同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて5000回超

疑問

コロナ対策で誰も話題にしないけれど(笑い)

 新型コロナウイルス対策で小中高校や大学が卒業式や入学式をやめたり延期したり始業を遅らせたりする中で、しずかーに普通に営業している教育機関がある。大勢の若者がぎゅうぎゅうになって毎日何時間も座るのはどこか? みんな忘れているのだろうか?

 答えは予備校。駿台と河合塾、代ゼミのサイトを見たけれど、普通にやっている(笑い)。数百人収容の教室に浪人生がぎっしり詰まるし、おしゃべりをするなと命じても難しいだろう(特に代ゼミね)。これから何度も実施される模擬試験も似たような環境である。密度は大変高い。

 首都圏の彼らは満員電車に揺られて校舎に着く。感染拡大の巣になる可能性は十分ある。

 どうする? 


 

ちぐはぐ(笑い)

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 東京・日本橋の雑居ビルで見かけた看板には、日本語で店の名前が記され、該当する店には「TAX FREE」と。

 日本人には「TAX FREE」は関係ない。関係があるのは外国人旅行者だろう。で、外国人旅行者が「TAX FREE」を読むことができても、店の名前は日本語だぞ。何の店なのか分からんわけで、それなのにひとつひとつ店を覗くだろうか。

 責任者出てこーい!(人生幸朗師匠ふうに)


 

自分で自分の首を絞める飲食店もあれば人出の多い店や場所もあり

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 あーびっくりした。この掲示を入り口に掲げているのは家電量販店や本屋ではないからだ。東京駅前・八重洲にある奄美・鹿児島・沖縄料理の店なのである。

 ほんまかいな。冗談ではないのだろうなぁ。

 店の中でどうやって食べるんだろう。マスクをしたままでは食えんで。だったらマスクいらんやんけ。

 まさかひとくち食べるたびにマスクをつけたり外したりさせるつもり? 

 新型コロナウイルスの感染で自粛の空気に包まれる週末の都内を見て回った限りだが、新宿と浅草の某所(両方飲食系)は若い女性が大勢集まっていた。特に新宿の某所は換気の悪い空間に200人くらいの若い女性が数時間にわたって群がっていた。濃密接触なんぼのもんじゃという勢いだ。

 何だこれは。廃業の危機に直面する飲食店ばかりではないのだ。知恵と工夫があればワンサカお客さんが寄ってくるのである。これ以上具体的には書かない。私が足で稼いだ情報やけんね。

 有楽町のビックカメラはけっこう人が来ていたし、交通会館にも大勢の人がいた。午前中こそいつもの5割程度かなと思えた浅草寺の参道は午後になると若者を中心に7割〜8割程度の人出になっていた。


 

 

医者はエリート???

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 東大の偏差値より地方の国公立大医学部の医学部の偏差値が高いというのは何か間違っている。私の大学時代、地方の国公立大医学部より東大京大などの偏差値が高かった。真っ当な時代だったと思う。

 いま医学部を目指す学生は、医者になって楽をしたいという志望動機が多いように見える。そういう連中に健康や命を預けたくない。

 私立大学を含めて医学部で人を育てるために莫大な税金が投入される。国民の支えと期待を託される仕事なのである。そういう点で医者は全員公務員であっていいと私はかねてから思ってきた。日本医師会が猛反発するだろうが、医療は公務に近い。従って医者は公務員でいい。いま自由診療で儲けている医者はその大半に課税していい。

 例えば年収800万円くらい。あるいは1000万円。これ以上は全部税金で持って行かれる仕組みでいい。首都圏在住者は公務員の官舎をあてがう程度の余禄を与えよう。

 そうなったとき、それでも医学部を目指す、医者を目指す、という人が必ず一定数いるはずで、そういう人に健康と命を預けたい。

『アエラ』3月2日号の特集は、「時給換算で100円くらいで働いている体感」や「24時間365日勤務、48時間連続勤務は当たり前です」「重労働」「嫌な思いをすることも多く、給料に見合っていない」などの医者の声が載っていて、こういう声がもっと広がるべきだな。

 何度か書いていることだが、米ドラマ『ER』の第1シーズン第1話は象徴的なテーマだった。すなわちグリーン先生がお金も時間もたっぷりの病院への転職をやめ、薄給で仕事に追われる病院に残る話である。

 そういう人が信頼を得るのは医者に限らない。


 

 

頭隠して尻隠さずか

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《書いて伝えることの重さにこだわりたい》という結びの一文。イイタイコトはよく分かるし、気持ちもよく分かる。3月4日付『毎日新聞』朝刊(東京本社版)「記者の目」の「前線で考える新聞の興亡」である。

 でもね。それ、あなたの仕事だから。それで世間水準を上回る給料をもらっているじゃないか。世の中いろんな人がいろんな仕事をしている。それなのに、新聞記者が自分の会社の紙面でいちいち胸を張ることの奇妙さになぜ気がつかない?

 この「記者の目」で書いていないことに私の目は向くわけよ。

 莫大な退職金を払って100人だか200人だか希望退職を募った言論機関ってどう思う? 経営責任を取らない経営陣を放置している新聞社の記者って信用できる? 首相会見の馴れ合いがネットで話題になっているのにひとことも書かない政治部って頬被りして逃げてない? あまりにもつまらないコラムの数々をいつまで載せるんだ? 降版を早めたことは読者に伝えないの? 夕刊の手抜きを始めたことも読者に伝えないの? 

