同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて5000回超

疑問

河合議員夫妻の記者会見の時間

 事務所に広島地検が家宅捜索に入った夜、河合議員夫妻が個別に会見に応じたのだが、その時間が不可解というか、意図的に見えた。

 地検は午前中。会見は22時過ぎ。

 これ、会見が遅すぎないか。そこで「ははーん」と思った。

 私の邪推はこうだ。地元広島の『中国新聞』の早版の締切時間が22時(私の完全な推測)をやり過ごして、NHKの21時のニュースの時間帯を避けて、当日の報道をできるだけ減らそうと狙ったのである。

 邪推ではあるものの、核心を突いているとヒソカに思っている。私が相談を受けたら「会見は23時に設定しましょう」と耳打ちするもんね。だから同じ手の内だなと思ったわけ。

 河合議員夫妻の報道は翌朝から一斉に始まったから、夜遅くの会見がどれだけ効果を上げたかは別問題だが。

10キロおじさんは病気では?

 世の中の困った人をテレビが面白おかしく取り上げるけれど、病気ではないかと思うことが時々ある。血相変えて近所の人にイヤガラセをしていたオババとか、最近の10キロおじさんとか、どう見ても変ではないか。

 10キロおじさんは私には痴呆に見える。私は医者ではないので何の診断をする知識も技術もないのだが、言っていることがおかしいかどうかくらいは何となく何となく感じる。

 精神科医に取り上げていいかどうか意見を聞いてからテレビ放送の可否を考えているのだろうか。それくらい慎重であっていい。

 

選ばれなかった『日本経済新聞』のなぜだ

 選ばれると不名誉だが、選ばれないのもちとクヤシイ。ゴーンさんの会見を日本の報道会社が見るとこんな感じだろうか。

 選ばれたのが『テレビ東京』というのは納得だ。あの会社はジャーナリズムなどないもんな。次に『小学館』というのは正直よく分からない。『週刊ポスト』がへつらってきたのだろうか。まぁ、ジャーナリズム体質は弱い会社だからな。

 しかし一番分からないのが『朝日新聞』だ。「ゴーン被告、レバノンに逃亡」という見出しでも分かるように報道は厳しかったし、バリバリのジャーナリズム体質なのになぜ。

 一方、歯噛みしたのが『日本経済新聞』だろう(笑い)。「ゴーン元会長、無断出国」という見出しは『朝日』に比べるとゴーンさんに180度甘い。それなのに、子会社の『テレビ東京』が選ばれて何でうちが選ばれなかったのかと憤まんやるかたない思いになっているはず。「日本の経済ならうちが一番」という自負もあるだろう。それだけに外野としては面白いのだが。


 

『天声人語』は和歌が分からん

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 人工知能(AI)が俳句を作っていることを紹介して《成長が楽しみでならない》という陳腐な結びをしたのが1月4日付『朝日新聞』の「天声人語」だった。この結びを読んでがっかりしたのは、俳句や和歌(短歌)への底の浅い視座が見えたからだ。

 AIが作った俳句(やたぶん三十一文字)に(も)好感を寄せるこの姿勢はダッチワイフを抱いて射精するのに近い。

 性癖はいろいろあっていいけれど、恋愛や性交は人間相手にしたい。私はね。目の前にダッチワイフを置かれても興味は湧かない。なぜなら人間ではないからだ。

 俳句や短歌が面白いのは、技巧に凝ったり架空の話を作ったりしながらも作者の素顔がほんの一瞬見え隠れするからではないか。先日読み終えた池澤夏樹編集の『日本文学全集』第2巻のどこかでも誰かがそういうことを書いていた。

 AIが技巧に凝った俳句を作れば人間のにおいをさせることができるだろう。人間が作ったのかAIが作ったのか判断できないだろう。しかし、なのである。私はダッチワイフを抱きたくない。俳句を製造するAIの成長が楽しみとも思わない。そこに生身の人間がいないからだ。

 ダッチワイフではなくアニメのキャラクターでも私には同じ。人間が生む感情にしか私の感情は動かない。

日経VS朝日毎日読売産経東京

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 どうもよく分からない。ゴーンさんの肩書きである。『日本経済新聞』だけが4日付朝刊でも「元会長」としている。他紙は「前会長」だ。

「元」と「前」の違いなど読者にはどうでもいい話だろう。しかし、これを間違えると普通は死ぬほど怒られるところだし、位置づけもずいぶん変わってくるから、私は気になる。『日経』は「前」を「元」に含む表記ルールなのだろうか。


 

新幹線の荷物の置き方に異議アリ

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 外国人旅行客(インバウンドとかいう阿呆な言い方を私はしない)はひかりとこだまを格安で乗ることができるので、始発駅以外から乗ると大変な事態になる。すなわち、棚が大型スーツケースでいっぱいで、私の小型スーツケースとリュックを置く隙間がないのである。

 と同時に、小型や中型のスーツケースの置き方にも問題がある。私は縦に置くのだが、ほとんどの人は横に置く。横に置くとほかの人のスーツケースを置く空間が減ることが分からないようだ。

 上の写真は珍しいので撮った。縦に置いたスーツケースが3個並び(これは私が推奨する置き方)、手前のスーツケースが横置き(配慮ができない人の置き方)。通常はこの横置きのスーツケースがぎゅうぎゅう詰めに並んでいるので私はいつもがっかりする。

 スーツケースの置き方をJRが指導するしかない。私がこんなところでぼやく前に気づけよJR。

元農水相事務次官の長男殺人と『子供たちの復讐』

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 元農水相事務次官が長男を殺した事件の報道を見聞きしてすぐに浮かんだのが『子どもたちの復讐』(朝日新聞社、1986年)だった。

