金もない。投げやり。片手間。無責任。子供だまし。もっと言ってやってもいいけれどむなしい。落ち目の新聞業界の現実が反映した空間と思って見ればナットクではあるな。

 偏りがあるのは承知の上であくまでも例として挙げると北村和夫さんが演じた映画『密約―外務省機密漏洩事件』(1978年)やTBSドラマ『運命の人』を映像で見せるとか、今やっている『ペンタゴン・ペーパーズ』を上映するとか、『大統領の陰謀』や『スポットライト 世紀のスクープ』、『市民ケーン』、それから『ローマの休日』などを順繰りに上映するとか、あくまでも一例だが映像の手助けを得ながら新聞社の仕事への理解を深める入口をつくることだってできるだろうに。

 以前は朝日新聞社機が展示してあって、中に入ることができた。あれはワクワクした。今回はそのワクワクがない。

 そもそも名称が縁起でもない。過去の遺物を展示する場所を指すことが多い「博物館」。つまり、絶滅した日本の新聞のあれこれを展示した場所と読むことができるわけで、今からでも遅くない、変えることをオススメする。もちろん展示内容もね。
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