 こんな我田引水自己満足の記事をもう載せるなよ。紙価が下がるだけだ。


  

悪書追放(笑い)

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 こんなのが未だにあるとは。広島・JR海田市駅前で見つけた。ツッコミどころが満載で、悲しい(笑い)。

「悪書など見まい見せまい買わせまい」という奇妙な標語をつくったのが女性なら納得する部分がほんの少しあるけれど、「あんたの旦那も見たことあるでよ」「あんたの彼氏も見よるで」と耳元でささやいてあげたい。男がつくったのなら「お前は見たことないんか!」「見たいと思わんのか!」と聞いてみたい。

 いやそもそも、ここにエロ本をわざわざ入れるだろうか。仮にエロ本をここに入れようとしたら、通りがかりの貴婦人にこう思われるわけだ。

「あの人はいやらしい本をお持ちなんだわ。なんて穢らわしいのっ! キーーーッ」

 その貴婦人が実際はどれだけいやらしい行為が好きであっても自分は棚に上げて眉をひそめるに違いない。そんな危険を冒してエロ本をここまで持ってくるだろうか。駅前だぞ。

 なお、私にとっての悪書は数学の教科書である。あるいは買って読んだけれど私には役に立たなかった数学の参考書の数々である。科学の教科書も悪書だった。そういえば全巻そろえた本多勝一さんの『貧困なる精神』は全部捨てたけど、あれも悪書の一種だな。

 大学時代に持っていたエロ本は理工学部の友人にプレゼントして喜ばれた。捨てるくらいなら友人にあげるのが男の友情というものだ。

 思い出したことがある。福島県政を担当していたころだから1992(平成4)年のことだ。本屋でえげつないエロ本が売られていて、それを問題視する人たちがいた。

 県の何課だったか、取材で回っていたとき、彼らは私にエロ本を開いて示し、「こんなにひどい内容なんですよ」と顔を歪めて訴えた。いやがる女性を犯すような構図のエロ本だったと記憶する。

 神がかったように真剣にチェックしている県職員を見て、私は激しい違和感に襲われた。一部の本屋に置いてあるエロ本を規制することの効果が私には全く分からなかった。モグラ叩きにもならない。人間が普通に持つ性欲に向き合いもせず、見せなければいいというその場しのぎを真面目にやっている姿を笑っていいのか疑問を呈するべきか一瞬悩んだ。

 その後たまたま県職員向けの社内報みたいなものに何か書けというリクエストを受け、特にネタがなかったので、そのことを書いた。今ならもう少しやんわり書くだろうが、当時20代後半の私は手加減を知らなかった(笑い)。原稿の書き直しを求められることなく、そのまま載った。よくぞ載せたなと感心する。

 書かれた課は猛反発したようだ(当たり前)。広報広聴課から「次号で反論が出ます」と告げられ、面白いことになってきたとワクワクした。福島面で徹底討論企画をしよう。こう思っていた矢先、『サンデー毎日』への異動の内示が出た。

 悪書追放の箱を見て福島時代を思い出したのは「小手先」つながりだろう。今の時代インターネットにはもっと露骨な膨大な映像が漂っている。映像だから動くし声も聞こえる。単なるエロ雑誌より表現が豊かなのである。それが無料なのだからエロ本なんかに目くじらを立ててもね。

 ネットに漂うエロ動画を福島県職員ならどうする? 本屋に並ぶエロ本なら撤去を求めれば済むけれど、ネットに対してはどうしようもないだろう。小手先の限界なのである。そこでどれだけ頑張っても、抜け道は山のようにある。竹槍でB29を落とそうとするような、猛火に包まれた1万戸があるにもかかわらず目の前で燃える新聞の束にコップで水をかけるような、著しい勘違いが当時のエロ本叩きだった。

 悪書追放箱はスミソニアン博物館にでも寄贈すればいい。

このオチは駄目でしょう朝日新聞論説委員吉岡桂子さん

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 私は『朝日新聞』の「多事奏論」のファンである。しかし2月22日付朝刊(東京本社版)の「隠される情報 声をあげなければウソは続く」はいただけない。編集委員・吉岡桂子さんのイイタイコトに賛成だし、全く異論はない。

 ところが、である。《私は声をあげるひとりでありたい》という結びの一文は最低だと言わざるを得ない。

 私の分類では「決意表明」に入る。この手の決意表明は特に報道業界で時々見かける奇妙な鼻息である。

 それ、あなたの仕事でしょ。《声をあげる》のは、会社からお金をもらってやっている仕事でしょ。やって当たり前でしょ。

 駆け出しの記者が「記者の使命」とか何とか息んで書く気持ちは分からないではない。しかし業界の外から一読者として読むと異様なのである。「それ、あんたの仕事やんけ」と言いたくなるのである。

 この手の決意表明は取り扱い要注意だと各社の新聞用語集に載せておくほうがいいね。

アマゾンのドメインで送ってきた偽メール

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 こんなメールが来た。

・・・・・・・・・・
 クレジットカードでのご入金頂き、誠にありがとうございます。

処理日
2020年2月21日 3:40:25 JST
購入額
262,622 円 (税別)
お支払い方法
クレジットカード

Amazon Pay注文番号
P49-8808070-4851554
販売事業者お問い合わせ先
Apple Store
info@apple.com

販売事業者ご注文番号
5-90332575
・・・・・・・・・・

 ニセモノだろうと思って、返信にして相手のメールアドレスを見たところ、アマゾンのドメインである。え? ほんものなのか?

 アマゾンに電話をかけて聞いてみたところ、偽メールだと言う。しかし、アマゾンのドメインでメールが来たのはどういうわけだ? アマゾンからは明快な答えがなかったので、分からんのだろう。

 今までは変なメールは返信にしてそのドメインを見ることで偽メールかどうか判断できたのに、ドメインからなりすましができるのなら引っかかる可能性がある。油断ならんなぁ。



確かに「意味のない質問」で

 辻元清美さんの罵詈雑言は軽く、「意味のない質問だ」とやじった安倍総理もまた軽い。安倍さんのやじを鬼の首を取ったように騒ぐ辻元さんは見苦しく。何か証拠を見つけて安倍さんを追及するならまだしも。

 辻元さんが言葉遊びの瞬発力に優れているのは認めるが、お遊びの域を出ない。追及するなら証拠を出して迫らないと。それが追及の基本ではないか。安倍さんのキンタマを握っていないのに声高に批判を繰り返すだけでは説得力はない。彼女がよく頑張っているとは逆立ちしても思わない。

 軽薄な扇動はうんざりだ。だからといって安倍ちゃんがいいとは思っていないが。

 

福島県警ヘリは「墜落」したのか「不時着」したのか?