「開成高校生殺人事件」(1977年)と「祖母殺し高校生自殺事件」(1979年)を上下巻でまとめた本多勝一さんのこの単行本を私は今も持っている。下巻には祖母を殺して自殺した早稲田高等学院高校のAが書いた遺書が載っていて(文庫本化されたときは削除されていた)、「学歴」だの「エリート」だのに対して異様に負荷のかかる家庭環境や青年になった男に対して家族が距離の取り方を誤ると人間の人格を破綻させうると知った。

 元農水相事務次官の殺人事件はお嬢さんの自殺という衝撃的な話が裁判で出てきたこともあり、何となく世間の同情を誘った。

 しかし、それでいいのだろうか。長男が適応障害になったという理由で事件の幕を下ろすのではなく、何がどうなってなぜ間違ったのかを報じる記者はいないのか。本多さんが取材したころと違って今はプライバシー保護がやかましく言われるけれど、元事務次官に同情する前に殺された長男に同情を寄せるのが筋ではないか。似たような惨劇を何度も繰り返さないよう、家庭で何が起きてきたのかを共有する価値はあると私は思うのだが。

合意の有無は「薮の中」だが

 元TBS記者の会見を見る限り、私は“合意”があったのではいかと思う。女性が酔っていたのでその記憶が飛んでいるのではないかと思う。芥川龍之介ではないが真相は「薮の中」と言わざるを得ない。

 問題は合意の有無ではない。

 問題その1。就職活動中の女性を元TBS記者は気に入ったのである。だから寿司屋に誘ったのである。これが男性だったら寿司屋に誘っただろうか。

 問題その2。酔いつぶれた女性をホテルの同じ部屋に連れ込むのは私の感覚では絶対にあり得ない。客観的に申し開きできないではないか。李下に冠を正さず。自分の身を守る基本なのに。

 問題その3。TBSへの就職の相談に来た女性のTBSへの熱意を元TBS記者は自分に気があると勘違いした。その気持ちは分からないではないが、男が陥る勘違いの典型例だ。

 元TBS記者が女性を真正面から口説いていれば、女性から拒否されるなどしただろう。

 飲まずに口説け。


 

 

 

“改革”すればいいというものではない大学入試

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 大学入試センター試験の出題内容を変えることで英語の聞く読む話す書くの4能力を云々という話や国語と数学の記述式の採点をアルバイトにさせる話などで生徒を混乱させた。

 偏差値(ここでは旺文社のイメージ)が55以下の子供たちは振り回されるだけで、この“改革”は落ちこぼしをさらに増やす。成績が伸びない子供たちを塾や予備校で教えてきたので、そういう子供たちがさらに自信をなくす姿が見える。

 どうしてもやりたいのなら、この“改革”に賛同する国公立大が2次試験で科せばいい。私立もやりたければやればいい。教員が採点するのだから答案について複数の教員が採点することもできるだろう。

 学校の成績が真ん中から下の子供たちを切り捨てる“改革”のどこが改革なのか。“改革”したがる人の目にはそういう子供たちが見えていないのではないか。


 

「人情」ねぇ

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 人情商店街と自称する感覚が私にはこっ恥ずかしい。第三者が「あの人は人情がある」などと言うならまだしも、自称する商店街やそれを持ち上げて伝えるテレビは、見てはいけないものを見てしまったような恥ずかしさがある。

 例えば芸人が「人情マツモト」などと名乗ったらギャグだと受け止められるだろう。企業名に「松下人情企画株式会社」なんてのがあったら人はやはり笑うのではないか。履歴書で自分の長所欄に「人情家」「人情深い」などと記したら落とされるだろう。商店街なら「人情」をつけていいという理屈はない。

 人間にとって人情がとても大事な要素であるのは間違いない。しかし「人情」の二文字は取り扱い方を誤ると間抜けたことになる。私が非情だからこんなことを思うのだろうけど。

沢木耕太郎さんご乱心?

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 あの沢木耕太郎さんが11月24日付『日本経済新聞』に「午後の異邦人」と題するエッセイを書いていて、それをノンフィクション作家・中原一歩さんが目に涙を溜めて抗議している=12月2日付『毎日新聞』夕刊(東京本社版)文化面「このごろ通信」。

 何でも田園調布に向かうバスの外国人の多さを見て《非白人に対する警戒心と防衛本能のようなものが発動されているように感じられるのだ》とし、《バスに残っていた二人の日本人が途中の停留所で降り、運転手がバックミラーでちらりと車内を見る。すると、そこには外国人しか乗っていないことに気づき、愕然とする……》でエッセイを締めくくったそうな。

 中原さんは《最後の「愕然」という言葉に、沢木さん、それはないよと、憤慨してしまった》と記す。

「愕然」の意味は『広辞苑第7版』によると《ひどくおどろくさま》、『新明解第5版』によると《意外な知らせを受けて(事実を知って)ひどく驚く様子》だ。これだけを見ると、沢木さんの「愕然」に違和はない。

 しかし『深夜特急』という名著を記した沢木さんの表現だからこそ中原さんは驚いたのである。つまり、かつて異邦人だった沢木さんなら日本で見かける異邦人に対してただ驚くという反応以外の反応があってしかるべきではないか、ということだろう。日本に来た外国人に対する温かい目が全く感じられない、ということでもあるだろう。

 原文を読んでいないので(『日経』を探して読めよ)これ以上踏み込めないが、沢木さんが言葉足らずだったのか年老いたのか。いずれにしても、沢木さんの不十分な表現を取り上げた中原さんの感覚が素晴らしい。こういうコラムを書くことができる社員記者がなぜいないのだろうか。高給を食むと動きが鈍るのかもしれないな。

『毎日新聞』で沢木さんに取材を申し込むなどして追究すれば面白い記事になりそうだ。

120歳まで生きたくないな

「医者が考案した長寿味噌汁」とか何とかいうような本があって、何の証拠もないのによくまぁこんな題名を許したなぁとアキレス腱。最近は「120歳まで生きるロングブレス」とか何とかいうような本が化粧直しをして再登場している。