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 テレビニュースを見て「あー」と声が出た。福島県警ヘリが畑に転がっている映像である。30年前に福島にいたころ上空でよく見かけた県警ヘリの後継機だろうが、あのヘリも確か「あづま」だった。

 民放は「墜落」と報じた。そのあとのNHKの昼のニュースも確か「墜落」としたが、そのあとのニュースでは「不時着」と報じた。『毎日新聞』夕刊(東京本社版)4版は「墜落」とし、翌日の朝刊は「不時着」と書いた。

『広辞苑』第7版によると、墜落は《高い所からおちること。「飛行機が―する」》。不時着は《航空機が、飛行中故障または燃料の欠乏などのため航続不能となり、予定しない時、予定しない地点に降りること。不時着陸》というのが語釈だ。

『新明解』第5版は、墜落を《航空機や高所に居た人などが、バランスを失って空中を落下すること。[――事故]》、不時着を《航空機が、故障その他の事故により、初めに予定した以外の地点や時刻に着陸すること》と語釈をした。

 どちらの辞書も「墜落」は物理的な落下とし、「不時着」は理由と結果の因果関係まで言及している。しかし、どれだけ読んでも具体的な違いが分からないし、実際航空機事故の場合は例えば「日航ジャンボ機墜落」などと「墜落」を用いてきた。

 手持ちの共同通信の『記者ハンドブック』第13版には単語すら載っていない。書き分けを前提とした単語ではないか、誰も考えたことがなかったか。私は後者だと思う(笑い)。

 ここで敢えて2つの単語の差異を現実から探すと、「不時着」には生存者がいる場合を指すのではないかという感じがする。いや、そうなるいと「日航ジャンボ機墜落」だって4人の生存者がいたから、生存者で線引きするわけにはいかない。

 あらためて新聞の写真をよく見る。機体は散り散りになってはいない。ローターは折れているけれど、ヘリの原型をとどめていると言っていいだろう。とすれば、「墜落」と「不時着」の分水嶺は機体の状態か。

 今後の『広辞苑』に期待しよう。

人間の性は善なりか

 
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 かんぽ生命のデタラメ悪質販売問題は終わりが見えない。きれいごとは何とでも言えるし、何もかんぽ生命に限った話ではない。

 私に言えることがあるとすると1つか。

 それは、人間は弱い生き物である、ということだ。おなかを空かせた一文なしの私の前にソーキそばが出されて周囲に誰もいなければ、私は食い逃げをするであろう。半径100キロメートルに国仲涼子ちゃんと私しかいなければ、私は迫り続けるであろう。一文なしの私の目の前に1億円が落ちていて周囲に誰もいなければこっそり持ち帰るであろう。

 私だけが弱いのかもしれないし、私だけではないかもしれない。性善説や性悪説があるけれど、私は性弱説を唱えよう。性弱説の始祖の地位は私がもらった。

 念のためにネットで「性弱説」で検索したら、出るわ出るわ。何だ、大勢が似たようなことを思いつくんだな。『朝日新聞』の「天声人語」でも性弱説という単語をとっくに使っているからもう終わっている。


 

誰のせいでもありゃしない?

 東京・品川のいつものセブンイレブンでチョコレートとコーヒーのラージサイズを買った。レジでお金を払い、コーヒーカップを受け取ったのだが、カップが小さいつまり普通サイズではないかと感じた。

 コーヒーマシンの横にいた女性スタッフにカップを見せて、聞いてみた。
「これ、大きなサイズですか?」

 女性スタッフはカップを持って一瞬眺め回し、太鼓判を押した。
「そうです」

 お墨付きをもらった。それでも私は不審である。大きさが違うように感じてならない。女性スタッフが認めたのだから仕方ない。首をかしげながらカップをコーヒーマシンに置き、ラージサイズのボタンを押す。

 コーヒーはカップになみなみと注がれ、あふれる手前で止まった。そらみたことか。このカップは普通サイズではないか。

 隣でコーヒーを入れていた男性が私を不正の目で見る。要するに、普通サイズをレジで注文して、コーヒーマシンでラージサイズを入れているというわけだ。確かそんな阿呆なことをして見つかった自衛官が最近いたなぁ。

 でも私は違う。レジで「キリマンジャロの大きいやつ」と言ってお金を払っている。

 こぼれないように作業場に持ち帰り、クシャクシャにしてポケットに入れていたレシートを見てみた。そこには「レギュラー」の文字が。

 つまり私は100円で150円のコーヒーを持って帰ってしまったのだ。買ったのがコーヒーだけなら金額で誤解がすぐに分かるのだが、今回はチョコを買ったばかりに私の暗算能力を超えてしまった。

 さて。この問題を解決するためにはどこまで遡るべきなのだろう。


 

 

河合議員夫妻の記者会見の時間

 事務所に広島地検が家宅捜索に入った夜、河合議員夫妻が個別に会見に応じたのだが、その時間が不可解というか、意図的に見えた。

 地検は午前中。会見は22時過ぎ。

 これ、会見が遅すぎないか。そこで「ははーん」と思った。

 私の邪推はこうだ。地元広島の『中国新聞』の早版の締切時間が22時(私の完全な推測)をやり過ごして、NHKの21時のニュースの時間帯を避けて、当日の報道をできるだけ減らそうと狙ったのである。

 邪推ではあるものの、核心を突いているとヒソカに思っている。私が相談を受けたら「会見は23時に設定しましょう」と耳打ちするもんね。だから同じ手の内だなと思ったわけ。

 河合議員夫妻の報道は翌朝から一斉に始まったから、夜遅くの会見がどれだけ効果を上げたかは別問題だが。

10キロおじさんは病気では?

 世の中の困った人をテレビが面白おかしく取り上げるけれど、病気ではないかと思うことが時々ある。血相変えて近所の人にイヤガラセをしていたオババとか、最近の10キロおじさんとか、どう見ても変ではないか。

 10キロおじさんは私には痴呆に見える。私は医者ではないので何の診断をする知識も技術もないのだが、言っていることがおかしいかどうかくらいは何となく何となく感じる。

 精神科医に取り上げていいかどうか意見を聞いてからテレビ放送の可否を考えているのだろうか。それくらい慎重であっていい。

 

選ばれなかった『日本経済新聞』のなぜだ

 選ばれると不名誉だが、選ばれないのもちとクヤシイ。ゴーンさんの会見を日本の報道会社が見るとこんな感じだろうか。

 選ばれたのが『テレビ東京』というのは納得だ。あの会社はジャーナリズムなどないもんな。次に『小学館』というのは正直よく分からない。『週刊ポスト』がへつらってきたのだろうか。まぁ、ジャーナリズム体質は弱い会社だからな。

 しかし一番分からないのが『朝日新聞』だ。「ゴーン被告、レバノンに逃亡」という見出しでも分かるように報道は厳しかったし、バリバリのジャーナリズム体質なのになぜ。

 一方、歯噛みしたのが『日本経済新聞』だろう(笑い)。「ゴーン元会長、無断出国」という見出しは『朝日』に比べるとゴーンさんに180度甘い。それなのに、子会社の『テレビ東京』が選ばれて何でうちが選ばれなかったのかと憤まんやるかたない思いになっているはず。「日本の経済ならうちが一番」という自負もあるだろう。それだけに外野としては面白いのだが。


 

『天声人語』は和歌が分からん

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 人工知能(AI)が俳句を作っていることを紹介して《成長が楽しみでならない》という陳腐な結びをしたのが1月4日付『朝日新聞』の「天声人語」だった。この結びを読んでがっかりしたのは、俳句や和歌(短歌)への底の浅い視座が見えたからだ。

 AIが作った俳句(やたぶん三十一文字)に(も)好感を寄せるこの姿勢はダッチワイフを抱いて射精するのに近い。

 性癖はいろいろあっていいけれど、恋愛や性交は人間相手にしたい。私はね。目の前にダッチワイフを置かれても興味は湧かない。なぜなら人間ではないからだ。

 俳句や短歌が面白いのは、技巧に凝ったり架空の話を作ったりしながらも作者の素顔がほんの一瞬見え隠れするからではないか。先日読み終えた池澤夏樹編集の『日本文学全集』第2巻のどこかでも誰かがそういうことを書いていた。

 AIが技巧に凝った俳句を作れば人間のにおいをさせることができるだろう。人間が作ったのかAIが作ったのか判断できないだろう。しかし、なのである。私はダッチワイフを抱きたくない。俳句を製造するAIの成長が楽しみとも思わない。そこに生身の人間がいないからだ。

 ダッチワイフではなくアニメのキャラクターでも私には同じ。人間が生む感情にしか私の感情は動かない。

日経VS朝日毎日読売産経東京

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 どうもよく分からない。ゴーンさんの肩書きである。『日本経済新聞』だけが4日付朝刊でも「元会長」としている。他紙は「前会長」だ。

「元」と「前」の違いなど読者にはどうでもいい話だろう。しかし、これを間違えると普通は死ぬほど怒られるところだし、位置づけもずいぶん変わってくるから、私は気になる。『日経』は「前」を「元」に含む表記ルールなのだろうか。


 

新幹線の荷物の置き方に異議アリ

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 外国人旅行客(インバウンドとかいう阿呆な言い方を私はしない)はひかりとこだまを格安で乗ることができるので、始発駅以外から乗ると大変な事態になる。すなわち、棚が大型スーツケースでいっぱいで、私の小型スーツケースとリュックを置く隙間がないのである。

 と同時に、小型や中型のスーツケースの置き方にも問題がある。私は縦に置くのだが、ほとんどの人は横に置く。横に置くとほかの人のスーツケースを置く空間が減ることが分からないようだ。

 上の写真は珍しいので撮った。縦に置いたスーツケースが3個並び(これは私が推奨する置き方)、手前のスーツケースが横置き(配慮ができない人の置き方)。通常はこの横置きのスーツケースがぎゅうぎゅう詰めに並んでいるので私はいつもがっかりする。

 スーツケースの置き方をJRが指導するしかない。私がこんなところでぼやく前に気づけよJR。

元農水相事務次官の長男殺人と『子供たちの復讐』

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 元農水相事務次官が長男を殺した事件の報道を見聞きしてすぐに浮かんだのが『子どもたちの復讐』(朝日新聞社、1986年)だった。

「開成高校生殺人事件」(1977年)と「祖母殺し高校生自殺事件」(1979年)を上下巻でまとめた本多勝一さんのこの単行本を私は今も持っている。下巻には祖母を殺して自殺した早稲田高等学院高校のAが書いた遺書が載っていて(文庫本化されたときは削除されていた)、「学歴」だの「エリート」だのに対して異様に負荷のかかる家庭環境や青年になった男に対して家族が距離の取り方を誤ると人間の人格を破綻させうると知った。

 元農水相事務次官の殺人事件はお嬢さんの自殺という衝撃的な話が裁判で出てきたこともあり、何となく世間の同情を誘った。

 しかし、それでいいのだろうか。長男が適応障害になったという理由で事件の幕を下ろすのではなく、何がどうなってなぜ間違ったのかを報じる記者はいないのか。本多さんが取材したころと違って今はプライバシー保護がやかましく言われるけれど、元事務次官に同情する前に殺された長男に同情を寄せるのが筋ではないか。似たような惨劇を何度も繰り返さないよう、家庭で何が起きてきたのかを共有する価値はあると私は思うのだが。

合意の有無は「薮の中」だが

 元TBS記者の会見を見る限り、私は“合意”があったのではいかと思う。女性が酔っていたのでその記憶が飛んでいるのではないかと思う。芥川龍之介ではないが真相は「薮の中」と言わざるを得ない。

 問題は合意の有無ではない。

 問題その1。就職活動中の女性を元TBS記者は気に入ったのである。だから寿司屋に誘ったのである。これが男性だったら寿司屋に誘っただろうか。

 問題その2。酔いつぶれた女性をホテルの同じ部屋に連れ込むのは私の感覚では絶対にあり得ない。客観的に申し開きできないではないか。李下に冠を正さず。自分の身を守る基本なのに。

 問題その3。TBSへの就職の相談に来た女性のTBSへの熱意を元TBS記者は自分に気があると勘違いした。その気持ちは分からないではないが、男が陥る勘違いの典型例だ。

 元TBS記者が女性を真正面から口説いていれば、女性から拒否されるなどしただろう。

 飲まずに口説け。


 

 

 

“改革”すればいいというものではない大学入試

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 大学入試センター試験の出題内容を変えることで英語の聞く読む話す書くの4能力を云々という話や国語と数学の記述式の採点をアルバイトにさせる話などで生徒を混乱させた。

 偏差値(ここでは旺文社のイメージ)が55以下の子供たちは振り回されるだけで、この“改革”は落ちこぼしをさらに増やす。成績が伸びない子供たちを塾や予備校で教えてきたので、そういう子供たちがさらに自信をなくす姿が見える。

 どうしてもやりたいのなら、この“改革”に賛同する国公立大が2次試験で科せばいい。私立もやりたければやればいい。教員が採点するのだから答案について複数の教員が採点することもできるだろう。

 学校の成績が真ん中から下の子供たちを切り捨てる“改革”のどこが改革なのか。“改革”したがる人の目にはそういう子供たちが見えていないのではないか。


 

「人情」ねぇ

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 人情商店街と自称する感覚が私にはこっ恥ずかしい。第三者が「あの人は人情がある」などと言うならまだしも、自称する商店街やそれを持ち上げて伝えるテレビは、見てはいけないものを見てしまったような恥ずかしさがある。

 例えば芸人が「人情マツモト」などと名乗ったらギャグだと受け止められるだろう。企業名に「松下人情企画株式会社」なんてのがあったら人はやはり笑うのではないか。履歴書で自分の長所欄に「人情家」「人情深い」などと記したら落とされるだろう。商店街なら「人情」をつけていいという理屈はない。

 人間にとって人情がとても大事な要素であるのは間違いない。しかし「人情」の二文字は取り扱い方を誤ると間抜けたことになる。私が非情だからこんなことを思うのだろうけど。

沢木耕太郎さんご乱心?