 どこまで長生きしたいのだろうと私は首をかしげる。

 長生きして何かいいことがあるだろうか。親が死ぬのは順番だからいいけれど、友人が死ぬ。配偶者が死ぬ。子供が死ぬ。孫が死ぬ。長生きしたために逆縁に遭ってしまった人を私は何人か見ていて、その心中を察するにあまりある。

 みんなでお手々つないで長寿というわけにはいかない。自分だけが長生きしたら地獄ではないか。そこまで考えた上で長生きしたいかどうか考えるほうがいい。

英語民間試験の断念は正しいというかそもそも論

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 何も大学受験英語で無理して「聞く読む話す書く」を問わなくてもいいではないか。英語の必要性があれば勉強すればいい。米ニューヨークの国際連合で働く人とニューメキシコ州で日本レストランを開業する人とマサチューセッツ工科大学で工学を学ぶ人と沖縄のホテルで外国人観光客を相手にするのとでは「聞く読む話す書く」の内容が激しく異なる。にもかかわらず大学受験英語の程度で慌てて何を身に付けることができるというのか。

「読む」を中心の従来の英語で英語の基礎を築くことができないならまだしも、しっかり身に付ければ基礎はできる。

 中学高校(大学)と6年以上英語を勉強しているのに話せないし聞けないと下村文科大臣が批判していたが、「6年」はあまりにもデタラメすぎて笑えない。英語は学校で週に3〜4時間程度しかやらないのだから「6年」はあり得ない。デタラメを言うにもほどがある。そもそも前提がデタラメだったのに、そこを修正せず突っ走ったらアカンがな。

 英語の「聞く読む話す書く」の力をつけさせたいなら、授業でどんどん積極的に手を挙げる子供を育てるのが先だし、何かの講演会があったら最前列から席が埋まっていくような積極性を養うのが先だし、とはいえこういうのは国民性だろうから、そうそう育てたり養ったりできるとも思えない。

 私は塾で英語の出来の悪い子供たちを教えたことがあるので余計に思うのだが、英語ができる子供は放っておいても自分で「聞く読む話す書く」を身に付けるし受験で高得点を出す一方、英語ができない大勢の子供たちは混乱を増すだけだ。

 民間試験業者の中には1回の受験料が2万5000円というふざけたのがあった。最初からやる気がないのである。

 絶対に必要だと言うのなら、大学入試センターで問題を作ればよろし。


 

 
 

分からないことだらけの英語民間試験導入

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 何も大学受験英語で無理して「聞く読む話す書く」を問わなくてもいいではないか。英語の必要性があれば勉強すればいい。米ニューヨークの国際連合で働く人とニューメキシコ州で日本レストランを開業する人とマサチューセッツ工科大学で工学を学ぶ人と沖縄のホテルで外国人観光客を相手にする人とでは「聞く読む話す書く」の内容が激しく異なる。にもかかわらず大学受験英語の程度で慌てて何を身に付けることができるというのか。

「読む」を中心の従来の英語で英語の基礎を築くことができないのか?

 中学高校(大学)と6年以上英語を勉強しているのに話せないし聞けないと下村文科大臣が批判していたが、「6年」はあまりにもデタラメすぎて笑えない。英語は学校で週に3〜4時間程度しかやらないのだから「6年」はあり得ない。デタラメを言うにもほどがある。そもそも前提がデタラメだったのに、そこを修正せず突っ走ったらアカンがな。

 英語の「聞く読む話す書く」の力をつけさせたいなら、授業でどんどん積極的に手を挙げる子供を育てるのが先だし、何かの講演会があったら最前列から席が埋まっていくような積極性を養うのが先だし、とはいえこういうのは国民性だろうから、そうそう育てたり養ったりできるとは思えない。

 私は塾で英語の出来の悪い子供たちを教えたことがあるので余計に思うのは、英語ができる子供は放っておいても自分で「聞く読む話す書く」を身に付けるし試験内容がどう変わっても高得点を出す一方、英語ができない大勢の子供たちは混乱を増すだけだということだ。


 

 
 

10年後のマンション大規模修繕工事で実行できたらいいこと

 暑いときも寒いときも現場で仕事をする職人が一番偉い。

 私は小学生のころプラモデルをよく作った。作ったけれど、戦車は動かず、戦艦は沈む。何でやねん! 私は図画工作が本当に駄目なのだった。

 だからだろうか、手に職を持つ職人の世界に昔から憧れてきた。ニコンが好きなのも職人肌を感じるからだ。

 そんな職人に敬意を払う最もいい方法は対価をしっかり受け取ってもらうことだ。ところが、である。マンションの大規模修繕工事の場合、業者が請け負い、職人を集めて仕事を進める。私たちが業者に払った大金の何割か中抜きされて、少ない金額が職人に渡る。

 これをなんとかできないものか。例えば朝(落とすといけないので仕事が終わった夕方でもいい)現場でお金を職人に直接渡すとか。

 高所恐怖症の私はかつてマンション10階の足場で足がすくんでしまって二進も三進もいかなくなったことがある。職人が足場をひょいひょい歩くので何も考えずに降りたから大変だった。もう二度と足場に行くもんか。

 というわけで、現場で直接お金を受け取ってもらうやり方ができないかと考えているのだが、次の大規模修繕工事となると私は70歳くらいか。この世にいないかもなぁ。

電車の中で病人が出て

 15両編成のJR東海道線が横浜駅の手前で止まった。11号車で乗客が倒れたという。車掌室にいた2人があれこれ連絡を取り、しばらくして電車は走り出した。車掌の1人は11号車に向かった。車内放送で医療関係者の応援を2回呼びかけたから倒れた人の状態はよくなかったのではないか。

 ここで思い出したのは、同じマンションに住んでいた友人である。横浜線に職場の仲間と一緒に乗っていて突然倒れた。横浜駅前は車が渋滞していたため救急車のサイレンの音は聞こえるのになかなか近づいてこないので焦れったかったとのちに聞いた。友人はそのまま意識が戻ることなく亡くなった。

 人が倒れたら基本的に一刻を争う。電車を止めたのはそういう規則があるのだろうけれど、一律に止めていいとは思わない。近くに併走する道路があればそこに救急車を要請できるけれど、そういうことができない場所なら最寄り駅に突っ走るほうがいいはずだ。

 そこまで踏み込んだ規則を作ってあるようには思えなかった。そもそも電車内にAEDを置いていないのではないか。

どちらに分がある?