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 あの沢木耕太郎さんが11月24日付『日本経済新聞』に「午後の異邦人」と題するエッセイを書いていて、それをノンフィクション作家・中原一歩さんが目に涙を溜めて抗議している=12月2日付『毎日新聞』夕刊(東京本社版)文化面「このごろ通信」。

 何でも田園調布に向かうバスの外国人の多さを見て《非白人に対する警戒心と防衛本能のようなものが発動されているように感じられるのだ》とし、《バスに残っていた二人の日本人が途中の停留所で降り、運転手がバックミラーでちらりと車内を見る。すると、そこには外国人しか乗っていないことに気づき、愕然とする……》でエッセイを締めくくったそうな。

 中原さんは《最後の「愕然」という言葉に、沢木さん、それはないよと、憤慨してしまった》と記す。

「愕然」の意味は『広辞苑第7版』によると《ひどくおどろくさま》、『新明解第5版』によると《意外な知らせを受けて(事実を知って)ひどく驚く様子》だ。これだけを見ると、沢木さんの「愕然」に違和はない。

 しかし『深夜特急』という名著を記した沢木さんの表現だからこそ中原さんは驚いたのである。つまり、かつて異邦人だった沢木さんなら日本で見かける異邦人に対してただ驚くという反応以外の反応があってしかるべきではないか、ということだろう。日本に来た外国人に対する温かい目が全く感じられない、ということでもあるだろう。

 原文を読んでいないので(『日経』を探して読めよ)これ以上踏み込めないが、沢木さんが言葉足らずだったのか年老いたのか。いずれにしても、沢木さんの不十分な表現を取り上げた中原さんの感覚が素晴らしい。こういうコラムを書くことができる社員記者がなぜいないのだろうか。高給を食むと動きが鈍るのかもしれないな。

『毎日新聞』で沢木さんに取材を申し込むなどして追究すれば面白い記事になりそうだ。

120歳まで生きたくないな

「医者が考案した長寿味噌汁」とか何とかいうような本があって、何の証拠もないのによくまぁこんな題名を許したなぁとアキレス腱。最近は「120歳まで生きるロングブレス」とか何とかいうような本が化粧直しをして再登場している。

 どこまで長生きしたいのだろうと私は首をかしげる。

 長生きして何かいいことがあるだろうか。親が死ぬのは順番だからいいけれど、友人が死ぬ。配偶者が死ぬ。子供が死ぬ。孫が死ぬ。長生きしたために逆縁に遭ってしまった人を私は何人か見ていて、その心中を察するにあまりある。

 みんなでお手々つないで長寿というわけにはいかない。自分だけが長生きしたら地獄ではないか。そこまで考えた上で長生きしたいかどうか考えるほうがいい。

英語民間試験の断念は正しいというかそもそも論

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 何も大学受験英語で無理して「聞く読む話す書く」を問わなくてもいいではないか。英語の必要性があれば勉強すればいい。米ニューヨークの国際連合で働く人とニューメキシコ州で日本レストランを開業する人とマサチューセッツ工科大学で工学を学ぶ人と沖縄のホテルで外国人観光客を相手にするのとでは「聞く読む話す書く」の内容が激しく異なる。にもかかわらず大学受験英語の程度で慌てて何を身に付けることができるというのか。

「読む」を中心の従来の英語で英語の基礎を築くことができないならまだしも、しっかり身に付ければ基礎はできる。

 中学高校(大学)と6年以上英語を勉強しているのに話せないし聞けないと下村文科大臣が批判していたが、「6年」はあまりにもデタラメすぎて笑えない。英語は学校で週に3〜4時間程度しかやらないのだから「6年」はあり得ない。デタラメを言うにもほどがある。そもそも前提がデタラメだったのに、そこを修正せず突っ走ったらアカンがな。

 英語の「聞く読む話す書く」の力をつけさせたいなら、授業でどんどん積極的に手を挙げる子供を育てるのが先だし、何かの講演会があったら最前列から席が埋まっていくような積極性を養うのが先だし、とはいえこういうのは国民性だろうから、そうそう育てたり養ったりできるとも思えない。

 私は塾で英語の出来の悪い子供たちを教えたことがあるので余計に思うのだが、英語ができる子供は放っておいても自分で「聞く読む話す書く」を身に付けるし受験で高得点を出す一方、英語ができない大勢の子供たちは混乱を増すだけだ。

 民間試験業者の中には1回の受験料が2万5000円というふざけたのがあった。最初からやる気がないのである。

 絶対に必要だと言うのなら、大学入試センターで問題を作ればよろし。


 

 
 

分からないことだらけの英語民間試験導入

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 何も大学受験英語で無理して「聞く読む話す書く」を問わなくてもいいではないか。英語の必要性があれば勉強すればいい。米ニューヨークの国際連合で働く人とニューメキシコ州で日本レストランを開業する人とマサチューセッツ工科大学で工学を学ぶ人と沖縄のホテルで外国人観光客を相手にする人とでは「聞く読む話す書く」の内容が激しく異なる。にもかかわらず大学受験英語の程度で慌てて何を身に付けることができるというのか。

「読む」を中心の従来の英語で英語の基礎を築くことができないのか?