 A子さんとB子さんは同じ職場で勤めている。A子さんはB子さんをバーベキューに誘った。そのバーベキューはA子さんの母とその再婚相手が毎年やっていて、30人くらいの人数が集まる。B子さんは彼と一緒に参加した。

 後日、A子さんがぼやくこと。

「B子さんは手ぶらで来た」
「B子さんと彼氏はひたすら食べ続けた」
「帰りがけにバーベキューを詰めて渡したのも持って帰った」
「B子さんの彼氏は人見知りが激しくてひたすらB子さんのあとを追いかけ、あいさつひとつなかった」
「私は親戚に恥ずかしい思いをした」

 B子さんは大山倍達のような体格で、ふだん職場でも恐ろしくよく食べることをA子さんは知っている。

 以上から、どちらに分があるか?

 どっちもどっちという説がないわけではないが(笑い)、私はB子さんに分があると思う。

 そもそもバーベキューに誘ったのはA子さんだ。「どんどん食べて」「死ぬほど食べて」と勧める立場ではないか。食べまくったA子さんと彼氏を詰るのはお門違いだし、詰れば詰るほどA子さんはケチだなぁと思えてくる。

 某中小企業(当時)で社長の誕生日に従業員がお金を出し合って贈ったのは5万円のサンダルだった。こういうお金の使い方が正しいと思う。

 人に物を贈ったりプレゼントしたり(同じか)ごちそうしたりするときにケチるくらいなら最初から何もしないほうがいい。自分には始末していいけれど、他人には始末してはいけない。中途半端は恥ずかしいと私は思うんだけどな。

 

毎日新聞社の早期退職募集に対して弟の判断は

 かつて毎日新聞社を「難破船の上で盆踊りをしている」と喝破したデスクが30年前にいた。その毎日新聞社が200人の早期退職希望を募っている。私の弟(51歳)も年齢的に対象である。

 ある日その弟が電話をかけてきた。破格の退職金を示されて驚いたのだった。中小零細企業の10倍くらいもらえると知ってココロが動いたようだ(笑い)。

 しかし、弟は辞めるという判断ができるわけがないのである。大学を出てずーっとこの会社にいる。一般消費者向けの商品を出している会社なのでとりあえず会社の名前はどこでも通じる。本人は否定するだろうけれど、盆踊りをしている能天気な一人なのである。

 弟の心配はここ数年で業界全体が急激に縮小していることだ。早期退職して破格の退職金を手にしてウハウハと優雅な暮らしをするか、定年まで頑張るか。定年まで頑張ろうとしても会社の状況がさらに悪化したら給料は減るだろうし退職金も減るだろう。そこを弟は心配していた。

 弟は出世するタイプでは全くないし、内勤なので会社外に人脈がない。こういう人間は早い時期に辞めるべきなのである。51歳ならまだ転職先があるからだ。気力や活力もまだ残っている。莫大な退職金をもらって次の一歩を踏み出す好機なのである。

 しかし、1つの会社にずーっといたから、辞める勇気がない。ベルトコンベアに乗って定年退職というゴールまで進むのは判断ではなく思考停止なのだが、そこに気づいていない。

 30年も盆踊りをしてきた難破船だからまだまだ沈むまいと思う毎日社員は、「人間は自分が見たい現実しか見ない」と喝破したわがカエサルの本を読むべきかもしれない。


 

大地震対策用に最も評価の高い耐震柱を買ったけれど

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 大地震で本棚が倒れても、本が破れたり変形することはあっても壊れることはない。紙だもん。

 と気楽に見ていたのだが考えを変えた。本棚が倒れたら片付けるのが面倒だ。その面倒を予防するために最も評価の高い耐震柱を買って、とりあえず大型の本棚2箱に取り付けた。

 しかし、なのである。やっぱり、と言ってもいいか。

 私が住むマンションの天井は石膏ボードを吊り下げてあるだけなので、耐震柱を本棚と天井の間に置いて突っ張らせようとすると天井が浮くのである。無理に突っ張らせると天井を抜いてしまうだろう。これでは十分な突っ張りにならない。

 天井がコンクリートか梁なら十分な突っ張りができるのだが、そんなちょうどいいところにコンクリートも梁もない。これは私だけではないだろう。

 よかったことがないわけではない。本棚の上に長年置きっぱなしにしてあった本やファイルなどをひとつずつ見て、不要なものは捨てることにしたのでずいぶんすっきりした。これでよしとするか。よし。


 

ワシもネタをつぶされたぞ

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 かんぽ生保のムチャクチャ販売問題を追及していたNHKが日本郵政側から抗議を受けての「クローズアップ現代+」の続編を延期したと9月26日付『毎日新聞』朝刊(東京本社版)が報じた。報道の自由を自ら歪めるNHKよお前もか。

 お前もか?