 中学高校(大学)と6年以上英語を勉強しているのに話せないし聞けないと下村文科大臣が批判していたが、「6年」はあまりにもデタラメすぎて笑えない。英語は学校で週に3〜4時間程度しかやらないのだから「6年」はあり得ない。デタラメを言うにもほどがある。そもそも前提がデタラメだったのに、そこを修正せず突っ走ったらアカンがな。

 英語の「聞く読む話す書く」の力をつけさせたいなら、授業でどんどん積極的に手を挙げる子供を育てるのが先だし、何かの講演会があったら最前列から席が埋まっていくような積極性を養うのが先だし、とはいえこういうのは国民性だろうから、そうそう育てたり養ったりできるとは思えない。

 私は塾で英語の出来の悪い子供たちを教えたことがあるので余計に思うのは、英語ができる子供は放っておいても自分で「聞く読む話す書く」を身に付けるし試験内容がどう変わっても高得点を出す一方、英語ができない大勢の子供たちは混乱を増すだけだということだ。


 

 
 

10年後のマンション大規模修繕工事で実行できたらいいこと

 暑いときも寒いときも現場で仕事をする職人が一番偉い。

 私は小学生のころプラモデルをよく作った。作ったけれど、戦車は動かず、戦艦は沈む。何でやねん! 私は図画工作が本当に駄目なのだった。

 だからだろうか、手に職を持つ職人の世界に昔から憧れてきた。ニコンが好きなのも職人肌を感じるからだ。

 そんな職人に敬意を払う最もいい方法は対価をしっかり受け取ってもらうことだ。ところが、である。マンションの大規模修繕工事の場合、業者が請け負い、職人を集めて仕事を進める。私たちが業者に払った大金の何割か中抜きされて、少ない金額が職人に渡る。

 これをなんとかできないものか。例えば朝(落とすといけないので仕事が終わった夕方でもいい)現場でお金を職人に直接渡すとか。

 高所恐怖症の私はかつてマンション10階の足場で足がすくんでしまって二進も三進もいかなくなったことがある。職人が足場をひょいひょい歩くので何も考えずに降りたから大変だった。もう二度と足場に行くもんか。

 というわけで、現場で直接お金を受け取ってもらうやり方ができないかと考えているのだが、次の大規模修繕工事となると私は70歳くらいか。この世にいないかもなぁ。

電車の中で病人が出て

 15両編成のJR東海道線が横浜駅の手前で止まった。11号車で乗客が倒れたという。車掌室にいた2人があれこれ連絡を取り、しばらくして電車は走り出した。車掌の1人は11号車に向かった。車内放送で医療関係者の応援を2回呼びかけたから倒れた人の状態はよくなかったのではないか。

 ここで思い出したのは、同じマンションに住んでいた友人である。横浜線に職場の仲間と一緒に乗っていて突然倒れた。横浜駅前は車が渋滞していたため救急車のサイレンの音は聞こえるのになかなか近づいてこないので焦れったかったとのちに聞いた。友人はそのまま意識が戻ることなく亡くなった。

 人が倒れたら基本的に一刻を争う。電車を止めたのはそういう規則があるのだろうけれど、一律に止めていいとは思わない。近くに併走する道路があればそこに救急車を要請できるけれど、そういうことができない場所なら最寄り駅に突っ走るほうがいいはずだ。

 そこまで踏み込んだ規則を作ってあるようには思えなかった。そもそも電車内にAEDを置いていないのではないか。

どちらに分がある?

 A子さんとB子さんは同じ職場で勤めている。A子さんはB子さんをバーベキューに誘った。そのバーベキューはA子さんの母とその再婚相手が毎年やっていて、30人くらいの人数が集まる。B子さんは彼と一緒に参加した。

 後日、A子さんがぼやくこと。

「B子さんは手ぶらで来た」
「B子さんと彼氏はひたすら食べ続けた」
「帰りがけにバーベキューを詰めて渡したのも持って帰った」
「B子さんの彼氏は人見知りが激しくてひたすらB子さんのあとを追いかけ、あいさつひとつなかった」
「私は親戚に恥ずかしい思いをした」

 B子さんは大山倍達のような体格で、ふだん職場でも恐ろしくよく食べることをA子さんは知っている。

 以上から、どちらに分があるか?

 どっちもどっちという説がないわけではないが(笑い)、私はB子さんに分があると思う。

 そもそもバーベキューに誘ったのはA子さんだ。「どんどん食べて」「死ぬほど食べて」と勧める立場ではないか。食べまくったA子さんと彼氏を詰るのはお門違いだし、詰れば詰るほどA子さんはケチだなぁと思えてくる。

 某中小企業(当時)で社長の誕生日に従業員がお金を出し合って贈ったのは5万円のサンダルだった。こういうお金の使い方が正しいと思う。

 人に物を贈ったりプレゼントしたり(同じか)ごちそうしたりするときにケチるくらいなら最初から何もしないほうがいい。自分には始末していいけれど、他人には始末してはいけない。中途半端は恥ずかしいと私は思うんだけどな。

 

毎日新聞社の早期退職募集に対して弟の判断は

 かつて毎日新聞社を「難破船の上で盆踊りをしている」と喝破したデスクが30年前にいた。その毎日新聞社が200人の早期退職希望を募っている。私の弟(51歳)も年齢的に対象である。

 ある日その弟が電話をかけてきた。破格の退職金を示されて驚いたのだった。中小零細企業の10倍くらいもらえると知ってココロが動いたようだ(笑い)。

 しかし、弟は辞めるという判断ができるわけがないのである。大学を出てずーっとこの会社にいる。一般消費者向けの商品を出している会社なのでとりあえず会社の名前はどこでも通じる。本人は否定するだろうけれど、盆踊りをしている能天気な一人なのである。

 弟の心配はここ数年で業界全体が急激に縮小していることだ。早期退職して破格の退職金を手にしてウハウハと優雅な暮らしをするか、定年まで頑張るか。定年まで頑張ろうとしても会社の状況がさらに悪化したら給料は減るだろうし退職金も減るだろう。そこを弟は心配していた。

 弟は出世するタイプでは全くないし、内勤なので会社外に人脈がない。こういう人間は早い時期に辞めるべきなのである。51歳ならまだ転職先があるからだ。気力や活力もまだ残っている。莫大な退職金をもらって次の一歩を踏み出す好機なのである。

 しかし、1つの会社にずーっといたから、辞める勇気がない。ベルトコンベアに乗って定年退職というゴールまで進むのは判断ではなく思考停止なのだが、そこに気づいていない。

 30年も盆踊りをしてきた難破船だからまだまだ沈むまいと思う毎日社員は、「人間は自分が見たい現実しか見ない」と喝破したわがカエサルの本を読むべきかもしれない。


 

大地震対策用に最も評価の高い耐震柱を買ったけれど

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 大地震で本棚が倒れても、本が破れたり変形することはあっても壊れることはない。紙だもん。

 と気楽に見ていたのだが考えを変えた。本棚が倒れたら片付けるのが面倒だ。その面倒を予防するために最も評価の高い耐震柱を買って、とりあえず大型の本棚2箱に取り付けた。

 しかし、なのである。やっぱり、と言ってもいいか。

 私が住むマンションの天井は石膏ボードを吊り下げてあるだけなので、耐震柱を本棚と天井の間に置いて突っ張らせようとすると天井が浮くのである。無理に突っ張らせると天井を抜いてしまうだろう。これでは十分な突っ張りにならない。

 天井がコンクリートか梁なら十分な突っ張りができるのだが、そんなちょうどいいところにコンクリートも梁もない。これは私だけではないだろう。

 よかったことがないわけではない。本棚の上に長年置きっぱなしにしてあった本やファイルなどをひとつずつ見て、不要なものは捨てることにしたのでずいぶんすっきりした。これでよしとするか。よし。


 

ワシもネタをつぶされたぞ

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 かんぽ生保のムチャクチャ販売問題を追及していたNHKが日本郵政側から抗議を受けての「クローズアップ現代+」の続編を延期したと9月26日付『毎日新聞』朝刊(東京本社版)が報じた。報道の自由を自ら歪めるNHKよお前もか。

 お前もか?

 そう、だって『毎日新聞』も抗議を受けて記者の取材にストップをかけたではないか。当事者の私が言うのだから間違いない。

 福島支局時代のことだからもう30年近く前の話だ。社会面に売り込もうとデスクに相談のうえ県内の某洗濯企業の問題を取材していた私に当時の石川支局長が「相手も反省していることだし、もういいんじゃないか」と事実上の取材中止を求めてきた。

 社会面に載ったかどうかは分からない。しかし、一石を投じるネタだと私は思っていたので張り切った。それをつぶしたのは、浅間山荘事件のときに刑事の寝床で話を聞き取って特ダネを連発したとかいう誠支局長だった。

 反省したからといって報じないなら報道機関はいらないのである。福島面に広告を出していようが社会人野球にその会社のチームが出ていようが関係ないのである。本来は。

 だから舐められる。

 私の反省は、『毎日』が駄目なら、親しい記者がいた共同通信か河北新報か読売新聞か産経新聞にネタを持ち込んで報じてもらうべきだった。あるいは労組に持っていってもよかった。半日サボタージュして抗議の意思を示す程度の弱腰しか持っていなかった私にも非がある。

 

消えてゆくのはなぜ

 数日前にボールペンが消えた。

 今日気づいたのは、財布が消えていることだった。昨夜スーパーのレジでお金を払うときまではあったのだが。スーパーを訪ねたが、ないと言われた。広島のモンベルで買った珍しい財布なので大変惜しいのだが、貧乏人なので昨夜は確か数百円しか入っていなかったのは不幸中の幸いであるな。

 なぜ消える? 私の脳みそが溶けているのだとすれば納得するけれど(するんかい!)、この調子ではさらにいろいろなものが消えていきそうだ。手品師なら芸になるのだが。

 しょぼーん。

速読と短時間睡眠は個人の資質

 私が沖縄で暮らしていたころだから昭和の終わり頃、速読が流行した。そのころ短時間睡眠の本が出たり、今も短時間睡眠のセミナーがあったりする。

 速読ができる人は生まれ付きできる。根本先生は原稿用紙500枚を1時間で精読できる。こういうのを速読と言うのである。私は活字人間だが、逆立ちしても1時間で精読できない。あ、逆立ちもできないのだが。

 知人の70歳女性は昔から4時間以上眠れない。4時間寝れば十分だと言う。私は8時間くらい寝ると頭がすっきりする。私がこの女性の真似をしたらすぐに睡眠不足に陥る。無理をして続けたら心筋梗塞で死ぬだろう。

 生まれ付き速読ができる人や短時間睡眠で済む人がいるのであって、それを他人が真似しようとしても基本的に無理なのである。

自分に酔ってる小泉進次郎の頭の中は

 小泉進次郎が官邸で会見をした際の内容に私は違和感を抱いた。鎧を着て寝ているとか何とか。小泉進次郎を演じているとか何とか。でも、クリちゃんと一緒にいたら素を出せるとか何とか。どこまで自己陶酔しているんだ?

 単なるおのろけとして「はいはいごちそうさま」と無視してもいいのだが、40近くにもなって幼稚なことを言う奴だなぁと私は引っかかった。さらに推測すると、中身がないから鎧を着なければならないのではないかと勘ぐる。これは詐欺師が外見をばっちり決めるのに似ている。

 鎧で隠しているのは中身のなさと自信のなさゆえではないか。そのくせ周到に官邸で結婚会見を目論む幼稚さよ。鎧の下からパンツが見えた。

 外見ばかり気にする男だとしたら頭の中は十中八九空っぽだろう。

相変わらず何が言いたいのか分からない毎日新聞社の広告

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 宣伝が下手くそだなぁと昔から思ってきた毎日新聞社の広告である。東西線大手町駅で見つけた。

 これでイメージが上がる? 部数が増える? 

 んなわけなかろう。では一体何のために金をかけてこんな広告をつくっているのだろうか。「自己満足デス」と言われたらナットクするけれど、自社内での撮影って安易すぎないか?

 宣伝には2種類ある。1つは業界全体のイメージアップに資する内容。もう1つは自社の特性を強調して経営の数字上何らかの効果をもたらす内容。毎日新聞社が従来やってきたのは前者だったことに当事者が気づいていないのか、強調できる自社の特性がないのか。

 宮迫博之さんに出演してもらうのはどうだろう。記者の役で、取材相手にぐっと手を伸ばして「毎日新聞はテープ回してます」と言わせるとか。

 ビートたけしさんに出演してもらって、「部数減る一方で、もうおしめえだって話じゃねえか。まぁ新聞の1つや2つつぶれてもオイラには何の関係もねえけどな。まぁでも、新聞の中ではマシなほうだと思うよ」と言わせる自虐CMのほうがインパクトはある。