 そう、だって『毎日新聞』も抗議を受けて記者の取材にストップをかけたではないか。当事者の私が言うのだから間違いない。

 福島支局時代のことだからもう30年近く前の話だ。社会面に売り込もうとデスクに相談のうえ県内の某洗濯企業の問題を取材していた私に当時の石川支局長が「相手も反省していることだし、もういいんじゃないか」と事実上の取材中止を求めてきた。

 社会面に載ったかどうかは分からない。しかし、一石を投じるネタだと私は思っていたので張り切った。それをつぶしたのは、浅間山荘事件のときに刑事の寝床で話を聞き取って特ダネを連発したとかいう誠支局長だった。

 反省したからといって報じないなら報道機関はいらないのである。福島面に広告を出していようが社会人野球にその会社のチームが出ていようが関係ないのである。本来は。

 だから舐められる。

 私の反省は、『毎日』が駄目なら、親しい記者がいた共同通信か河北新報か読売新聞か産経新聞にネタを持ち込んで報じてもらうべきだった。あるいは労組に持っていってもよかった。半日サボタージュして抗議の意思を示す程度の弱腰しか持っていなかった私にも非がある。

 

消えてゆくのはなぜ

 数日前にボールペンが消えた。

 今日気づいたのは、財布が消えていることだった。昨夜スーパーのレジでお金を払うときまではあったのだが。スーパーを訪ねたが、ないと言われた。広島のモンベルで買った珍しい財布なので大変惜しいのだが、貧乏人なので昨夜は確か数百円しか入っていなかったのは不幸中の幸いであるな。

 なぜ消える? 私の脳みそが溶けているのだとすれば納得するけれど(するんかい!)、この調子ではさらにいろいろなものが消えていきそうだ。手品師なら芸になるのだが。

 しょぼーん。

速読と短時間睡眠は個人の資質

 私が沖縄で暮らしていたころだから昭和の終わり頃、速読が流行した。そのころ短時間睡眠の本が出たり、今も短時間睡眠のセミナーがあったりする。

 速読ができる人は生まれ付きできる。根本先生は原稿用紙500枚を1時間で精読できる。こういうのを速読と言うのである。私は活字人間だが、逆立ちしても1時間で精読できない。あ、逆立ちもできないのだが。

 知人の70歳女性は昔から4時間以上眠れない。4時間寝れば十分だと言う。私は8時間くらい寝ると頭がすっきりする。私がこの女性の真似をしたらすぐに睡眠不足に陥る。無理をして続けたら心筋梗塞で死ぬだろう。

 生まれ付き速読ができる人や短時間睡眠で済む人がいるのであって、それを他人が真似しようとしても基本的に無理なのである。

自分に酔ってる小泉進次郎の頭の中は

 小泉進次郎が官邸で会見をした際の内容に私は違和感を抱いた。鎧を着て寝ているとか何とか。小泉進次郎を演じているとか何とか。でも、クリちゃんと一緒にいたら素を出せるとか何とか。どこまで自己陶酔しているんだ?

 単なるおのろけとして「はいはいごちそうさま」と無視してもいいのだが、40近くにもなって幼稚なことを言う奴だなぁと私は引っかかった。さらに推測すると、中身がないから鎧を着なければならないのではないかと勘ぐる。これは詐欺師が外見をばっちり決めるのに似ている。

 鎧で隠しているのは中身のなさと自信のなさゆえではないか。そのくせ周到に官邸で結婚会見を目論む幼稚さよ。鎧の下からパンツが見えた。

 外見ばかり気にする男だとしたら頭の中は十中八九空っぽだろう。

相変わらず何が言いたいのか分からない毎日新聞社の広告

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 宣伝が下手くそだなぁと昔から思ってきた毎日新聞社の広告である。東西線大手町駅で見つけた。

 これでイメージが上がる? 部数が増える? 

 んなわけなかろう。では一体何のために金をかけてこんな広告をつくっているのだろうか。「自己満足デス」と言われたらナットクするけれど、自社内での撮影って安易すぎないか?

 宣伝には2種類ある。1つは業界全体のイメージアップに資する内容。もう1つは自社の特性を強調して経営の数字上何らかの効果をもたらす内容。毎日新聞社が従来やってきたのは前者だったことに当事者が気づいていないのか、強調できる自社の特性がないのか。

 宮迫博之さんに出演してもらうのはどうだろう。記者の役で、取材相手にぐっと手を伸ばして「毎日新聞はテープ回してます」と言わせるとか。

 ビートたけしさんに出演してもらって、「部数減る一方で、もうおしめえだって話じゃねえか。まぁ新聞の1つや2つつぶれてもオイラには何の関係もねえけどな。まぁでも、新聞の中ではマシなほうだと思うよ」と言わせる自虐CMのほうがインパクトはある。

 池乃メダカさんに出てもらったら、「毎日新聞に言いたいこと? そうやな。背が高くなる薬を開発してくれ」とか。

 真面目なところでは池澤夏樹さんに出てもらう。本紙を広げ、「日曜の読書面、丸谷才一さんから受け継いだ私が隅々まで目配せしています」と。少なくとも本好きには響く。

 あるいはいま宣伝に出ている空手女子に編集局に乗り込ませてはどうだろう。「特ダネがない! やり直し!」「読者は待ってるのよ!」などと叫ばせ、社長や主筆、編集局長らを殴り蹴る。社長以下土下座して「あしたの紙面を待っててください。印刷まであと2時間あるので何とか頑張ります」。ウケると思うけど、自虐だなぁ。

 

歯医者でのレントゲン

 定期検診で歯医者に先日行った。「1年撮ってないのでレントゲンを」と歯科衛生士に言われ、まずレントゲン。

 そのあと歯科衛生士によるチェックとクリーニング。最後にレントゲン写真を見せられて「問題ありません。今度は半年後に」と言われておしまい。

 歯医者は出て来なかった。

 歯科衛生士だけで4500円稼いだわけで、これが歯医者として正しいのか金儲けに走っているのか私には判断できない。

 マスクをした歯科衛生士の顔の上半分がかわいかったからよしとする、か?

宇宙人に出会っていいのか

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 NHKでこんなのをやっていた。

 今までの私なら賛成していた。かつてセチアットホームに参加したし。

 しかし、先日何で読んだか、あのホーキンス博士は宇宙人に出会うことを否定していた。宇宙人に出会っても顔を合わせないほうがいいという趣旨の発言も残していたはずだ。

 その理由は、宇宙人が善意の生命体とは限らないからだという。言われてみればそのとおりで、野蛮な生命体だったら地球人はおしまいになる危険がある。宇宙人との出会いはロマンで片付けるわけにはいかないのではないか。

 その辺のことを専門家はどう考えているのだろうか。と書いたけれど、宇宙人の専門家、いないよなぁ。

ウェブテスト、カンニングされてまっせー

「お父さん、ちゃんと働けよ!」

 次女に叱られた。私に似て性格がきつい。カリカリしているわけは、次女が就職か見習い志願のためにウェブテストを受けるのに私がのらりくらりしていたからである。私は何も関係ない、はずだった。ところが……。

 パソコン画面に出てくる問題文の一部を次女が読み上げ、私が別のパソコン上のエクセルだかワードだかに打ち込むと答えが出る。それを次女に伝える。

 答えが出ない場合もある。そんなとき次女は「捨て問だ」と叫んで次の問題に進む。

 どういうことだ? ウェブテストのあと全体像がうっすら見えた。

 ウェブテストを作る会社があり、企業はそこからウェブテストを買う。ウェブテストはアットランダムに出るのかもしれないが詳細は不明。

 一方で大学生は正解を割り出して問題文と正解をデータベース化する。

 問題は読解力を問う分野や数学的処理を求める分野などがあり、国公立大の大学生と私立大なら理系が間違いなく有利だ。私立大の文系は明らかに不利(笑い)。

 つまり、ここで大学の選別が自然に行われる。大学名ではなくウェブテストで落としたという言い訳を企業は主張できる。大学生がこういうデータベースを持って対応していることくらい企業は承知しているだろう。しかし企業はそれでいいのである。

 国公立大や理系の学生はいいなーと思ってしまいそうになるが、その先がまだある。

 例えば九州大法学部の学生ならみんな同じデータベースを手に入れることができる、というわけではなさそうなのである。そのデータベースはサークル内で伝わったり友人間で伝わったりと少数の学生に細々と伝わる。なぜなら、同じ大学の学生同士で競争になるからだ。例えば巨大製薬会社の1つの部門(採用数2〜3人)を慶應大薬学部の学生だけで100人くらいが受ける。

 ここでもう1つ分かったことがある。売り手市場と言われるけれど、それは中小企業の話であって、いわゆる大企業は激戦なのである。

 何だかなー何だかなー何だかなー。疑問符が相次いで浮かぶ。

 なお大手商社は試験場に来させてテストを受けさせるという。このほうが公平ではある。

「お父さん、ブログに書いちゃ駄目だよ」

 すまん。書いてもた。

 そんなしょーもないテストを課す企業に行く価値はないのである。そもそも大企業に入っても定年まで安泰ではない。IBMがパソコン部門を切り離して台湾企業に売ったりシャープが身売りしたり三洋電機が消えたり、パイオニアも東芝もブリヂストンもパナソニックも確か社員に退職を迫って嫌がらせをしたりした。大企業であればあるほど、箱に詰め込まれて外から揺さぶられ、しみじみと無力を味わう。

 渡り歩くことができる能力がこれからの社会人に必須ではないか。それがどんな能力なのか、自分で考えたまえ。ワシには分からん。

現代の“極限の民族”

 打越正行さんの『ヤンキーと地元』が話題になっているると知って、数年前に土門拳賞を受賞した写真集『新宿迷子』を思い出し、さらに本多勝一さんの極限の民族三部作が頭に浮かんだ。すべて同じジャンルとして串刺しにできる。そのジャンルは“極限”である。「極限」ではなく“極限”ね。

 内部のことを外に向けて発信することなど考えたこともない人々が棲む狭い世界がある。その狭い世界に棲む人々は外に向けて伝える言葉やカメラなどの手段を持っていない。持っていたとしても外に向けて伝えようとは思わない。

 その狭い世界に外部から言語やカメラなどの手段を持った人が入っていき、そこから記事や本、写真にして外に向けて発信したのが上記の作品に共通する。

 その狭い世界に棲む人たちは「え? わしらの日々が珍しいんか?」とびっくりする。「これ、わしらには普通なんやけど」と言ってこちらを不思議そうに見る。

 狭い世界は知識教養嗜好階層の餌あるいは慰み物になる。

 本多さんの極限の民族三部作の現場に今では誰でも行けるぶん価値が落ちてしまった。知識教養嗜好階層は日々に飽きるのが早いので、いつも新しい“極限”を探す。その網に引っかかったのが『新宿迷子』や『ヤンキーと地元』などが見せてくれる狭い世界なのである。

 これは小説の世界にも当てはまる。書くべき対象はもうほぼ書き尽くされている。古くは『太陽の季節』がそうだ。あの時代の最先端の湘南の若者の世界に慎太郎が入って行って「こんな若者いてまっせー」と小説にして向かって発信した。

 次はどの世界が餌食になるのか。

 表現者は日々探している。自分のために。

防犯カメラと『一九八四年』

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 防犯カメラが街に増えはじめたころ、『一九八四年』を引き合いに警戒感を示す声があった。『オーマイニュース』でデスクをしていたとき私に回ってきた市民記者の原稿もその類で、東京・神田の商店街に防犯カメラが設置されたことへの警戒感を書いていた。その市民記者に電話をかけて、原稿の不備を伝えた。根拠のない一方的な思い込みではないかなどと話したような記憶がある。

 防犯カメラが人権を侵害するとか個人情報を国家が集めているだとかの反応には少し首をかしげてきた。仮に国家が個人情報を集めているとして、だから何? その先の国家の悪意が私には見えなかった。

 撮られても私は全く気にならない。国仲涼子ちゃんや川口春奈ちゃんとヒミツのデートをしていたとしても「別にぃ〜」である。私が無神経なのかもしれない。しかし過剰反応もなぁ。