 池乃メダカさんに出てもらったら、「毎日新聞に言いたいこと? そうやな。背が高くなる薬を開発してくれ」とか。

 真面目なところでは池澤夏樹さんに出てもらう。本紙を広げ、「日曜の読書面、丸谷才一さんから受け継いだ私が隅々まで目配せしています」と。少なくとも本好きには響く。

 あるいはいま宣伝に出ている空手女子に編集局に乗り込ませてはどうだろう。「特ダネがない! やり直し!」「読者は待ってるのよ!」などと叫ばせ、社長や主筆、編集局長らを殴り蹴る。社長以下土下座して「あしたの紙面を待っててください。印刷まであと2時間あるので何とか頑張ります」。ウケると思うけど、自虐だなぁ。

 

歯医者でのレントゲン

 定期検診で歯医者に先日行った。「1年撮ってないのでレントゲンを」と歯科衛生士に言われ、まずレントゲン。

 そのあと歯科衛生士によるチェックとクリーニング。最後にレントゲン写真を見せられて「問題ありません。今度は半年後に」と言われておしまい。

 歯医者は出て来なかった。

 歯科衛生士だけで4500円稼いだわけで、これが歯医者として正しいのか金儲けに走っているのか私には判断できない。

 マスクをした歯科衛生士の顔の上半分がかわいかったからよしとする、か?

宇宙人に出会っていいのか

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 NHKでこんなのをやっていた。

 今までの私なら賛成していた。かつてセチアットホームに参加したし。

 しかし、先日何で読んだか、あのホーキンス博士は宇宙人に出会うことを否定していた。宇宙人に出会っても顔を合わせないほうがいいという趣旨の発言も残していたはずだ。

 その理由は、宇宙人が善意の生命体とは限らないからだという。言われてみればそのとおりで、野蛮な生命体だったら地球人はおしまいになる危険がある。宇宙人との出会いはロマンで片付けるわけにはいかないのではないか。

 その辺のことを専門家はどう考えているのだろうか。と書いたけれど、宇宙人の専門家、いないよなぁ。

ウェブテスト、カンニングされてまっせー

「お父さん、ちゃんと働けよ!」

 次女に叱られた。私に似て性格がきつい。カリカリしているわけは、次女が就職か見習い志願のためにウェブテストを受けるのに私がのらりくらりしていたからである。私は何も関係ない、はずだった。ところが……。

 パソコン画面に出てくる問題文の一部を次女が読み上げ、私が別のパソコン上のエクセルだかワードだかに打ち込むと答えが出る。それを次女に伝える。

 答えが出ない場合もある。そんなとき次女は「捨て問だ」と叫んで次の問題に進む。

 どういうことだ? ウェブテストのあと全体像がうっすら見えた。

 ウェブテストを作る会社があり、企業はそこからウェブテストを買う。ウェブテストはアットランダムに出るのかもしれないが詳細は不明。

 一方で大学生は正解を割り出して問題文と正解をデータベース化する。

 問題は読解力を問う分野や数学的処理を求める分野などがあり、国公立大の大学生と私立大なら理系が間違いなく有利だ。私立大の文系は明らかに不利(笑い)。

 つまり、ここで大学の選別が自然に行われる。大学名ではなくウェブテストで落としたという言い訳を企業は主張できる。大学生がこういうデータベースを持って対応していることくらい企業は承知しているだろう。しかし企業はそれでいいのである。

 国公立大や理系の学生はいいなーと思ってしまいそうになるが、その先がまだある。

 例えば九州大法学部の学生ならみんな同じデータベースを手に入れることができる、というわけではなさそうなのである。そのデータベースはサークル内で伝わったり友人間で伝わったりと少数の学生に細々と伝わる。なぜなら、同じ大学の学生同士で競争になるからだ。例えば巨大製薬会社の1つの部門(採用数2〜3人)を慶應大薬学部の学生だけで100人くらいが受ける。

 ここでもう1つ分かったことがある。売り手市場と言われるけれど、それは中小企業の話であって、いわゆる大企業は激戦なのである。

 何だかなー何だかなー何だかなー。疑問符が相次いで浮かぶ。

 なお大手商社は試験場に来させてテストを受けさせるという。このほうが公平ではある。

「お父さん、ブログに書いちゃ駄目だよ」

 すまん。書いてもた。

 そんなしょーもないテストを課す企業に行く価値はないのである。そもそも大企業に入っても定年まで安泰ではない。IBMがパソコン部門を切り離して台湾企業に売ったりシャープが身売りしたり三洋電機が消えたり、パイオニアも東芝もブリヂストンもパナソニックも確か社員に退職を迫って嫌がらせをしたりした。大企業であればあるほど、箱に詰め込まれて外から揺さぶられ、しみじみと無力を味わう。

 渡り歩くことができる能力がこれからの社会人に必須ではないか。それがどんな能力なのか、自分で考えたまえ。ワシには分からん。

現代の“極限の民族”

 打越正行さんの『ヤンキーと地元』が話題になっているると知って、数年前に土門拳賞を受賞した写真集『新宿迷子』を思い出し、さらに本多勝一さんの極限の民族三部作が頭に浮かんだ。すべて同じジャンルとして串刺しにできる。そのジャンルは“極限”である。「極限」ではなく“極限”ね。

 内部のことを外に向けて発信することなど考えたこともない人々が棲む狭い世界がある。その狭い世界に棲む人々は外に向けて伝える言葉やカメラなどの手段を持っていない。持っていたとしても外に向けて伝えようとは思わない。

 その狭い世界に外部から言語やカメラなどの手段を持った人が入っていき、そこから記事や本、写真にして外に向けて発信したのが上記の作品に共通する。

 その狭い世界に棲む人たちは「え? わしらの日々が珍しいんか?」とびっくりする。「これ、わしらには普通なんやけど」と言ってこちらを不思議そうに見る。

 狭い世界は知識教養嗜好階層の餌あるいは慰み物になる。

 本多さんの極限の民族三部作の現場に今では誰でも行けるぶん価値が落ちてしまった。知識教養嗜好階層は日々に飽きるのが早いので、いつも新しい“極限”を探す。その網に引っかかったのが『新宿迷子』や『ヤンキーと地元』などが見せてくれる狭い世界なのである。

 これは小説の世界にも当てはまる。書くべき対象はもうほぼ書き尽くされている。古くは『太陽の季節』がそうだ。あの時代の最先端の湘南の若者の世界に慎太郎が入って行って「こんな若者いてまっせー」と小説にして向かって発信した。

 次はどの世界が餌食になるのか。

 表現者は日々探している。自分のために。
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