 防犯カメラへの警戒心を持つのは『一九八四年』の影響が大きいのではないか。そう思っていたので、ようやく先日読み終んだ。今読んで思うのは、『一九八四年』の舞台は今の中国や北朝鮮に近いということだ。日本や米国、西欧ではこの小説が設定した政治基盤と違いすぎる。

 防犯カメラは刃物や拳銃、車と似ている。それ自体が危険なのではい。誰が、どう使うか、なのである。

 その後防犯カメラが犯人逮捕に役に立ったという話ばかりが報じられている。実際そうなのだろう。防犯カメラへの不安や批判を聞かなくなった。

 やっぱり。ね。
 

大地震の危険性に全く触れない奇妙な新聞記事

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 影響が大きいからとか地価を下落させてしまうからという言い訳をするのだろう。しかし、新聞が書かないのはある種の嘘情報を流すことになるという自覚が……ないのだろうなぁ。

 選手村のマンションは買いか否かという27日付『毎日新聞』夕刊(東京本社版)2面の特集記事だが、埋め立て地のマンションなんか買ったらあかんでしょ。首都直下地震や南海トラフ地震の影響を受ける可能性が高いんだから。

 命に関わる話を避けてあーだこーだ書く記事に何の意味があるのだろう。傾きでもしたらその後のローンの支払いどうすんの。危険性を書かないと加害者だぞ。

男性バスガイドが40年前にいたのに

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 東京の観光地を回るはとバス70年の歴史で初めての男性バスガイドが誕生したとテレビで言っていた。

 ほんまに?

 私が15歳か16歳のころだから40年ほど前に遡る。英語ペラペラのおばに連れられて外国人の集団を運ぶはとバスに乗った。

 ガイドは男性だった。男性は佐藤と自己紹介して、“英語で言えばシュガーだ”と英語で説明していた。「佐藤」が「シュガー」かどうかはさておき、あの佐藤さんは男性バスガイドではなかったのか(だったら何者?)、はとバスの記録が杜撰なのか。

 私の隣の席の女性が確かイランかイラクの人でスラリとした美人だった。宿泊している京王プラザホテルでパーティーがあると言っていたことしか聞き取れなかった。コーガンの美少年だった私は女性を口説くなど思いもよらず、ただただ聞くだけだった。今ならなぁ。

 話を戻す。佐藤さんが確かにいたことをどう説明するのだろう。

令和

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 朝から令和令和と空騒ぎ。マスコミがはしゃぐから、「はしゃがんといかんのかいな」と勘違いする人を増やす。

 NHKが朝から阿呆なことを言っていた。どこかの豆腐屋を「令和になっても豆腐を作り続けます」。当たり前やんけ。

 NHKがこうだから、テレビ局のマイクを突きつけられると私たちだって“正解”を言わなければならないと勘違いするもので、「穏やかな時代でありますように」や「私たちが引っ張っていきます」、「新天皇のお言葉はありがたい」などなど全く本気で思っていない意見をひねり出してしまう。

 私なら何と言うだろう。「災害で苦しむ時代になりますよ、ひっひっひ」か「浩宮が雅子ちゃんを全力でお守りできんかったから適応障害起こしたんちゃいまっか。雅子ちゃんは旦那を見限ったと思いまっせ。夫婦生活もうないでしょな」か。

 令和を待ちかねて婚姻届を出したカップルの話はもう飽き飽きだ。赤ちゃんの話もいらん。建て前ほど臭く浅く疑わしいものはない。

 私が知りたいのは、令和を待ちかねて離婚届を出した人、令和初の交通事故死、令和初の火事での焼死、令和初の殺人事件、令和初の傷害事件、令和初の詐欺事件などである。

 腹をくくったのだろう、令和初日にNHKで本音の顔をさらすベッキーを応援したい。


 
 

糖質殺人計画

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 東京を中心に地下鉄24時間乗り放題券は使い勝手がいい。私はこの券を使って端っこから1駅ずつ乗り降りしてきた。知らない駅の周辺を見て歩くと脳が踊りだす。

 最近の帝都高速度交通営団の地下鉄などでよく見かけるのがこれ。24時間券を使ってスイーツを食べて回るという提案である。

 マジかよ。こんなに短時間にスイーツを詰めこんでいいのか。体重増えるぞ。低糖質の時代にどういう神経でこんなのを作ったのか。店の選び方も分からないし。

 私は甘いものが大好きだが、1つ断言しておくと、いくら甘いもの大好きでもこんな無茶な食べ方はしない。

 

東京湾岸に住まないほうがいい

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 大地震が来ることを忘れているのか忘れたふりをしているのか、いずれにしても共犯である。東京オリンピックの選手村に使われるマンションが安く売られるとかでテレビがはしゃいでいる。恐ろしいなぁ。無責任やなぁ。

 湾岸は大震災の被害を受ける可能性が高い。ほんの少しでも傾いたら普通は平衡感覚を刺激されて気分が悪くなって住むのは難しい。

 海の近くの住宅を見るたびに「何で引っ越さないのか」と不思議に思う。津波や川の氾濫でぜーんぶ持って行かれると想像したことがないのか、「まだ大丈夫」と根拠のない自信を持っているのか、どっちでもいいけれど、大地震が来てからでは遅い。

 住んでいる人はそれこそ自己責任だが、海沿いの不動産を売っている業者は犯罪者でしかない。刑法に定めておくべきだろう。地震で被害が想定される地域に2019年5月1日以降に新たに不動産を建築して譲渡した業者は、譲受人が危険性を知っていても知らなくても、地震による津波などで死んでしまった場合無期か死刑と。

どうしようもないコラム2つ

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 下手くそ以前のコラムを定期購読紙『毎日新聞』で立て続けに2つ読まされたので記念に記録しておく。

 1つは4月18日付朝刊(東京本社版)の「経済観測」。ここは経済面で「経済観測」という通しタイトルがついているのに、米国の前副大統領のセクハラについて書いた。既報の寄せ集めで目新しさも独自の切り口も皆無という珍しい原稿だった。

 本来担当者かデスクが書き直しをお願いすべきだし、経済原稿を書けないなら筆者(東洋大学の横江先生)はこれ以上恥をさらさないためにも降りるほうがいい。揃いも揃ってどうなっているんだろう。

 もう1つは20日付朝刊(東京本社版)オピニオン面の「窓をあけて」。時々テレビに出ている編集委員の元村さんの連載だ。毎日書くのならネタ切れのときもあるだろう。しかしこの欄は週に1回か月に数回のはずで、だとしたら「われながらよく書けたかも」と思える原稿を出すのが基本なのだが、自分の30年前の経験と上野千鶴子先生の祝辞を合わせて性差別を書いたお手軽原稿だった。どうしようもないな。

 私がかつて仕えた福島支局長の園木さんの爪の垢でも煎じて飲ませたい。園木さんは福島版のコラムを隔週で書いていたが、必ず取材していた。「西野君ね、僕らが取材しなくなったらおしまいだよ」と。「取材するのが僕らの強みなんだよ」と。県警本部長に「毎日の記者は来てますか」と“取材”するんだから私たちはたまったものではなかったが、原稿を書く前の手間暇を惜しまなかった。

 で、元村原稿である。新鮮な切り口も独自の目線もない平凡極まる原稿を載せて恥ずかしくないとしたら記者としてもう終わっている。元村さんは私と同じ1989年の同期入社で、私はとっくの昔に新聞記者を辞めて、その後ずーっと金を払って『毎日』を購読している。単なる読者の私の方がまだ面白いものを書けるなと自信を持たせてくれてありがとう(笑い)。

 というか、誰か彼女に注意してやれよ。お前は何様だと。金払って読んでる読者を舐めんなよと。

色が変

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 血管だから赤色にしたのだろう。しかし高校時代に生物を少し学んだ人間なら赤色に違和を感じるはず。

 静脈なんだから青色でしょ。

 ふらふら歩いていた都内の別の場所には同じ「静脈瘤クリニック」があって、そこは青色にしていた。正解。


 

オシャレを説くなら

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 パーソナルデザインスタジオとかいうものを見つけた。東京・赤坂である。

 何をするのか私は全く知らないのだが、パーソナルデザインということは個人個人に合う衣服や色などを教えてくれるのではないか。

 私は車谷長吉さん派なので、だからといってチャックを開けっぱなしにする荒技を真似する覚悟はないのだが、もともと田舎の人間だし、下から見るとおしゃれにうつつを抜かす無残さと阿呆らしさがよーく見えたので、完全に興味を失った。

 それでも着こなしの基本は知っている。その目で見て「ここは大丈夫か」と心配してしまった。上着の袖丈が長過ぎる。かっこつけたおっさんの写真なのだが、全ッ然おしゃれではない。ここにパーソナルデザインを相談しないなぁ私なら。

エレベーターの中で死ぬ

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 大地震が起きるとエレベーターが止まる。缶詰。助けは来ない。

 大地震が起きたらおびただしい数のエレベーターが止まる。エレベーター会社の人も被災者である。そのうえ道路寸断に鉄道麻痺。

 エレベーターの中で死んでゆく。飢えに苦しみながら。満員だったらさらに悲惨だ。座ることさえできない。誰か死んでも外に出すことができない。死体から糞尿が垂れ、死臭が充満する。先に死ぬほうが楽である。

 名古屋大教授の福和伸夫さんが最大限エレベーターに乗らないのはそういうわけである。私も真似をしている。できるだけ階段を使う。足腰の鍛錬になるのでちょうどいい。

 ところが、非常階段を使えないようにしている糞ビルがあり、そこで私は毎月何百回とエレベーターに乗らなければならない。危ないと分かっていて乗らざるを得ない。

 糞ビル所有者は「嫌なら出ていけ」。場所がいいのでテナントはいくらでもいると抜かす。こういう所有者こそそのときはエレベーターに閉じ込められて死ねばいいと私は毎日強く祈っているのだが、世の常としてそういう糞野郎が生き残る。

 どうせなら国仲涼子ちゃんか川口春奈ちゃんと二人きりで閉じ込められて死にたいものだ。それなら楽しいようなヨカンがするのはなぜだろう。

1面トップはブラックホールでしょう普通

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 文系馬鹿の私でさえ「ブラックホールを初めて撮影した」というニュースに驚き、興味を持った。撮影したということは本当にあることを証明したと言っていいわけで、人類と科学の快挙である。

 11日付『毎日新聞』朝刊(東京本社版)1面を見て「あーあ」と思ったのは私だけではないだろう。桜田さんの辞任をトップに持ってきた見識(?)を疑う。桜田さんのリップサービスが過ぎてひっくり返ったに過ぎない辞任のほうがブラックホールの撮影成功よりニュース価値が上なのか? 『日本経済新聞』のほうが真っ当な判断をしている。写真は『日経』より大きかったとはいえ。

『毎日』はブラックホールに吸い込まれてよし。

父親は娘とセックスしてはいけません

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 実の娘とセックスする父親は畜生以下である。それを名古屋地裁岡崎支部の鵜飼裁判長は無罪を言い渡した。畜生にも劣る判決であると言わざるを得ないが、罪刑法定主義に鑑みるとそういう判決になってしまう刑法の陥穽があるわけだ。。

 父親が娘とセックスしてはいけないと刑法が定めていないのは、人間の良識を期待したからだろう。ふつうの人なら顔をしかめる獣の行為である。

 最近のテレビはいちいち「特別の許可を得て入場しています」とか「特別の許可を得て撮影しています」とか「当事者の了承を得て撮影しています」とかテロップでお断りを出す。そこまでしないと理非曲直が分からない阿呆が増えているのである。と書く私は信号が赤でも車が全く来なければ渡るが。

 父親が娘とセックスしたら懲役50年と阿呆でも分かるように刑法に定めるしかない。
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